2022年の上半期(対象:4月〜8月)まで、NumberWebで反響の大きかった記事ベスト5を発表します。フィギュアスケート部門の第1位は、こちら!(初公開日 2022年7月20日/肩書などはすべて当時)。

 競技人生は永遠に続けられるわけではない。誰もがいつか、終止符を打つ日を迎える。

 稀代のフィギュアスケーターにも、その日は、やってきた。

 しかしそれを告げる記者会見は、今まで目にしてきたさまざまな競技の、どのアスリートのときとも、どこか違っていた。

 7月19日、羽生結弦は長きにわたった競技生活を終え、プロの世界へ進んでいくことを発表した。

会場に姿を現した羽生

開場はるか前から多くのメディアが待機

 記者会見は午後5時の開始を予定していた。会見場のオープンはその1時間前の午後4時。だがそれよりもはるか前、少なくとも30、40分前にはほとんどのメディアが受付の前に待機し、開場するのを待ち受けていた。前日に配信されたリリースには「決意表明の場として」の会見であることが記されていた。それぞれに思いを巡らしただろう、ただ、いかなる内容であれそれを見届けたい、耳を傾けたいという熱意の表れのようでもあった。

 新型コロナウイルスの影響下、席と席は間隔をとり、前後の席は見やすさを考慮してだろうか、ずらして配置されている。取材者の数自体も、相当絞っていたようだ。テレビ、新聞、出版社系、フォトグラファーあわせて150名前後だろうか。会場の後方には15のテレビカメラの三脚が並ぶ。

「こんにちは。羽生結弦です」

 時間は刻々と近づく。BGMがやみ、午後5時、司会者の言葉のあと、羽生は下手から壇上に姿を現した。スーツにネクタイを締める羽生は、深々と頭を下げた。

「こんにちは。羽生結弦です」

 第一声、そう話したあとに感謝の言葉を述べた羽生は語った。

「まだまだ未熟な自分ですけれども、プロのアスリートとしてスケートを続けていくことを決意いたしました」

 フィギュアスケート界では、競技に打ち込むスケーターと、プロとで大きく二分される。プロスケーターは公式の競技の大会に出場することはない。すなわち、競技から退くことを意味していた――いや、そうではなかった。

 そこからの1時間あまりの会見で語られた言葉は濃密であり、いくつもの方向性で記事にできるかのようだった。それら詳細については、Number本誌で予定されている記事に譲るとして、羽生がときに毅然と、きっぱりと、力強さをもって語ったのは、「退くのではない」ということだった。

「寂しさは全然ない」と語った理由

 例えば会見中、「決断したことに寂しさは」と尋ねられると、こう答えた。

「寂しさは全然ないです。むしろ今回、最初にこの会見の案内文を考えていたときに、『今後の活動について』とか『今後の活動に関して』みたいに書いていたんですけど、自分の中でそうじゃないなって思って」

 あるいは、「決断に至った時期、競技生活を離れようと思った時期」等についての質問にはこう話した。

「競技者としてここで終了というか、ここからプロになろうと思うことは多々ありました。平昌オリンピックが終わった段階でも思いましたし、新たなスタートとして次のステージに向かいたいと。ネガティブに引退とか、何か不思議ですよね、フィギュアスケートって。現役がアマチュアしかないみたいで不思議だなと僕は思っているんですけど。実際、甲子園の選手が野球を頑張っていて甲子園で優勝しました。プロになりました。それは引退なのかなと言われたら、そんなことないじゃないですか。僕はそれと同じだと思っていて、むしろここからがスタートで、これからどうやって自分が見せていくのか、どれだけ頑張っていけるかというところが大事だと思っているので」

 引退――引いて退くのではないこと、会見中に何度も言葉にした「挑戦」をこれからも続けていくことが根幹にあった。その舞台が変わるに過ぎないこと、それが誤解なく伝わるように、懸命に伝える姿があった。

