中日の福留孝介が今シーズン限りでの引退を表明した。45歳4カ月。日本球界最年長が、24年間の現役生活にピリオドを打つ。日米合算2450安打。同520二塁打。NPBでは首位打者を2度獲得し、2006年にはリーグMVPにも輝いた。

 PL学園では3度の甲子園で3本塁打を放ち、世代最強打者として評価された。ドラフト会議では7球団が1位入札。交渉権を獲得した近鉄の佐々木恭介監督が「ヨッシャー」と会場に響き渡る声で叫んだのは、ドラフト史の名場面のひとつである。しかし、巨人あるいは中日を志望していた福留は、入団を拒否。入社した日本生命時代に出場したのがアトランタ五輪(1996年)である。

2004年アテネ五輪のイタリア戦でソロホームランを放った福留はチームメートの祝福を受ける。上原、松坂、中村紀らそうそうたる顔ぶれが並ぶ ©JMPA

 まだ全選手アマチュアで構成されたこの大会で銀メダルを獲得。初めてオールプロで臨んだアテネ五輪(2004年)にも選出され、この時は銅メダル。そして日本の野球ファンが福留と聞いて最も印象に残っているのは2006年の第1回WBCではないだろうか。

 まだ「侍ジャパン」の呼称はなかったが、開幕前の3月に開催された大会にもかかわらず、日本を代表する侍が集っていた。野手の中心にはイチローがいて、投手の中心には松坂大輔がいた。率いたのは現役監督の王貞治。福留自身も前述のようにリーグMVPに輝くシーズンであり、まさにキャリアの絶頂期を迎えていた。

 東京で第1ラウンド、アリゾナでの短期合宿をはさみ、アナハイムで第2ラウンド。ここで、のちのドラマの伏線となる事件が起こる。

 イチローの先頭打者ホームランで始まった米国との一戦は、同点のまま8回を迎えていた。一死満塁と攻め立て、岩村明憲がレフトにフライを打ち、西岡剛がタッチアップで本塁をねらった。勝ち越し点。デレク・ジーターが「離塁が早かった」とアピールしたが、二塁塁審はセーフとジャッジした。しかしボブ・デービッドソン球審が「アウト」とコール。現在ならチャレンジで簡単に片付くような明らかな誤審だったが、当時は王監督の抗議もはねつけられた。

 幻の勝ち越し点。9回サヨナラ負け。東京に続き、アナハイムでも再び韓国に屈し、1勝2敗で第2ラウンドを終えた。セミファイナル進出は絶望的な状況だったが、すでに敗退が決まっていたメキシコが米国を破る金星を挙げ、韓国以外の3チームが1勝2敗で並んだ。大会規定による失点率、わずか0・01差で日本は生き返った。

「孝介は孝介であれば」PL先輩の言葉に…… 

 舞台をサンディエゴに移しての韓国とのセミファイナルは、緊迫した投手戦になった。上原浩治が踏ん張るが、打線も韓国先発の徐在応を打ち崩せない。福留はこの試合、ベンチスタートだった。東京、アナハイムでの6試合で19打数2安打。しかし、王監督は先発を外れることを告げる時、こんな言い方をしている。

「必ず大事な場面で行くからな」

 悩んだり、ふさぎ込んだりしている場所ではない。福留も「大事な場面」を待った。心が少し軽くなったのは、代表チームの精神的支柱であり、PL学園の先輩でもある宮本慎也の言葉だった。

「孝介は孝介であればいいんや」

 実は福留は松井秀喜の選出辞退により、追加招集されていた。宮本も同じだった。初めての大会。今のように早くから監督が決まり、視察と会議を重ねて選んでいたわけではない。選ぶ方も選ばれる方も手探りゆえに「辞退」と「代役」はそれぞれの立場に苦しんだ。しかし松井ではない。福留は福留。先輩の助言にはそんな意味が含まれていた。

日本代表の試合でも抜群の勝負強さを発揮した福留 ©Naoya Sanuki

「大事な場面」は7回一死二塁。これまたPL学園の後輩・今江敏晃の代打だった。王監督は下手投げの金炳賢に左の切り札をぶつけると決めていた。

「先頭の松中(信彦)さんが二塁にヘッドスライディングで出たでしょ? あれでベンチの雰囲気は一気に高まった。あれを見て何も感じない人間はいませんよ」

 3球目をフルスイング。打球はライトスタンドに刺さるように飛び込んでいった。代打での2ラン。ここから一気に打線はつながり、この回だけで5得点。8回にも突き放し、3度目の対戦で宿敵を下した。決勝ではキューバを撃破し、世界の王を世界一の監督にした。

「シーズン前の大会で、苦労していて調子が上がらない中、周りに迷惑をかけていた。でも代打で使ってもらって。運に恵まれていたんだと思います」

王さんを世界一の監督に! 絆が生んだ劇的2ラン

 引退会見ではこのホームランについても質問され、福留は答えていた。銀、銅に続く自身初めての世界一。未知なる大会は国内のファンも手探りだったが、誤審騒ぎや韓国との死闘をへて、気がつけば沸騰していた。

「アメリカにいたので日本の盛り上がりはわからなかったんです。でも日本に帰ってきて、名古屋駅の人の多さにびっくりした。それは覚えています」

代打2ランを放ち、ベンチで仲間に祝福を受ける福留 ©Naoya Sanuki

 文字通りのヒーローの凱旋に、新幹線のホームは密、密、密の人だかりであった。とてつもない重圧と引き替えに得た人生の誇り。引退を知った王監督(現・ソフトバンク球団会長)はこんなコメントでねぎらった。

「優勝につながる最高の本塁打を打ってくれた。僕の野球史に残っている」

 日米をまたにかけ、世界の舞台で何度も戦ってきた福留だが、これを上回る言葉は、恐らくあるまい。

文=小西斗真

photograph by Naoya Sanuki