「代表ってもっとギラギラした場所だと思っていた」ロンドン五輪4位とブラジルW杯惨敗……“成功と失敗”を味わったセレッソ大阪・清武弘嗣(32歳)のインタビュー。現在の日本代表への本音を明かす(全2回の2回目/#1へ)。

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「代表ワンチャンあるかなと思っていたので…」

「東アジアE-1選手権はぜんぶ見ました。セレッソで一緒だったとか、仲がいいとかを抜きにしても(水沼)宏太がいちばんいいプレーをしていたし、誰が見ても熱い気持ちを感じたんじゃないですか。あんな風に代表への思いをギラギラ出している宏太を見るのは嬉しかったです。もちろん、自分も今年は調子がよかったし、(E-1で)ワンチャンあるかなと思いながらプレーしていたので、その前にケガをしてしまった悔しさはありましたけど……」

 7月に行われたE-1で同じロンドン世代、同学年の水沼の活躍に元日本代表MF清武弘嗣(32歳)は刺激を受けたという。自身も久々の代表復帰をねらっていたが、6月下旬に左足のじん帯を痛めてしまったことで約2カ月の戦線離脱を強いられ、2人の競演は叶わなかった。

2017年2月にセレッソ大阪に復帰した清武。2020年はリーグ33試合出場8ゴール、21年はリーグ32試合出場2ゴール。今季も開幕から活躍を見せたが、6月26日の清水戦で左足の靭帯を痛めた。9月17日の磐田戦で3カ月ぶりに先発復帰、アシストも記録している

 清武が代表を離れてから約5年半が過ぎた。かつて自分がプレーしていた頃と代表を取り巻く雰囲気に変化を感じないわけではない。ただ、そこが憧れの場所であることに変わりないし、いまでも代表の試合は可能な限り見ていると話す。

「自分なんて……」と謙遜しつつも、E-1での復帰をどこかで期待していたと聞けば、清武がいまどういうスタンスで代表を見ているのか気になる。「もし自分が入ったら……」様々なことを想像しているのだろうか。

日本代表に初選出された

「いや、いちサッカーファンとしてですよ(笑)。ただ、最終予選ではサコ(大迫勇也)がCFに入っていたので、サコの周りにもう少しフォローする選手がいたら、とかは思っていました。サコとは代表で一緒にプレーしていたし。キープがうまいので、ボールが入ったときにトップ下でシンプルに受けてあげたら、もっと(攻撃が)スムーズになるかなって」

「代表ってもっとギラギラした場所だと思っていた」

 小学2年のときに見た97年11月の“ジョホールバルの歓喜”はよく覚えている。フランスW杯出場をかけたイランとのアジア第3代表決定戦、第1次岡田ジャパンは岡野雅行の決勝ゴールで辛くも勝利しW杯初出場を決めたが、それが清武にとって日本代表のいちばん古い確かな記憶だという。

 大分県大分市で育った清武は、父親がコーチを務めていた少年団でサッカーをはじめ、同じ小学校の先輩ですでに日本代表入りも果たしていた三浦淳寛に憧れ、ボールを蹴った。

 中学1年だった2002年には、大分で日韓W杯も行われた。メキシコ対イタリアやセネガル対スウェーデン、地元で開催された試合に足を運び、夢中で見た記憶は鮮明に残っている。

 日本代表やW杯を常に目指してきたのは、そんな生い立ちとも無関係ではないのかもしれない。

 ただ、清武の思いとは裏腹に、昨今は日本代表人気の陰りが囁かれ、若手選手のなかにも「まずはクラブ。代表はそのあと」とクールな発言をする者も少なくない。

 先のE-1でもカタールW杯に向けて多くの若手がテストされながら、清武も指摘したように懸命なプレーで最もアピールした一人が32歳のベテラン水沼だったことに異論はないだろう。代表人気低迷の裏には、どこか熱がなくなったというか、選手間でも日の丸をつける重みに変化が出てきているのかもしれない。

「時代なんですかね。代表ってもっとギラギラした場所だと思っていたのですが……。僕も最近の若手選手のことはわからないですが、セレッソでも若手から代表について聞かれることはほぼないです(苦笑)。

 いまはJリーグでも代表に入った経験のある選手はたくさんいます。ただ、たとえばザックさん(アルベルト・ザッケローニ元代表監督)の頃は結果を残して初めて入ることができる雰囲気があった。もちろん、いい選手を試すことは悪くないですが、最近は海外に移籍すれば代表に入れちゃうみたいな声も聞くじゃないですか。もちろん自分が何かを言える立場ではないんですけどね」

 かつてはドル箱だったW杯アジア最終予選も、アウェイ戦は地上波での放送がなく、DAZN(インターネット配信)のみの中継になってしまったことは代表人気低迷の象徴と言っていいだろう。

