北海道大学を卒業した才媛は、なぜプロレスの世界に足を踏み入れ、いまだ手の届かない“勝利”を目指してもがき続けるのか。女子プロレス団体「スターダム」で奮闘する月山和香選手のインタビューをお送りします。(全2回の1回目/後編へ)

 スターダムのユニット「コズミック・エンジェルズ」に所属する月山和香は、アメリカのニューヨーク生まれ、北海道大学法学部卒という履歴書映えのする経歴を持っている。30歳の月山には、それに「未勝利」というフレーズがかぶさる。

 月山がスターダムにやって来て間もない頃だったろうか。立ち寄ったスターダム道場で筆者が目撃した月山は、トップロープ上で立ち尽くしていた。厚い安全マットも敷いてあったのだが、怖くてなかなか飛べないようだった。

「高所恐怖症なんだと思います。トップロープに立つまではできましたが、そこから飛ぶのはやったことがなかった。コーナーって、いざ立つとめっちゃ高いんです。着地に失敗したら足首が折れるくらいの高さ。中野たむさんに練習を見てもらって、泣きながらやりました。人って慣れるんですね。今はもう大丈夫です。でも、最初は怖かったなぁ……」

高所恐怖症を克服し、トップロープから飛ぶ月山和香

アメリカで過ごした幼少期「1人が大好きでした」

 スターダムに初めて参戦して1年が過ぎたが、月山はいまだに勝利の味を知らない。プロレスに真剣に取り組んでいるが、むしろ真逆のコミカルさが漂う。本人にその気はないのだろうが、真剣に取り組めば取り組むほど、はた目にはそう写ってしまう。

 アメリカ生まれの帰国子女で、しかも北大法学部卒という経歴だけを見ると、かなりのエリートコースを歩いてきたように思ってしまう。なぜ、プロレスラーの道を選んだのだろうか。

 ニューヨークで幼少期を過ごした月山は、もちろんバイリンガルだ。

「家では両親と日本語でしゃべっていましたが、お外では英語。あまり記憶にはないんですが、自然に話していたと思います。アメリカでは子どもがいっぱいいる託児所みたいなところに通っていました。寡黙で、1人が大好きな子どもで、本読んだり、ブロックで遊んだり……。でも、あっちの子って気が強いので、私がせっかく作ったブロックを崩すんです(笑)」

 月山は長女だが、兄がいて、下には双子の妹と弟がいる。

 5歳のころ、月山は家族とニューヨークから東京に移り住んだ。他の子と同じように保育園にも通ったが、友達はいなかった。だが、月山がそのことに気づいたのは中学に入ってからだった。

 休みの日は1人で美術館や映画館に行く。それが普通だと思っていた。だが、成長した妹や弟が友達と遊びに出かける様子を見て、「この子たちには、友達という存在がいるんだ!」と、初めて自分がいつも独りぼっちなことに気付いた。

 それでも月山は「1人で遊ぶのが大好きなんです」と繰り返してニッコリと笑った。

「学校に通えなかった子」が北大に合格するまで

 月山は小さいころから朝が弱かった。子どもはみんなそういうものだと思っていた。でも、小学校の高学年になっても、毎朝なかなか起き上がれなかった。いざ起きても、また布団に倒れてしまう。疾患による自律神経の異常だったのだが、月山は自分について「さぼり癖のある人間なんだな」と認識していた。

「通学の電車でも、座席から立てない。立ち上がってもふらっと倒れちゃう。うつ病なのかもしれないと思いました。今考えると低血圧でもあったんでしょうけど、中2の時は4日くらいしか学校に行けませんでした」

 学校には通えなかったが、「教科書が友達」というほど勉強そのものは好きだった。

「中学は義務教育だから卒業できました。『高校は出席日数が足りなかったら、進級できないよ』と担任の先生に言われましたが、『体調が良くなるかもしれないから頑張ります』と、最初はそのまま全日制の高校に。でもやっぱり通えなくて、編入という形で通信制の高校に移りました。試験は『将来の夢』という作文だけ。名前さえ書けば受かるレベルの高校です」

 最初、月山は大学に行くつもりはなかった。しかし徐々に自律神経が整い、体調が改善したことで、「これなら大学にもちゃんと行ける」と受験勉強に励むことになる。

「高校を卒業して1年アルバイトして、受験勉強。私はコツコツ型、アリみたいなんです(笑)。しっかりと勉強できたので、大学は受かると思っていました」

 勤勉な姿勢が功を奏し、月山は国立の北海道大学に合格した。

「北海道はすべてが新鮮でした。野菜も魚もおいしいし、豚ですらおいしい。豚丼なんか最高ですよ。何を食べても安くておいしい(笑)。暑いのが苦手な私にとっては、雪が降る気候もベスト。それまで運動なんてロクにしたこともなかったのに、スポーツジムにも通うようになりました」

