30年目を迎えたJリーグは数々の名外国籍選手が在籍してきた。その中で草創期に強烈なインパクトを放ったのは鹿島アントラーズに所属したアルシンドだ。独特のヘアスタイルと得点嗅覚で輝いた彼は54歳になった今、何をしているのか。現役時代の秘話、さらにヴァンフォーレ甲府に加入した息子イゴールについて聞いた(全2回の2回目/#1も読む)

 アルシンドは、2シーズンに渡って鹿島アントラーズで活躍。なおかつ、ファンから非常に愛されていた。にもかかわらず、1995年、当時、鹿島の最大のライバルだったヴェルディ川崎へ移籍した。

鹿島からヴェルディに電撃移籍した真相とは

——鹿島からV川崎へ移籍した理由は?

「2つある。1つは条件面で、もう1つは鹿島に居づらくなってしまったから。1994年ワールドカップ(W杯)の期間中、Jリーグが中断し、ブラジルへ一時帰国した。30時間くらいかけて再来日した。夏だったので非常に暑く、長旅の疲れと時差ボケ(ブラジルと日本の時差は12時間)でヘトヘトになった。

 日本へ着いた翌日の午前、チャリティーゲームがあった。スポンサーがらみの試合だったと思う。疲れていたので、前半だけプレーしてホテルで休んでいた。すると、試合が終わり、『スポンサーとのイベントがあるので出席しろ』という指令があった。そんなことは聞いていなかったし、ひどく疲れていたから、『勘弁してくれ』と断わった。

 ところが、このことがクラブ関係者を怒らせてしまったらしい。この年の末に契約が満了したんだけど、クラブ側は契約更新にあまり乗り気じゃないと感じた。ただ、ひょっとしたら、これは僕がそう思っただけかもしれないんだけどね。その後、ヴェルディからオファーがあり、移籍を決意した」

ヴェルディに移籍した直後 ©Sports Graphic Number

——1996年は当時JFLのコンサドーレ札幌でプレーしますが、4月末の試合で主審を繰り返し罵って退場処分を受け、4試合出場停止。さらに6月の試合でも退場処分を受け、6月限りで札幌を退団してブラジルへ帰国します。当時、Jリーグの審判をどう思っていたのでしょうか?

「時折、首を傾げるような判定があったと感じていたのは事実だ。また、この頃、コリンチャンスからオファーを受けていた。フラメンゴと共にブラジルを代表する名門クラブであり、ここでプレーをしたくないブラジル人選手はいない。ただ、日本の審判の技術はその後、非常に進歩したんじゃないかな」

33歳で引退を決断した理由とは

 ——母国のコリンチャンスとフルミネンセに在籍した後、1997年後半、再びヴェルディ川崎でプレーします。

「ファーストステージの成績が悪かったので(注:17チーム中16位)、チームの成績を引き上げるために呼ばれたんだと思う。短い期間だったけど、一生懸命プレーした。でも、最終的に上位に入れなかった(注:年間総合順位は15位)のは残念だった」

 ——その後は、フルミネンセなどでプレーした後、2000年、CFZ(当時リオ州2部)を最後に引退します。当時、まだ33歳でした。引退を決意した理由は?

「膝などを故障していたし、ブラジルと日本の両国でもう十分にプレーしたと感じたからだ」

©Sports Graphic Number

 ——長男イゴールにもプロ選手になってほしいと思っていたのですか?

「いや、そういうわけでもない。本人の気持ちを優先した。そして、結果的にプロ選手になったんだ」

鹿島にも所属した息子イゴールは中国などを渡り歩いた

 イゴールは、1993年1月、リオで生まれた。父親が鹿島に入団したので生後すぐに日本へ渡り、3歳まで日本で生活した。父親よりもふっくらした顔立ちで、頭髪は豊かだが短い。彼のキャリアについて振り返ってみる。

 1996年6月末、家族と共にリオへ戻り、地元のアマチュアクラブでプレーした後、12歳でCFZのアカデミーに入団した。

 得意なポジションは、左ウイングとCF。基本技術がしっかりしており、ドリブルが得意で、右足から強烈なミドルシュートやFKを放つ。ただし、強引なまでの突破と並外れたゴールへの執念を見せた父親とはタイプが異なる。

