今年の5月に放送され、大きな話題を集めたラジオ番組がある。『こだわりセットリスト・特別編〜羽生結弦選手特集』(ラジオNIKKEI)である。羽生結弦がプログラムで使用した曲によって構成した番組は異例の反響を呼び、7月の再放送でも同じく大きな関心を集めた。
 番組を自ら企画し出演したアナウンサーの藤原菜々花に、制作の経緯や困難、フィギュアスケートへの思いなどを聞いた。<全3回の1回目/#2、#3につづく>

 ラジオNIKKEIのアナウンサー、藤原菜々花は2020年の春に入社し、3年目を迎える。

 幼少期からフィギュアスケートのファンだった藤原は、入社してからフィギュアスケートの番組を作りたい一心で、企画を何度も立ち上げてきたが実現には至らなかった。

 ようやく形となったのが『こだわりセットリスト・特別編』としての羽生結弦の特集であった。

『こだわりセットリスト』は、あるアーティストやジャンルに強い社員が少しマニアックな切り口でセットリストを作成し、トークなしのノンストップ形式で送るという内容の番組。現在は週1回(火曜19:00〜19:30)に「特別編」として放送されている。今回の企画はそれを75分に拡大したものだった。

「今年の1月、同期で入社した清水遥夏ディレクターとお蕎麦屋さんで食事しているときにフィギュアスケートの番組を何かやりたいんだけど、と話している中で『こだわりセットリスト』がいいんじゃない? 羽生選手の歴代プログラムをノンストップでやろうよ』みたいな話をしたところから始まりました」

インタビューに応じた藤原アナウンサー

“ファンのお便り”が生んだセットリスト

 編成部に持ちかけたところ、「いいよ」と承諾を得た。

「ラジオNIKKEIは、不定期ではあるけれど社員全員に企画募集のメールがまわってきて、私も入社3カ月で企画を出してプレゼンしたことがあったり、それこそ『こだわりセットリスト』のような相談もでき、すごく提案しやすい会社なんです」

 正式にスタートを切り、番組制作に着手する。歴代プログラムを流すというテーマのもと、どう選曲し、構成を考えていったのか。

「選曲は、基本的には事前に募集していたファンのお便りが中心です。どのプログラムも人気ですけど、中でも『これが聴きたい』という声が集まった曲を中心にセットリストを作りました。そこに、自分の中で絶対に流したいという曲も合わせています」

 入れたかった曲は――。

「『天と地と』です。どのプログラムもそのときの羽生選手の人生が詰まっている感じがするんですけど、特にここまでやってきた羽生選手の生きざまが全部詰まったプログラムだと個人的に感じていたので、羽生選手のスケート人生で欠かせない一曲として流したいな、と。あとは『SEIMEI』も流したいと思っていました」

『SEIMEI』再現にはこんな苦労が…

 いざ選曲を進めてみると、いくつもの困難にぶつかった。

「いちばん大変だったのが権利関係です。そもそも流せない曲もあり、曲としては流せるけれど羽生選手が使っているタイプだと流せないこともありました。ほんとうは流したかったんだけど流せない、という曲もたくさんありました」

 それを踏まえて曲を選んだあとも簡単ではなかった。

「『SEIMEI』は、50曲ある『陰陽師』のサウンドトラックから羽生選手がいくつかをチョイスして編集されているんですね。羽生選手が使用した形そのままで流すのは難しいため、清水ディレクターと協力して、どのトラックを使用しているのかをみつけて、できる限り羽生選手の編集に近づけようとしました。

 ただ、放送局は編曲をしてはいけないんですね。編曲と言われない範囲内で、例えば1つのトラックから次のトラックに行くときはフェイドアウトで行くようにして、放送局ができる限りのところで再現しました」

平昌五輪フリーでの『SEIMEI』 ©Asami Enomoto/JMPA

「中途半端に流すくらいなら…」明かした葛藤

 セットリストに含まれた2016−2017シーズンのフリープログラム『Hope&Legacy』も腐心した1つだ。

「このプログラムは久石譲さんの2つの曲が組み合わさっていて、久石さんの1曲を半分にして、その間にもう1曲入れて編集されています。それを再現するために、最初の曲をフェイドアウトして、2曲目を流して、もう1回最初の曲の続きから……という手法でやろうと思っていました。

 ただ、調べてみると、羽生選手が編集し、久石さんに許可をお願いした際、最初は却下されたのを頼み込んで許可してもらったという記事をみつけて、『羽生選手ですらそうなら、私たちはできないよね』と。ではどちらの曲を流すのか、中途半端に流すくらいならそもそも流さない方がいいんじゃないか、でも絶対流したい、みたいな葛藤がありました」

