大観衆が帰ってきた競馬場は、彼のためにあった。史上最年長ダービージョッキーとなった千両役者が府中2400mで繰り広げられた攻防を振り返り、「ダービー馬で挑む凱旋門賞」への思いを語った。悲願の凱旋門賞制覇にドウデュースで挑む天才・武豊。彼にダービー制覇後に聞いたNumber1053号(2022年6月16日発売)のインタビュー『[ダービーV6インタビュー]武豊「胸を張って、ロンシャンへ」』を特別に無料掲載します!

 デビュー2年目の'88年にスーパークリークで菊花賞を勝って最年少GI勝利記録(19歳7カ月23日)を華々しく塗り替え、同年にデビュー後最速年間100勝(最終的に113勝)という快記録も打ち立てた武豊。ありとあらゆる最年少記録を次々と更新したことで「天才騎手」の名をほしいままにした。その後も誰も成し得なかったハイレベルのキャリアを積み重ねたことが50代を迎えて実を結び、最年長記録となって再び花開き始めている。広くスポーツ界を見渡してみても、武ほど息の長い現役トップアスリートはほかにいない。

あとから見てクリストフはやっぱり凄いなと

 ドウデュースで今年のダービーを勝ったことで、史上最多6度目のダービー制覇となった。53歳2カ月15日は、増沢末夫('86年ダイナガリバー)の48歳7カ月6日を36年ぶりに更新する最年長記録。20代、30代、40代、50代でのダービー制覇ももちろん史上初で「そう考えるとスペシャルウィーク('98年、29歳で初勝利)で勝てたのは本当に価値が高かったなあ」と、レジェンドの笑顔に大きな達成感が浮かび上がる。

「ダービーの最後の直線で抜け出すって、これ以上ない最高の気分。スペシャルウィークが馬群を切り裂いたときに見た素晴らしい景色を、今年はドウデュースに見せてもらいました。みんなが伸びている中での、あの切れ味はホントすごかった。一瞬で、完全に抜け出してくれましたからね。ちょっと早過ぎるかもとボクも少し心配しましたが、馬場状態を考えたら、あそこで突き放したらほぼほぼ大丈夫。勝った、と思いましたね」

――それでも最後の最後にルメール騎手のイクイノックスが迫って来ました。

「ね、来ましたね。さすがですよね。ボクは(いつでも踏み出せるようにという意味での)安全策でずっと外目を走っていましたが、クリストフは一番外の枠からのスタートなのに、コーナーは内を回って、ロスなくボクの後ろについて来ていました。まさに完璧な騎乗です。皐月賞と乗り方をガラッと変えたのも勇気が要ること。あとからビデオを見て、あれができるクリストフはやっぱり凄いなと思いました」

関係者が「神騎乗」と称賛のダービーを武豊自身が分析

――いつも枠順を見てからシミュレーションを組み立てるとおっしゃっていますが、今回はどんなプランでした?

「13番という知らせを聞いて、最初はまあまあかなと思いました。そのあとで全馬の枠順を確認して、めっちゃいいやんと。枠が近いダノンベルーガ(川田将雅騎乗、12番)、ジオグリフ(福永祐一騎乗、15番)の後ろあたりから進められそうですからね。イクイノックスの出方だけは読めなかったけど、ダノンとジオは中団か、もう少し前にいるだろうというイメージ。どスローになることもないだろうと読みました。もちろん、競馬だからなにが起こるかわからない。そこまで決め込んで実戦に臨むことはほとんどありませんし、今回もそうでした」

 ダービー翌々日の火曜日、栗東トレセンの調教スタンドでは騎手や調教師に報道陣が加わってダービーのレース回顧の輪ができ、短い時間でドッと盛り上がって、また別の輪ができる流れが続いていた。焦点はもちろん、武の満点騎乗について。ダービーならではの長い余韻を、競馬に携わる人々がみんなで楽しんでいる風景だった。

「見ました? しびれましたねえ」と、その輪に寄ってきた高橋亮調教師も、興奮気味に話してくれた。

「スタートから1コーナーまで少し促して行ったときに、まずはオッと思いましたよ。すごかったのはその後。すぐ外のキラーアビリティ(横山武史騎乗、16番)がユタカさんのポジションに入ろうとしてきたときの対処です。あの一瞬の判断が本当に素晴らしかった」

 ほかにも多くの関係者が「あそこで突っ張ったのが最初の神騎乗ポイント」と、口を揃えて称賛した場面を武が振り返る。

小競り合いをやっても折り合えるという、馬に対する信頼

「スタートは、本当に出てくれるのかと実は不安でした。元々気持ちがドッシリとしている馬なんですが、それにしても落ち着き過ぎているんじゃないかと感じていて、ゲートの中で少し馬を揺さぶって鼓舞したほど。ボクとしては珍しい動きをしました。実際はしっかり集中して出てくれて、3完歩ぐらいは促したかな? 隣のダノンベルーガがいいスタートだったので、よし、じゃあその後ろに、とちょっと出して行ったんです。

 見渡せばダノンとジオが読み通りのポジション。これはいい形になりそうと思ったところに武史のキラーアビリティが外から来て、そこだけは“いやいやいや”って突っ張りました。あそこは枠順の内外の差が出たシーン。それと、あの序盤で小競り合いをやっても折り合えるという、馬に対する信頼ですね。そこまでしてポジション取っても、あーって引っ掛かったら意味がないですから。皐月賞で余計なことをしなかったことも、あのシーンにつながっています。ダービー的な乗り方を皐月賞でもやりたかったんです。あそこで武史に諦めてもらって、その結果理想のポジションが取れました」

