オリックスを26年ぶりの日本一に導いた主砲、吉田正尚。第5戦に放った劇的すぎるサヨナラ2ランは、2022年日本シリーズのハイライトシーンとなった。今や日本の主砲ともいえる稀代のスラッガーの原点を、青学大前監督の河原井正雄氏に聞いた。〈全2回の2回目/#1へ〉

 日本シリーズ第5戦の9回裏、土壇場で4−4の同点に追いつきなおも2死一塁。マクガフの高めに浮いたスプリットをフルスイングで捉えた吉田正尚の一撃は、大きな放物線を描き京セラドームの5階席へと着弾した。

「さすがに私も鳥肌が立ちましたよ。打った瞬間に正尚が右手を上げたんですけどね、その後ろの観客席が全員、大歓声とともに総立ちになって打球の行方を見つめていた。あの光景を見たらもう……なんとも言えない思いになりました」

 青学大監督として東都大学リーグ優勝12回、大学日本一は4回。小久保裕紀(ソフトバンク二軍監督)、井口忠仁(前ロッテ監督)ら多くのプロ野球選手を送り出してきた。そんな海千山千の名将をも「驚きましたね」と唸らせた逸材が、18歳の吉田だった。出会いは2010年の秋、敦賀気比高のグラウンドだ。

「天気が悪くてグラウンドが使えない状態でしたが、私が見に来ているから、と吉田が一人でずっとバッティングをしていたんです。一目見て、これはいい、ちょっと他にはいないぞ、と思いました。聞けば、青学へ進学希望だという。本当にうちに来てくれるんですか? 本当に? ってな感じですよ。これはいけるぞ、よし! と思いました」

 何より驚いたのは、そのヘッドスピードの速さだった。プロ野球で一軍の主力打者のヘッドスピードは150㎞/hを超えると言われるが、吉田は大学入学時点ですでに148㎞/hもあった。1年生から4番に座っていた敦賀気比高では通算52本塁打。左打者ながら、当時から左投手を全く苦にせず打ち込んでいたのも魅力だった。

「想像を絶するほど……」誰もが目を疑った弾道

 大学入学後、当時の河原井監督は春のリーグ戦開幕からいきなり吉田を「DH」で起用し、5番や6番を任せた。忘れられない一撃がある。

「おい、今の見たか? 何なんだ……」

 思わずそう口にしていた。

「神宮で右中間にライナーを打ったんです。これは(外野手の間を)抜けたな、と思ったら、そのままスタンド中段に入っていた。呆然としましたよ。打った瞬間、だいたい打球があそこに落ちるというのは分かるものなんですが、想像を絶するほど打球が伸びた。センターの選手がライナーを捕ろうと前に出てきたら、それがホームランになってしまった、という感じの打球なんです。これは決して大袈裟じゃない。大谷翔平もそういう球を打つらしいけど、正尚の打球にも同じような伸びがある。あれには本当に驚きました」

 その試合後、コーチや顔を合わせたOBに「あんなの見たことあるか?」と尋ねてみた。皆揃って首を振り、こう答えた。

「野球をやっていて初めて見ましたよ。あれは凄い」

 1年生ながら春、秋ともに東都リーグのDH部門で「ベストナイン」に選出。2年生からは外野手として出場し、のちにオリックスでチームメートになる2学年上の杉本と共に主軸を担うようになった。早くから注目を浴びたが、意外にもプロスカウトの評価は二分されていたという。この頃、河原井氏は教え子で当時まだ現役だった小久保と井口に電話をかけている。

「“面白い選手が入ってきたぞ。ちょっと見に来いよ”と言ったんです。でも身長が173㎝で右投げ左打ち、足の速さは普通、肩の強さも普通、と聞くと、“プロ野球の二軍にはそういう外野手は腐るほどいるんですよ”ってね。プロの評価ってのはなかなか難しい。こんなにバットを振れる選手はいない、といくら言っても、体がそこまで大きくなくて足や肩が普通なら魅力はない、と捉えた球団もあったと思います」

 当時、そんな吉田を早くから高く評価していたのが後に単独で1巡目指名することになるオリックス、そしてヤクルトだった。ヤクルトは結局、吉田と同じ「右投げ左打ち」ながら、六大学で通算最多安打のリーグ記録を更新した明大・高山俊(現・阪神)を指名。くじ引きとなったことで、当時の真中満監督の「当たりクジ勘違い事件」が起きたのだが、それは余談。いずれにしろ、その7年後にヤクルトとオリックスが争った日本シリーズでヒーローとなった吉田は、この2球団と神宮球場に本当に縁があったのだろう。

 吉田は、日本シリーズ終了後にポスティングシステムによるメジャーリーグ挑戦の希望を表明。11月3日には球団側に意思を伝え話し合いが行われた。河原井氏のもとにも、その少し前にきっちりと連絡があり、夢に挑戦したいという熱い思いを明かしていたという。

青学大時代から描いていたメジャーへの夢

 青学時代から、吉田はメジャーリーグ中継を食い入るように見て、当時ナショナルズに所属していて本塁打王も獲得したブライス・ハーパー(現フィリーズ)に憧れていた。

「大学4年の春には、アリゾナでキャンプをやったんですよ。レンジャーズが使う施設を借りて、マイナーチームとも試合をした。そこで施設を見学したり、当時レンジャーズにいたダルビッシュ(有)や藤川球児が来てくれて選手たちと話す機会もあった。あの時に、正尚も色々と感じたものがあったんじゃないかな。そのころから、ずっと夢を描いていたんだと思いますよ」

 夢の実現へ一歩を踏み出す決心を固めた愛弟子の姿が頼もしい反面、ちょっぴり心配なことも。

「オーストラリアに行ったときには、帰りの空港で正尚がパスポートがない! って言い出してね。ホテルを出る前、何度も確認しろと言ったのに。出発カウンターのところでスーツケースの荷物を全部ひっくり返して大捜索。結局見つかったんだけど、そういうちょっと抜けてるところもあるんですよ(笑)。懐かしいですね。でも、もし来年から正尚がいなくなったら、プロ野球を見る楽しみもなくなっちゃう。それはそれでつまらないね……」

 名将が「必ず結果を出す男」と評する稀代のスラッガー。そのスイングが、今度は全米を驚かせることになるのだろうか。

《前編を読む》

文=佐藤春佳

photograph by Hideki Sugiyama