サプライズで選んだ『R』と『水平線』に込めた思い

 リスナーからのリクエストと藤原の思いを掛け合わせた本編とは別に、番組ではオープニングとエンディングを設けていた。オープニングに使用されたのは仙台を拠点に活動していたHi-Fi CAMPの『R』、エンディングはback numberの『水平線』だった。オープニングとエンディングはリクエストからではなく、藤原自身が選んだ。

2011年5月のチャリティー演技会に登場した羽生 ©AFLO

「『R』は羽生選手が(2011年の)東日本大震災のときに特に力をもらったとおっしゃっていた曲です。震災が羽生選手のスケート人生が大きく変わったターニングポイントかなと個人的に思っていたので、『R』で始めました。エンディングにした『水平線』については、北京オリンピックシーズンの中で力をもらったのが『水平線』だと羽生選手がおっしゃっていました。羽生選手が震災のときに支えられた曲で始めて、直近の北京で元気をもらった曲で絶対終わらせたいと思ったんです。

 特にオンエアの中ではその話はしなくて、『この曲はHi-Fi CAMPでRでした』とアーティスト名と曲だけ紹介しました。実は意図があって選びました、ということに、おひとりでも気づいていただけたら、と伏せた状態でオンエアしたところ、お便りやツイートで気づいてくださる方がたくさんいらっしゃって。思いが通じたんだ、とすごいうれしかったです」

「羽生選手のファンのあたたかさに感動」

 番組は収録で行われた。心がけたのは「羽生選手が滑っていない箇所でナレーションを入れて、お便りを読むということ。滑っている箇所は、ファンの方々が音楽だけを聴いて羽生選手を思い浮かべたい箇所なのかなと思いました」。

 放送前は、プレッシャーものしかかった。

「こういう企画をやります、お便り募集します、というツイートを投稿すると、瞬く間に拡散されて、最初はすごくうれしかったんですよ。フィギュアファンの方々がつないでつないで、多くの方に知っていただけるのはうれしいなと思っていました。ただ、リツイートが増えるたびにどんどん胃が痛くなってしまって。皆さんが期待して楽しみにしてくださっているのがうれしい反面、失敗したらどうしよう、絶対いいものにしなきゃ、とちょっとナーバスになった時期もありました。でも皆さんの声があったからこそ、頑張れた企画でもありました。

 番組がオンエアされたときは私もリアルタイムで聴いていました。『#こだわり羽生結弦選手』でツイートしていただいたツイートを見ながらです。マイナスのコメントがあったらどうしようと思っていたら、私が目にした限り1つもなくて。『涙腺が崩壊してバスタオルがないと無理だ、ふつうのハンカチじゃ足りない』というツイートがあったり、『作ってくださった方の愛にあふれた番組でした』とあったり、羽生選手のファンのあたたかさに感動したというのと、この番組をやってよかったなと思いました」

異例中の異例…放送後には“500通”の感想メール

 放送から3カ月強が経った今、藤原は語る。

「放送前はたった2人で始めた企画でした。ラジオNIKKEIはフィギュアファンをまったく抱えていないというか、フィギュアファンでラジオNIKKEIを聴く方ってほとんどいないのかなと思っていたので、1人でも聴いてくれたらいいなというくらいで始めた企画です」

 1人でも聴いてくれたら――その思いで始まった番組は驚くほどの反響を呼んだ。

 放送前からそれは始まっていた。

「お便りを募集している段階でアメリカ、カナダ、ペルー、ベルギー、モンゴル、韓国、中国……あげきれないくらい世界中からお便りが届きました。英語とか中国語とか、こんなに読む機会は人生で初めてだな、というくらい。世界中の方々にこの企画が届いているのがうれしかったですし、告知のツイートを誰かが翻訳してくださってバトンをつないでくれたおかげです」

北京五輪エキシビションでの羽生 ©Getty Images

 放送後には約500通もの感想のメールがあったという。

「放送が終わったあとにお便りがこんなに届くのは、普段はあることではなくて」

 同社に長年勤めている社員も「少なくとも私が入社してから初めての数です」と言葉を添える。

藤原アナの情熱が生んだ番組だった

 7月22日には再放送を実施した。

「これまでを振り返るような番組だったので、7月19日の羽生選手の記者会見を見て、新たなステージに行く前のこのタイミングで再放送できたら、と」

 わずか3日後に実現した再放送もまた、「ありえないくらい」の人が聴いたという。

 多くの反響を得た番組の成功の裏には、そこに懸けた藤原の情熱がある。こんなエピソードも教えてくれた。

「曲の並び順をあまりに考えすぎて、ぼーっと歩いていて会社のエレベーターの扉に挟まれたくらいでした(笑)」

 企画から構成、放送まで、心血を注いだ。その根底にあったのはどのような思いだったのか。《つづく》

(撮影=今井知佑)

文=松原孝臣

photograph by L)Tomosuke Imai、R)JMPA