2022年の上半期(対象:4月〜8月)まで、NumberWebで反響の大きかった記事ベスト5を発表します。陸上部門の第5位は、こちら!(初公開日 2022年7月17日/肩書などはすべて当時)。

 日本時間7月16日から始まった世界陸上。この大会のかつての主役といえば、男子100mで世界を驚かせ続けたウサイン・ボルトだ。世界陸上の主役だった「人類最速の男」は引退後、何をしているのだろうか。

 ウサイン・ボルトが陸上競技から引退したのは今から5年前の2017年。この年の8月にロンドンで開催され、ラストレースとなった世界陸上では、100メートル走で銅メダルに終わり、400メートルリレーではアンカーを任されたものの、走行途中でハムストリングを負傷、最後は仲間の肩を借りてフィニッシュラインをなんとか越えた。オリンピックで8つの金メダルを獲得し、世界陸上で11回も1位になり、100メートル走と200メートル走の世界記録を持つ史上最高のスプリンターも、この時30歳。超人的なアスリートでさえ、寄る年波には勝てなかったということか。

2017年、世界陸上の400メートルリレーでバトンを落とし、うずくまるボルト ©Getty Images

どのクラブとも契約を締結することはなかった

 いや、少なくとも本人は、そう考えていなかったようだ。この年、ボルトは陸上競技と並ぶもうひとつの夢、プロのフットボーラーになる挑戦を始めたのだ。
 
「これは個人的な目標だ。人々がどう考えようが、オレは気にしない。これは夢であり、自分の人生の新しいチャプターであり、心からやってみたいことなんだ。もし、どうしてもやりたいことがあるなら、挑戦してどうなるか見てみたい」
 
 2017年10月にそう話したボルトは、翌2018年には南アフリカのマメロディ・サンダウンズ、ドイツのボルシア・ドルトムント、ノルウェーのストロムスゴッドセット、オーストラリアのセントラルコースト・マリナーズの練習や試合に参加。しかし最終的には、どのクラブとも契約を締結することはなかった。
 
 セントラルコースト・マリナーズにはプロ契約を打診されていたものの、提示された推定年俸15万オーストラリアドル(約1400万円)と自身の望む年俸(300万オーストラリアドルとも報じられた)に大きな差があり、合意に至らなかった(クラブ側がリーグに求めた財政援助も得られず)。また、マルタのヴァレッタから受けた2年契約のオファーも断っている。

ドルトムントで受けた厳しい評価

 ただし、彼がトライアルを受けた中でもっともレベルの高いドルトムントでは、コーチからはっきりと三行半を突きつけられている。

「もし彼が本当に最高のレベルでプレーしたいなら、やらなければならないことがたくさんある」と当時の指揮官ペーター・シュテーガーは率直に明かした。

「彼の年齢では、これから多くの成長を見込むことはできない」

ドルトムントの練習に参加 ©Getty Images

 ドルトムントとボルトはメインスポンサーが同じだったこともあり、練習参加が実現したようだが、クラブ側はあくまで「リアルな査定」を下したわけだ。

彼のファーストタッチはトランポリンみたい

 また、同時期にオーストラリアのパース・グローリーに所属していた元アイルランド代表のアンディー・キーオは、ボルトのフットボーラーとしての能力をあからさまに疑っている。
 
「(ボルトの存在により)Aリーグに注目が集まるのは良いことだが、彼がAリーグでプレーすることは考えられない」

 母国のメディア『Off The Ball』のラジオ番組でそう語り、プレーの詳細についてもこう言及した。

「個人的には、彼はプロのフットボーラーになれないと思う。(ポテンシャルは)かすかに見せたが、もし彼がプロになれたら、同業者は驚くはずだ。なにしろ、彼のファーストタッチはトランポリンみたいだから」

フットボールで求められる速さとは?