 2011年1月、18歳でかつて父親が活躍した鹿島アントラーズとプロ契約を結ぶ。親子二代にわたって鹿島でプレーするのは初のケースだったが、2試合に出場して無得点だった。2012年1月、ブラジルへ帰国してフラメンゴのU-20に加わり、Bチームを経て2014年、トップチームへ。ここでも親子二代にわたっての在籍で話題を集めたが、5試合に出場して無得点だった。

 翌年、サンパウロ州の中堅クラブ、ブラガンチーノへ期限付き移籍し、13試合に出場して無得点。2017年8月、香港リーグの大埔へ移籍した。2017-18シーズン、27試合に出場して17得点16アシスト。翌シーズンも31試合で12得点21アシストと活躍して、リーグ優勝に貢献した。

2017年のイゴール ©Getty Images

 2019-20シーズンは香港の富力でプレーし、24試合に出場して13得点17アシスト。2019年の香港年間最優秀選手に選ばれた。昨年は中国2部の梅州客家に在籍し、33試合で6得点11アシストを記録して1部昇格に貢献した。

イゴールの性格についてはどう思う?

 ——イゴールの性格とプレースタイルをどう思いますか?

「性格は、僕より少し物静かかな(笑)。テクニックは、僕よりあるよ。年齢的に、今が最も油が乗り切っている。香港、中国でも頑張っていたし、甲府では必ず活躍するよ」

 ——現役引退後も、日本との縁は続いているようですね?

「新型コロナウイルスの感染が拡大する2020年初めまでは、毎年のように日本へ行っていた。ブラジルでも、2014年にブラジリアの日本大使館で表彰してもらった(注:2015年の日伯修好通商航海条約120周年を控えた2014年8月、日本大使館で「サッカー感謝の集い」が開かれ、ジーコらと共に招かれて表彰された)。アベさん(安倍晋三首相=当時)とも少し話をしたよ。とても光栄だった。

 日本は、僕にとって第二の故郷。また以前のように頻繁に日本へ行って、かつて在籍したクラブの関係者、友人、ファンに会いたいね」

安倍氏とのツーショット ※本人提供

日本のフットボールの発展は、僕にとっても嬉しい

 ——最近もJリーグや日本代表の試合を見ていますか?

「ブラジルではJリーグのテレビ中継がないんだけど、鹿島などの順位はいつも気にしている。日本代表の試合は、ブラジルでテレビ中継があればできるだけ見ている」

 ——あなたがJリーグでプレーしていた1990年代から現在に至る日本のフットボールをどう眺めていますか?

「僕が日本にいた数年間だけでも非常に進歩したし、その後も着実に進歩、発展している。選手育成が成功しており、その証拠に欧州クラブで大勢の日本人選手がプレーしている。

 日本のフットボールの発展は、僕にとっても嬉しいし誇らしい。日本は、僕にとって第二の故郷だからね」

 ——W杯カタール大会で、日本代表はドイツ代表、スペイン代表という強豪と同組となりました。

「厳しいグループに入ったと思うけど、自分たちの力を信じて積極的にプレーしてほしい。日本代表なら、きっと良い結果を残せるよ!」

農場内にはフットボールコートもあるそうだ

 体つきが丸くなった。頭は中央がすっかり薄くなり、側頭部も短くなっている。しかし、明るい性格は全く変わらない。

 農場内にはフットボールコートもあり、友人とボールを蹴ることもあるそうだ。農場の周辺を自転車で走るのも趣味だそうで、田舎暮らしを満喫しているようだ。

 一方、イゴールは29歳で、選手としては正念場だ。ヴァンフォーレ甲府との契約は、来年1月末までの半年足らず。すぐにでも結果を出さなければならない。

 アルシンドがJリーグでプレーしたのは4年余りで、日本を離れてからすでに25年の歳月が流れている。それでも、彼が残したインパクトは強烈で、今なお多くの人々の記憶に残っている。その一方で、彼の方も日本のことを忘れていなかった。

©Sports Graphic Number

 はたして、イゴールは甲府で「アルシンドの息子」という呼び名を取り払って「彼の父がアルシンド」と言わせるような活躍ができるだろうか。

<#1からつづく>

文=沢田啓明

photograph by Hiroaki Sawada