「最終予選のアウェイ戦が地上波でなかったこともそうですし、僕自身も日本代表やJリーグのことが世間であまり話題になっていないことは感じています。たとえばE-1だって、自分から知ろうと思わなければ結果の情報も入ってこなかったですから。自分としては、サッカー文化、Jリーグの文化をもっと根付かせられればと考えていますが、それがいまは薄れているように思えて、ちょっと悲しいですね」

「日の丸を1度経験すると、手放したくなくなるんです」

 2011年8月10日、札幌――。清武は日韓戦(3−0)で、故障した岡崎慎司に代わって前半36分にピッチに入ると、2アシストをマークするなど鮮烈な代表デビューを飾った。

「あのときはベンチに家長(昭博)くんも松井(大輔)さんもいたから、アップしながら『どうせオレは出ないだろう』って感じでした。でも、岡ちゃんがケガして家長くんが『オマエっぽいぞ』って。何かを考えるような暇はなかったですが、ここからスタートやな、とにかくガムシャラに結果を出そうという気持ちでピッチに入りました。僕が右MFで、右SBが(内田)篤人くんですごくやりやすかった。日本代表のユニフォームで初めて戦ったあのときの興奮は忘れないですね」

 その後、清武は17年までに43の代表キャップを刻んできたが、いまも日本代表への思いはそのときと変わらない。

「これまでにも言っていましたが、代表に入って日の丸をつけると、そこから離れたくない気持ちが強くなるんですよ。満員のスタジアムのなか、整列して国歌を歌い試合に臨む、そんなことほかでは経験できないじゃないですか。言葉で表すのは難しいですが、1度経験すると手放したくなくなる……もちろん、国を背負うことは軽いものではないし、入るには覚悟が必要ですけどね」

ロシアW杯を逃して…「このままなら引退かも」

 24歳で臨んだ14年ブラジルW杯は1試合に途中出場したのみで、出場時間はわずか5分ほどだった。以降、18年ロシアW杯に主力として出場することを目指し、アジア最終予選では7節(全10節)までの5試合に出場するなど終盤まで主力の1人としてプレーしていた。だが、ドイツ、スペインでのプレーを経て17年2月に帰国すると、同年3月を最後に代表から遠ざかる。17年6月のアウェイのイラク戦で招集外となると、キャリアのピークで迎えるはずだったロシアのピッチに立つことはなかった。

「あの頃はちょっと走ったら肉離れして、マジでケガを繰り返していたし。『全力でプレーできないオレみたいな奴が代表になる資格なんてない』と思っていました。もちろんロシアでプレーしたい気持ちはめっちゃ強かったですよ。ただ、僕は日本代表は最高のパフォーマンスを出せる選手が行く場所だと思っているから、ケガを抱えて万全でない自分が選ばれないのは当然やなと。代表って自分のためじゃなく、日本のため、日本サッカーのために戦う場所じゃないですか。だから、当時はケガが続いた悔しさもあったし『このままなら引退かも』って本気で考えていましたからね」

 ロシアW杯予選終盤は確かにケガに泣いた。それでもハリルホジッチ監督が率いていたチームのなかで、清武がチームの中心になった瞬間もあった。それだけに、ロシア行きを逃した悔しさは相当だったはずだ。最後はハリルホジッチ監督も解任され、清武の夢は泡と消えたが、“清武待望論”がネット上で話題になったこともあった。

「こればっかりはしょうがない。自分で掴めなかったことなんで。努力や成長が足りなかったというしかないし、結局は本田(圭佑)さんだったり、岡ちゃん、(香川)真司くんのポジションを奪えなかったのは自分の実力。ハリルさんが続けていたらどうだったかとかはあまり意味がないと思います」

“サプライズ枠”は「まったくないです(笑)」

 現在32歳。近年、選手寿命は伸びる傾向にあるが、清武はサッカー選手としてその年齢をどう捉えているのだろうか?

「すごく楽しいですよ。経験も積んできて、自分の身体との向き合い方やトレーニングの仕方もわかってきて。コンディションの良し悪しも自分で理解できるし、まだまだ全然プレーできると思っています」

 最後に1つ。カタールW杯の登録メンバーはこれまでの23人から26人に増えた。“サプライズ枠”の議論も出てきているが、自分にも少しはチャンスが増えたという思いはないだろうか?

「それは、まったくないです(笑)。最近、ようやくケガから復帰できたばかりですし。もちろん代表はずっと目指していたい場所ですが、年齢は関係ないと思いつつ、現実的には世代交代が進んでいますから。それに選ぶのは、監督です。自分としては、まず所属のセレッソでいいパフォーマンスを見せるだけだと思っています」

<前編から続く>

文=栗原正夫

photograph by J.LEAGUE