はっきりと語った「今がいちばんうまい」

「フィギュアスケーターってこれくらいの年齢で競技を終えるよね、ここからうまくならないよね、むしろ停滞していったり維持するのが大変だったりするよね、という年齢がだいたい23、24歳ぐらいで切り替わってしまうのが定例みたいなものでした。だけど僕自身は23歳で平昌五輪を終えて、それから今の今まで、ジャンプの技術も含めて、かなり成長できたと思っているんですね。その中でどういう努力をしたらいいか、どういう工夫をしていけばいいかが分かったからこそ、今があるんだなと思っています。そういう意味で今がいちばんうまいんじゃないかなと思っています」

 完全なる成功こそおさめられなかったが、昨シーズンの全日本選手権や北京五輪でついにチャレンジした4回転アクセル、他の4回転ジャンプの完成度、さらには先の「ファンタジー・オン・アイス」などで披露した表現面、それらを見れば、「今がいちばんうまいんじゃないか」という言葉に大げさな感じは一切ない。

「壁の向こうにはまた壁があった」とかつて語ったように、その歩みを振り返れば、壁を乗り越えてはまた次の壁にあたり、それを乗り越えて、と進化してきた時間がある。そして扉を開き続けるうちに、ついに次のステージへの扉を開いたのだ。まさに「決意表明」であった。

湿り気や惜別の感は一切なかった

 そうした時間と空間は、競技生活から離れることを告げる特別な場であり、でも、誤解を恐れずに言えば、どこか「いつも」のようでもあった。

 アスリートの引退会見は、どうしても、どこか湿り気を含んできたり、惜別や寂寥の感に包まれがちだ。

 でも、それらとは無縁のようだった。今なお進化し続けるアスリートたる姿と、さらに高みを目指す意思あればこそだった。だから、去り行く人をおくるような惜別の空気は生まれなかったし、羽生の話が進むにつれ、次へ向けた決意表明の時間という色がより深まり、かつてなかったような会見が形となって表れたのだ。

記者もフォトグラファーも笑顔になった瞬間

 会見が終わったあと、フォトセッションに移り、いくつものパターンの撮影のあと、フィギュアスケートらしさのあるポーズのリクエストがあった。

「えー」

 困ったような笑顔で少し考えた羽生は、『SEIMEI』のポーズなどでにこにこと応えてみせた。その様子を見守るメディアの人たちの表情にも、フォトグラファーの人の中にも笑顔がこぼれた。

 その明るい空気こそ、この記者会見を、羽生のこれからを象徴しているようだった。

 すべてを終えた羽生は、壇上で「ありがとうございました!」と挨拶すると、会場を去り際にももう一度、「ありがとうございました!」と声を発した。

 見慣れた羽生の姿がそこにあった。

撮影=榎本麻美

2022年上半期 フィギュアスケート部門 BEST5

1位:羽生結弦の“ある行動”で記者とカメラマンが笑顔に…現地で見た、決意表明会見の“テレビ中継には映らなかった真実”「困ったような笑顔で…」

https://number.bunshun.jp/articles/-/854598

2位:「結果と注目度の差に自分がついていけなかった」本田真凜21歳が振り返る“浅田真央2世と言われたジュニア時代”《特別グラビア》

https://number.bunshun.jp/articles/-/854597

3位:7歳上の浅田真央が「昌磨君はフィギュアに来なよ」宇野昌磨、浅田、安藤美姫…なぜ日本の名フィギュアスケーターは愛知から生まれるのか?

https://number.bunshun.jp/articles/-/854596

4位:《独占インタビュー》引退・宮原知子24歳が明かすプロスケーターとしてのこれから「本格的なフラメンコで滑りたい」「医学にも興味」

https://number.bunshun.jp/articles/-/854595

5位:羽生結弦の振付師「『プロ転向おめでとう』と連絡したら、すぐに彼から…」シェイリーン・ボーンが振り返る「ユヅは自分の『声』を持っていた」

https://number.bunshun.jp/articles/-854594

文=松原孝臣

photograph by Asami Enomoto