アーセナルで加入直後にレギュラーを勝ち取り、日本代表では攻守の鍵を握るまでになった23歳。その飛躍の裏には、昨夏まで2年間を過ごしたイタリア・ボローニャでの充実した日々があった。Number1050号『冨安健洋「“モネ”になった2年間」』の記事を無料で全文掲載します(全2回の1回目/#2も読む)

 もし、冨安健洋の出生地が九州・福岡ではなくイタリアだったなら、彼はアッズーリ(イタリア代表)に文句なしで選出されていたのではないか――。

 彼がセリエAでプレーした2年間、取材をしながら頭の片隅にいつもそんな考えがあった。ボローニャで冨安を鍛えた闘将シニシャ・ミハイロビッチは、リーグ戦でのある完封試合の後、感嘆しながら彼をこう評したことがある。

「サイドバックとして右も左もできるし、もちろんセンターバックもやれる。両足が使えてスピードがあり、空中戦で頭も使える。戦力としてかなり重要な選手だ。日本人とは思えん」

トミは今でもボローニャのファミリーの一員

 2019年夏、セリエA挑戦を始めた冨安は、EU圏外出身の若手新人としては異例の開幕スタメンを勝ち取ると、瞬く間にチームの中心となった。世界的ストライカーを揃えたユベントスら強豪クラブの攻撃陣を相手に健闘を続け、守備の国でリーグ屈指の右SBとして高評価を獲得。飛躍的成長を遂げた彼は昨夏、プレミアリーグの名門アーセナルによって移籍金約30億円で獲得された。

ボローニャ時代、ルカクとのマッチアップ ©Getty Images

 新天地でもすぐに定位置を確保したが、年明けからはふくらはぎ負傷による欠場が長引き、3カ月以上も実戦から遠ざかった。だが、4月23日のマンU戦で復帰。アーセナルのミケル・アルテタ、カタールW杯を控える日本代表の森保一という2人の指揮官にとって心待ちにした瞬間だったろう。

 冨安に注目しているという声はイタリアからも聞こえてくる。

 イタリア北央部の古都ボローニャ。都市環状道路沿いのカステルデーボレ練習場に訪ねたのは、古巣の戦術コーチ兼代理監督を務めるエミリオ・デ・レオだ。

「カタールW杯には、うちからポーランドの(ウカシュ・)スコルプスキやセネガルの(イブラヒマ・)エムバイェら4人ほど代表選手が出る見込みです。トミは今でもボローニャのファミリーの一員だと思っています。彼がW杯に出場すれば、我々にとっても本当に誇らしいことですよ」

初めてトミに会ったときに受けた鮮烈な印象とは

 白血病と闘う指揮官ミハイロビッチは、3月下旬から高度治療のために2度目の長期入院生活に入っている。登録上の副監督はセルビア同胞であるミロスラフ・タニガだが、公式戦前後の記者会見対応や戦術采配など実質的な“代理監督”の任を負うのは、イタリア人のデ・レオだ。

 十年来ともに働く闘将からの信頼も厚く、チームの戦術家である彼こそ冨安の成長について話を聞くべき人物だった。

「3年前の夏、初めてトミに会ったとき、彼のテクニックやフィジカルの素質以上に『ここのサッカーを知りたい、学びたい、うまくなりたい』という意欲を全身から発散していたことに強い印象を受けました。彼はより複雑で高度かつ長時間のトレーニングを望み、全体練習の後もつねに集中して個人メニューに取り組んでくれました。その真摯な姿勢から、我々はトミがトップレベルにたどり着きたいと願う野心的な選手なのだということを理解したのです」

トミが一段上のレベルに達したと感じたのは……

――CBだった彼を、右SBで起用するアイデアはどう生まれたのですか?

「トミが来た夏、我々は守備陣を再構築しようとしていました。4バックのうち3人は固まっていたものの右SBだけが決まっていなかった。我々の考えでは、右SBは最終ラインのレジスタとでもいうべき重要なポジションで、そこを任せるには単に巧いだけでなくハートの強さも必須条件でした。トミをキャンプでテストするうちに、監督とコーチ陣の間で彼の技術とフィジカル能力なら(右SBに起用することで)攻守の数的優位を生み出せるのではないか、という発想に至ったんです」

2020年7月のミラン戦では豪快なゴールを決めた ©Getty Images

――すぐに右サイドで攻撃の起点にもなりましたね。

「トミが一段上のレベルに達したと感じたのは、右サイドの守備タスクだけでなく、より縦方向へ、よりワイドにタッチライン際から展開し、アタッキングサードに切り込んだりスペースを突いたりする能力が開花し始めたときです。ビッグクラブのサイドプレーヤーに求められる能力ですよ。サイドでのプレーの幅を広げたことが、本人にとってもチームにとっても飛躍的な成長をもたらし、プレーリズムや強度が高いプレミアリーグの関心を引いたのだと思います。

 我々指導者はできるだけ多くの戦術オプションを選手に教えたい。ただし、それをモノにできるかどうかは、選手の側にも才能や謙虚に受け止める姿勢が必要です。あらゆる私たちの教えをトミはスポンジのように吸収してくれました」

 春爛漫の陽気に、自慢のトミを語るデ・レオの口調は今でも晴れがましい。

「トミに関することなら」と快く時間を割いてくれた

 取材で練習場を訪れた日は、重要な祝日である復活祭(イースター)と大一番であるユベントスとのアウェー遠征を控え、チームは非常に慌ただしい時期にあった。加えて元在籍選手についての取材となれば通常は怪訝な顔をされるものだ。

 しかし、デ・レオ本人もボローニャの広報スタッフも「トミに関することなら」と快く時間を割いてくれた。冨安を育んだクラブの土壌が、いかに健やかであったかを物語る。

 そのボローニャを'19年1月から率いるミハイロビッチと選手たちとの信頼関係は、冨安の在籍時から今に至るまで強固だ。

2021年1月のボローニャ戦 ©Getty Images

冨安が語った“闘将ミハイロビッチ”との信頼関係

 闘将はベルギーからやってきた無名の日本人DFを重用し、可愛がった。かつて冨安はこの闘将のことをこう評していた。

「練習の気持ちの締まり方がちがいます。ベンチにいるといないとでは、もうまったく別のチームですね。日本人だと普通、練習をちゃんとやるじゃないですか。こっちの選手ってやらないときはやらない」

 1年目の開幕戦から右SBで起用し、イタリアサッカーに慣れさせた後、より大きな責任を負うCB起用は2年目まで待った。それは限りある戦力をやりくりしながら、冨安という大器をじっくり育てるのだという、指揮官らの親心に他ならなかった。<#2につづく>

文=弓削高志

photograph by Getty Images