今年の5月に放送され話題を集めたラジオ番組『こだわりセットリスト・特別編〜羽生結弦選手特集』(ラジオNIKKEI)。羽生がプログラムで使用した曲によって構成した番組は異例の反響を呼び、7月の再放送でも同じく多大な関心を集めた。番組を自ら企画し出演したアナウンサーの藤原菜々花に、「人生のバイブル」だと語る羽生結弦という存在について聞いた。<全3回の2回目/#3につづく>

『こだわりセットリスト・特別編〜羽生結弦選手特集』を企画から手がけ、異例とも言える反響を呼ぶ成功へと導いたラジオNIKKEIアナウンサー、藤原菜々花が羽生結弦に惹かれたきっかけは、2013年10月にあった。

「俗の世界から離れた美しさを…」

 当時高校生だった藤原は、登校前に朝食をとりながらグランプリシリーズ・スケートカナダの中継を観ていた。そのとき、目に留まったのが羽生だった。

「フリープログラムの『ロミオとジュリエット』を滑っていて、『なんてきれいなんだろう、すごいきれい』と思いました。食パンを食べている手がぴたっと止まって。4分半、画面に吸い込まれるんじゃないかというくらい、観ていました。妖精が滑っているような、俗の世界から離れた美しさを秘めた存在というか」

藤原アナが ©Getty Images

 羽生に惹かれると、来歴をたどっていった。「その中でどんどんファンになっていきました」。

 以来、折々の光景が心に焼き付いた。

「いろいろ調べる中で、小さい頃から、自分は金メダルを獲るんだ、1個じゃなくて2個獲る、自分の年齢を考えると1個目はソチとおっしゃっていたのを知りました。初めて誰かの夢がかなう瞬間を観たというか、夢がかなうのってこんなに美しいのか、こんなに感動するんだなと思ったのがソチオリンピックでした」

羽生の姿が、就活中の心のよりどころだった

 その後、羽生はアクシデントとも闘い続けた。

「(2014年中国杯の)衝突事故のときは今でも鮮明に覚えています。そのあと血が垂れていても包帯でぐるぐる巻きの状態で滑る羽生選手に、どうか無事でいてほしいというのもありながら、この方はなんて人なんだ、何があってもあきらめない人なんだと思いました。

 平昌オリンピックも怪我から復帰しての金メダル。中国杯も、平昌オリンピックも、羽生選手のあきらめない強さというか、目標に向かって突き進むぶれなさ、あきらめないすごさを感じました。自分自身、苦難があってもあきらめないで来られたのは羽生選手のあきらめない姿を見ていたのが大きい部分もありました」

 ©Getty Images

 苦難とは――。

「例えば、就職活動ですね。中学生の頃からアナウンサーになりたいなと思っていたので、アナウンサー職しか受けませんでした。北海道から沖縄までアナウンサー職だけ出願しましたが、ほんとうにどこからも内定がもらえなくて、40社くらいは落ちました。それだけ落ちると悲しいというか、アナウンサーになれなかったらどうしようと先が見えない不安でいっぱいになりました。

 それでも、羽生選手の平昌や、衝突事故のあとに滑ったフリーに比べたら、自分なんてぜんぜん大変じゃないかも、羽生選手が乗り越えたから自分も頑張ろうと、特に就職活動のときは心のよりどころとしていました」

「羽生選手は“信じる強さ”を持っている」

 もう1つ力となったのは、「信は力なり」を地で行く羽生の姿だった。

「羽生選手の強さって自分を信じるところにあるのかなと思っていて。『平昌で金を獲ります』と言うことはできても、その夢を本気で信じることってめちゃめちゃ難しいことだと思うんですよ。心のどこかではかなわないんじゃないかと思ってしまう部分があるのかなと思うんですけど、羽生選手は本気で自分の夢はかなうんだと信じる強さを持っている気がして。

 私もアナウンサー受験をしているとき、不思議だったんですけど、何社落ちても自分は絶対になれるとどこかで思っていました。本気で信じる大切さを羽生選手に教えていただいて、信じ抜いたからこそあきらめないでいられたのかなと思います」

 高校時代の苦さを含んだ経験も、そこにつながっている。

「高校生の頃は放送部に入っていました。『放送部の甲子園』と言われているNHK杯全国高校放送コンテストという大会があります。県大会を経て全国から300人の代表が選ばれ、準決勝で60人が残って、決勝に残るのは10人。高校2年生に続いて出場した高校3年生のとき、全国大会の準決勝には残りたいな、最後の10人までいけたらラッキーだなと思っていたら、準決勝どまりだったんですね。

 羽生選手はソチで金メダルを目指し、獲りました。そこから学んだことがあって、ほしいものがあったら目指さないとそもそももらえる権利がないんだな、私は60人をどこかで目指していたから最後の10人に残らなかったんだと思いました。なれたらいいな、ではなく、アナウンサーになるんだと信じなければ、なれないんだと思うんです」

 ©Asami Enomoto/JMPA

「羽生選手がいなかったらアナウンサーになれていなかった」

 羽生の姿勢を自身の体験と照らし合わせ、そこからいろいろなことを得てきた。

 だから藤原は言う。

「羽生選手は人生のバイブルだと思っています。羽生選手がいなかったら、たぶんアナウンサーになれていなかったと思いますし、夢ってこうしたらかなうんだというのを羽生選手からいっぱい教えていただきました」

学生時代に初めて手作りした

 入社3年目、職務の中で壁を感じることもある。フィギュアスケートの番組を作りたいという目標はかなったが、藤原には思い描く青写真がある。《つづく》

(撮影=今井知佑)

文=松原孝臣

photograph by L)JMPA、R)Tomosuke Imai