MotoGPに参戦する日本メーカーの一つ、スズキが今季を最後にグランプリから撤退する。そのラストランとなった最終戦バレンシアGPで、エースのアレックス・リンスが優勝した。
リンスは2017年にスズキ入りして6年目のシーズン。2015年にグランプリ復帰を果たしたスズキとともに成長し、スズキを引き上げてきた立役者で、バレンシアでは予選5番手からホールショットを奪うと、後続を寄せ付けず、27周のレースで真っ先にチェッカーを受けた。
この大会は、総合首位のフランチェスコ・バニャイアと、23点差で追うファビオ・クアルタラロのチャンピオン争いとなるレースだった。クアルタラロの逆転のシナリオは、クアルタラロが優勝して、バニャイアが15位以下というもの。レースは何が起きるか分からないとはいえ、今季7勝を挙げて圧倒的リードで最終戦を迎えたバニャイアのタイトル獲得を疑う者はほとんどいなかったのではないだろうか。
フタを開けてみれば、必勝を義務づけられたクアルタラロは4位に終わる。一方のバニャイアはレース序盤にクアルタラロと接触してカウル右側のエアロパーツが外れ、その影響でややペースを落としたが、しっかり9位でフィニッシュしてタイトルを獲得した。
圧倒的に速かったスズキとリンス
ただ、いずれにしてもクアルタラロが追い上げて優勝することはないと思わせるほど、リンスの走りが力強かった。
レース終盤、2番手を走っていたホルヘ・マルティンがやや後退。代わってブラッド・ビンダーが2番手に浮上してリンスとの差を少しずつ縮めたが、残り周回数を考えれば逆転はほぼあり得ない状況だった。
そのとき僕は、大会開幕前日のスズキの佐原伸一プロジェクトリーダーの言葉を思い出していた。
「いよいよ最後のレースになってしまったけれど、自分としては平常心。普段と変わらず、オートバイとライダーのポテンシャルを100%発揮できるようにしたい。とにかく、トラブルでレースを終えるということだけは絶対に避けたいですね」
そして、こう続けた。
「今回は、ファビオとペコ(バニャイアの愛称)のタイトル決定戦ですね。23点差だから、ファビオはまずは優勝しなくちゃいけない。個人的にはファビオを応援しているし、チャンピオンになってもらいたい。でもね、我々も最後のレースで優勝を目指しているし、となればファビオの逆転は難しいことになるね。んんん……複雑な心境だなあ」
それがまさに現実となった。1960年にマン島TTに出場して以来、参戦を休止していた時代はあるが、スズキはラストランを見事、優勝で締めくくった。今回のスズキの撤退は一時休止というより完全撤退というニュアンスが強く、それだけにリンスの優勝は世界中のスズキファンを驚かせ、感動させることになった。
自動車メーカーとしての決断
ホンダのF1撤退もそうだが、やめるとなると、なぜこんな結果になるのだろう。やめるのをやめたら? という気持ちになってしまうが、世界的に見れば、バイクメーカーというより自動車メーカーとして認知されているスズキにとっては、脱炭素という世界の流れの中での苦渋の決断だったのだと思う。実際、グランプリに携わったスタッフには、これからEVバイクの開発に携わる人もいて、もしグランプリがEVバイクの戦いになったときには、再度の復帰もあるのではないかと思ったりした。
佐原氏に、秘密の塊のようなスズキのMotoGPマシンをすべて公開してはどうだろう? という提案をすると、こう答えてくれた。
「これから量産車に転用できる技術も多いので、さすがに全部見せるわけにはいかない。まあ、見せられるものは見せたいとは思っていますが……」
MotoGPクラスは、シーズンがスタートすればエンジン開発が禁止される。使用できるエンジンは開幕戦で届け出た仕様だけであり、それ以外は使えない。そのためファクトリーで作られたエンジンは封印され、FIM(国際モーターサイクリズム連盟)の技術委員によって、定期的に違反がないかどうかの分解検査を受ける。つまり、現場でエンジンが開けられることはない。
そのため、ファクトリーチームで働くメカニックやスタッフは、エンジン内部を見ることもなく、例えばどんなピストンを使っているのかを知ることはない。それだけトップシークレットの塊なだけに、スズキがいまのMotoGPマシンがどうなっているかを公開すれば、世界中のレースファンが喜ぶと思うのだ。
ラストランで優勝したリンスは、こう語った。
「今シーズンを最後にスズキはMotoGPから去るが、これ以上ない形で締めくくることができたし、優勝したことを誇りに思う。この数年間、スズキと一緒にたくさんのことを学んできた。これからはレース人生の新たなスタートを切るが、みんなに感謝している」
生え抜きのエース、そしてムードメーカーとして、スズキをMotoGPクラスのトップコンテンダーに引き上げた。2020年シーズンは後輩のジョアン・ミルがタイトルを獲得したが、タイトルを獲得できるマシンに仕上げたのはリンスの功績だ。
感謝と涙のラストラン
スズキのラストシーズンを受け持つことになった佐原氏は、開幕前日にこうも語っていた。
「20年にミルがチャンピオンを決めたときは現場にいなかったので、自分としては今年のオーストラリアの優勝が一番印象深いレースになった。コンストラクターズのトロフィーを受け取るために表彰台にも上がることができたし、本当に忘れられないレースだった。スズキをこれまで応援していただき本当にありがとうございます。ここまでやってこられたのはみなさんの応援があったからこそ。これがスズキにとっては最後のレースになるけれど、これからも、好きなチーム、ライダーを応援して盛り上げてほしい」
リンスとミルのヘルメット、そしてGSX-RRには「ありがとう」の感謝のことば。そしてスタッフの写真がデザインの中に埋め込まれていた。苦楽をともにしてきたスタッフにとっては、涙涙涙のラストラン。記憶に残る優勝で、スズキの最高峰クラス(500cc/MotoGP)での勝利数は97となった。
文=遠藤智
photograph by Satoshi Endo