ノリちゃんに褒められたのもうれしかったですね

――1コーナー14番手が理想というのも、ファンにはわかりにくいのですが。

「前のペースがそれなりに速くなって縦長の隊列になりそうなのが見えていたし、あとで先行馬がバテて下がってくるラインにもいない。かと言って過度に外を回されているわけでもなかった。いい並び、いいペース、外から絡んでこられない場所にいて、道中は単騎で走らせてもらえる時間もあった。どんどんどんどん勝ちが近づいてきている実感がありました。

 あと、レース後にノリちゃん(横山典弘騎手、マテンロウオリオン騎乗)に褒められたのもうれしかったですね。ずっとボクの後ろにいてチャンスを窺っているのはわかっていましたが、『いやー、相変わらず動かねえな』って。『慌てないよな、お前は』と言ってくれたのは最高の褒め言葉でした。若いジョッキーに向かって、『これ、普通のレースじゃないからな。ダービーでこれができるんだからな』と言ってくれたのも、さすが、わかってくれる先輩の言葉でした」

松島オーナーから「ありがとう、武ちゃん」

――抜け出してからステッキを2回、持ち替えていました。

「前で粘っていた田辺(裕信騎手、アスクビクターモア騎乗)がちょっと外に、ボクのが右ステッキに反応して少し内に入ろうとしたので、左に持ち替えて使いました。危ないとかヒヤッとしたとかは全然なくて、馬場も外の方が良かったので自然な動きです。最後に右に持ち替えていますが、そこは無意識ですね。きちっとまっすぐ走らせようとしているんだなと、ビデオを見直して自分でそう思ったほどですから」

 6万人のユタカコールの祝福を浴び、馬場での華やかな表彰式も終えて、地下の検量室前に戻ってきた武が、筆者の前を通過するときに、声をひそめて「よかった……」と言った。

「もちろん本音でした。ボク自身、ダービーで有力馬に乗るのは正直キズナ以来だったでしょう? 久々にダービー勝つかもな、このチャンスを逃したくないなって思っていましたからね。2週前ぐらいから取材もたくさん来て、変に逃げたりせず、誇張もせず対応させてもらいました。ダービー週だけは静かに過ごして、周囲の友人たちもそっとしてくれているのがわかるわけです。期待に応えられて本当によかったなという気持ちにもなるじゃないですか。

 松島(正昭)オーナーは昔からの友人で、馬券で苦労している話を聞かされたときに、それなら馬主になった方がいいですよとボクが薦めてそうなった流れ。だけどボクが想像した何倍ものめり込んで、すごい金額を出資し続けたので、俺、マズいことを言っちゃったのかなって、本当にそう思っていましたからね。『ありがとう、武ちゃん。馬主になってなかったら今日はないもんな』って言ってもらって、そこも本当に肩の荷が下りた気持ちになりました」

60代でもっていう期待は…その前に来年、再来年も(笑)

――キズナで勝った'13年のダービーを振り返っていただいたときに「あれ勝ってなかったら、いまジョッキーをやってたかどうかわからない」という話をしていましたが、今回もそれに近い感情でしょうか?

「自分自身の励みになる1勝、かな? 53歳の勝利っていうのがこんなにも反響があることにも驚いていて、次は60代でっていう期待もされているんだけど、その前にダービーは来年も再来年もありますから(笑)。当面の目標は、最年長GI制覇。岡部幸雄さんが'02年にシンボリクリスエスで天皇賞・秋を勝ったときの、53歳11カ月を超えたいです」

 ダービー優勝当日、ドウデュースの凱旋門賞(10月2日、仏パリロンシャン競馬場、芝2400m、GI)挑戦が、友道康夫調教師から正式に発表された。

「凱旋門賞登録が発表されたときは、正直、ダービーでもちょっと距離が長いかも、と思っていました。皐月賞の好内容で、むしろダービー向きじゃないか? に変わり、いまは前向きな気持ちしかないですね。だって、デビュー以来一番のパフォーマンスがダービーですから。

 5月生まれのドウデュースが、東京の2400mを2分21秒9のダービーレコードで走ったという事実。生まれて3年しか経っていない馬が、いや、正確には3年と22日でしたか? 遅生まれのハンデを抱えた馬が、この時期にこんな凄い時計で走ることができるんだなと、あとでじっくりと成績を振り返って改めて感心しました。強い馬ですし、これからさらに強くなってくれるという期待もあります。凱旋門賞に有力馬として胸を張って出られる。ドウデュースはすでにそういう存在になっていると思います」

そういう意味でも海外遠征に向いています

――5月生まれなのに一番落ち着いていたというのが凄いですね。

「驚いたり興奮したりということはないですね。そういう意味でも海外遠征に向いています。反面、色んなことに興味を持つ面白い馬なんですよ。ダービーの直前、石川さゆりさんが君が代を歌い出したとき、歩くのを急に止めて、ずっと聞いていたんです。輪乗りで止まると後ろが詰まっちゃうから動かそうとしたんですが、最後まで止まったまま聞いていました。ファンなのかなって(笑)」

――武幸四郎調教師が「前脚をかき込むようなフットワークでチョコチョコと伸びて来る馬だからフランス向きだ」と断言していました。

「ピッチ走法ですからね。ボクも向いていると思いますし、少々の道悪ならこなしてくれそうです。でも、幸四郎はフランスで乗ってへんからなあ(笑)」

文=片山良三

photograph by Takuya Sugiyama