 実際、ボルトがプレーしている映像を見ると、トラップが大きく乱れてしまうことがままある。また彼は比類なき短距離走者だったが、最大の武器は中盤から後半にかかる驚異的な加速力だったと記憶している。

 しかしフットボールでは、100メートルの速さよりも、20〜30メートル(あるいはそれより短い距離)のスピードの方が重視される。つまり俊敏な動きが求められるわけだが、それはボルトの長所ではない。時に得意の左足や頭でネットを揺らすこともあったが、それは親善試合やプレシーズンマッチに限られ、トップレベルではおそらく難しいだろう。
 
 少年時代からマンチェスター・ユナイテッドをサポートしていたボルトは、「いつも試合を観ていたわけだが、一部のある選手たち──それが誰だかは言わないよ──にできるなら、自分もできるはずだ」と思ってプロを目指したようだが、実際は困難だったと痛感したのではないか。結局、2019年1月にフットボーラーになる夢を諦めたと公表した。
 
「楽しい日々だった。物事が適切に扱われなかったとは言いたくないが、思い通りに行かなかったのは確かだと思う。生きているかぎり、学びは続く。良い経験だったよ。チームに入れただけでも、すごく楽しかった」

マンU本拠地のピッチに立つ夢を叶える

2018年、マンチェスター・ユナイテッドの本拠地のピッチに立ったボルト ©Getty Images

 心のクラブであるユナイテッドの本拠地オールド・トラフォードのピッチに立つ夢は、2018年のユニセフ主催の『サッカーエイド』で叶えた。つけた背番号は、自身の持つ100m走の世界記録にちなんで“9.58”だ。

 以降、2019年、昨年、そして今年と『サッカーエイド』に出場。今年6月のロンドンスタジアムで行われた試合のキックオフ前には、自らの腕に巻いていたウクライナ国旗の色のキャプテンマークを、同国のレジェンドであるアンドリー・シェフチェンコに渡すシーンもあった。

 試合中、ボルトは「トランポリンのような」タッチを何度か見せた。

 序盤には元マンチェスター・ユナイテッドのパトリス・エブラから良質なアーリークロスが届いたものの、左足でミートできず、シュートは枠を大きく外れていった。

 その10分後には、再びエブラが左サイドを突破し、中央に走り込んだボルトはボックス内で止まってフリーになると、グラウンダーの折り返しを左足でフィニッシュ。鋭いシュートは枠に飛んだが、元イングランド代表GKデイビッド・ジェームスにセーブされた。

 見せ場はこのシーンくらいで、以降は疲れからか、ポジションを下げていったが、運動量が少ないので、守備者としてはほとんど機能していなかった。

チャリティーマッチのイングランド代表選手とマッチアップをするボルト ©Getty Images

「欧州に留まればよかったね」と後悔も…

 それでもいつもポジティブな五輪史上最大のアイコンのひとりは、ちょっとしたボタンの掛け違いさえなければ、あるいは異なる結果になっていたかもしれないと、最近のインタビューで話している。
 
「選択を間違ってしまったんだ」とユニセフのユニホームを着たボルトは口にした。

「陸上競技から引退した時、メディアから逃れるために欧州を離れたかった。そしてオーストラリアに行ったのだが、そこのフットボールのレベルは高くなかった。欧州に留まればよかったね」

昨年はプレミアリーグ観戦に何度か訪れたボルト。近年はイベントへの出席などでメディアの前で姿を現している ©Getty Images

 むろん、この発言はオーストラリアのメディアや識者からの反論を受けている。なかには「マリナーズ時代の彼のトレーニングを取材していたが、ゴミだった」(FOXスポーツオーストラリアのジェームス・ドッド記者)とまで厳しく否定する向きもある。

 抜群の運動能力を持つアスリートにしてみれば、複数の競技をこなすのは造作ないことに感じるのかもしれない。1950年代にはサッカーとアイスホッケーの選手として夏と冬の五輪に出場し、後者で金メダルを獲得したフセボロド・ボブロフ(ソ連)というスーパーアスリートがいた。また史上最高のバスケットボールプレーヤー、マイケル・ジョーダンも一度目の引退の後に、亡き父の夢を追って野球のマイナーリーグに挑戦している。
 
 だが、陸上競技とバスケットボールのスーパーレジェンドも、別のスポーツでは大成できなかった。「トランポリン」や「ゴミ」という表現は辛辣すぎたとしても、モダンフットボールのトップレベルにボルトの居場所はなかった。もっとも、彼がチャリティーマッチで惜しいシュートを放ったりすると、「悩めるユナイテッドの前線を助けて!」といった反応がいまだに起きたりするけれども。

文=井川洋一

photograph by Getty Images