 学校というものに慣れていなかったこともあって、1年時のオリエンテーションでは人の多さに圧倒された。当時のことを「自己紹介なんてとてもできない。お腹が痛くなっちゃって、その場からいなくなりました(笑)」と振り返る月山にも、大学では友達ができた。

「大学くらい好きなことをやろうかとも思いましたけど、逆に苦手なことを勉強したくなった。社会が苦手だったから、じゃあ法律を勉強しよう、と。特に力を入れて学んだのは刑事訴訟法。法を犯した人が、どうやって裁判まで行くかという流れですね。でも、弁護士になるつもりはありませんでした」

 意外にも、月山は冷静に現実を見ていた。

「ちょうど司法試験の制度が変わって新司法試験になって、弁護士になるには法科大学院に通う必要があった。逆に、大学院に行けば2人に1人くらい合格する。それじゃあ、絶対に弁護士は余るなって思ったんです。実際に今、余っているし。大学院に行くお金がもったいないな、って。やろうと思えば、今からでも行けますよ」

 筆者が「プロレスラーから弁護士に転身というのもいいですね」と水を向けると、月山は「そんな選択肢、作りますか!?」と笑った。

外資系の会社員時代とプロレスとの出会い

「就職は違う業種を2社ずつ、10社ほど受けたんですが、最初に内定をもらったところに行きました。そう決めていたんです。連絡をもらったその日のうちに『行きます!』って」

 月山が就職したのは外資系の医薬品・医療機器メーカー。高い基本給に加えて、営業成績が良ければ、インセンティブの報酬がもらえた。

「社会人になってお金が貯まったおかげで、あらためて『自分のしたいこと』を考える精神的な余裕ができました。それで学生時代からやっていたお芝居を、本格的にやりたくなった。会社員時代に知り合った演出家に、とある大きい劇場に出てみないか、と誘われたんです」

 月山の心はすぐに動いた。そして、2年間勤めた会社をあっさり退職する。

「何年間かお芝居をやっても大丈夫なくらいの貯金がありました。やっぱり、お金があると選択肢が増えるんだなぁ、と。私、手相も金運だけはいいんです(笑)。お芝居のギャラは1カ月稽古しても本番の8ステージで4万円くらい。それでも当時は楽しくて、お芝居とバイト代だけで生活できていました」

 だが、月山はひょんなことからプロレスの世界に足を踏み入れることになる。

「舞台で共演したアクトレスガールズの林亜佑美ちゃんが家に泊まりに来た時に、私が筋トレしているのを見て『そんなに筋トレ好きならプロレスやれば? 見学来る?』と誘ってくれたんです。もちろん、プロレスなんて無理だと思っていました。でも、見学だけならとアクトレスガールズの練習に行ってマット運動やったら、前転ができる、後転ができる。『私、できるじゃん。私、健康じゃん。めっちゃ楽しい!』って。すぐに練習生になりました」

 当時からプロレスに対して、まったくの無知というわけではなかったようだ。

「テレビでプロレスや格闘技を見ていました。後楽園ホールにも行きましたし、アクトレスガールズも1回見たことがあった。もちろん、自分がやるなんて思っていませんでしたけれど……。でも、縁はあったのかと思います。ちなみに、両親は私がプロレスをやっていることを知りません。ネットの記事とかも見ないと思うし、テレビもほとんど見ない。なんか浮世離れしているから、何をしているのと聞かれもしない。たぶん放任主義なんです」

 娘がプロレスラーであることを両親が本当に知らないかどうか、筆者は疑問に感じた。本当は知っているが、黙っているだけなのでは、と。

「でも『1週間家を留守にする』と家族にLINEしても、誰も『なんで?』って聞かないような家なんですよ。あなたの人生だからどうぞお好きに、って感じ(笑)。お父さんは医者だから、プロレスをやっていると知ったらケガとか嫌がりそう。正気じゃないって言われるかな、昔ながらの人なので。『なんで大学まで行ったのに、プロレスやるの』って。言われたら傷つくので、秘密にしています。両親の悩みは増やしたくないですから」

アクトレスガールズからスターダムへ

 デビューして半年が経った2021年4月、月山はアクトレスガールズがなくなるという話を聞かされた。しかし解散の正確な時期が決まらないまま話は二転三転し、5月、6月、さらに7月になっても、正式な発表がなかった。

「このまま自分の人生を預けることはできない」

 そう考えた月山は7月、アクトレスガールズに見切りをつけた。そして9月には、スターダムのリングに上がっていた。<後編に続く>

文=原悦生

photograph by Essei Hara