雑誌「Sports Graphic Number」と「NumberWeb」に掲載された記事のなかから、トップアスリートや指導者たちの「名言」や写真を紹介します。今回は千代の富士にまつわる4つの言葉です。

<名言1>
体で負けているんだから、気力では負けるな。
(九重親方/Number271号 1991年7月5日発売)

◇解説◇
 北の富士勝昭さんは現在、御年80歳。大相撲テレビ・ラジオ中継で舌鋒鋭く関取を評する人気解説者だ。そんな北の富士さんは現役時代、幕内最高優勝10回を果たすなど第52代横綱として、1960〜70年代の角界を大いに盛り上げた。

 さらに九重親方時代に大横綱・千代の富士を育て上げたことで名伯楽としても知られている。1991年、千代の富士引退にあたってNumberのインタビューに応じてくれた九重親方。「ハンディを乗り越え、千代の富士は何故最強たりえたか」というテーマでの取材に、包み隠さず本音で語っている。

「体は小さい、そして怪我も多かったけれど、しかし、強靭なバネとか運動神経、集中力といった点で、やはり天才的なものを持っていたんじゃないですか。(中略)それに加えて研究熱心。相撲に対する集中力も凄いし、とにかく精神面が大きかったと思うんです」

「それこそ胸の筋肉をピクピクさせてでも…」

 千代の富士と言えば筋力トレーニングで鍛えた圧倒的な肉体美とともに、自分よりも一回り近く大きい力士に対しても全く臆せず挑んでいく姿だった。その心技体が相撲ファンにとどまらず世間一般にも強烈な印象を与えることになったのだが、当時九重親方は「気力で負けるな」と伝えるとともに、このようにも助言していたと明かす。

「『横綱でも何でも土俵に上がったら五分と五分なんだから、うんと睨んで、それこそ胸の筋肉をピクピクさせてでも威嚇しろ。何か言われたら俺が責任をとるから、とにかくいけ』と言ってけしかけました。だからあの頃さかんに、たいして厚くもない胸をぐっとそらしてた。それでも効果があったと思いますよ」

 千代の富士という存在自体で、相手を威圧する。それが圧倒的だったオーラの正体なのかもしれない。

 なお千代の富士も九重親方からの教えについて、このように語っていたことがある。

「右肩まで脱臼した時、親方に、お前は、こんないい相撲を前に取ったこともあるじゃないか、それなら、肩にも負担がかからないし、いいんじゃないかと言われて、それが前まわしを取って頭をつける相撲だった」

 度重なる脱臼の大ケガと向き合い、心身ともにバージョンアップさせていった取り口。それが千代の富士を“小さな大横綱”へと導くことになる。

相撲熱の盛んな時代がずうっとずうっと

<名言2>
若貴ブームは2人で作った数字だけど、ウルフフィーバーは俺1人だからね(笑)。
(千代の富士貢/NumberWeb 2022年5月8日配信)
https://number.bunshun.jp/articles/-/853137

◇解説◇
 投げ主体から速攻相撲主体に変わった千代の富士は一気に番付を駆け上がる。

 関脇時代の1981年初場所に初優勝を経験すると、大関在位わずか3場所で横綱昇進を果たすなど未曽有の「ウルフフィーバー」を巻き起こした。例えば初優勝の優勝決定戦で北の湖を破った日のテレビ平均視聴率は52.2%。瞬間最高視聴率は65.3%にも達したのだという。他競技で言えば……1994年の「巨人vs中日、10・8決戦」の平均視聴率が48.8%、日本代表が初めてサッカーW杯出場を決めた「日本vsイラン」の同視聴率が47.9%だった事を踏まえると、国民的関心事だったと言える。

 千代の富士が引退を決断したのは、当時の若花田・貴花田など新世代の力士たちの台頭が大きな要因となった。

「今、相撲ブームだと言われている。いい現状でしょう。こういう相撲熱の盛んな時代がずうっとずうっと続いていってほしいと思います。そのためには皆に頑張ってもらわねばね」

 引退時の言葉だ。当時の若貴ブームを喜びつつ、自らが角界を引っ張ってきたという自負もちょっぴりと見せていた。

<名言3>
頂上であって、同時に崖っぷちなんだよ。
(千代の富士貢/Number261号 1991年2月5日発売)

◇解説◇
 当時の千代の富士はすでに幕内最高優勝31回を果たし、大鵬に並ぶ32回を目指す状況にあった。その中で横綱という立場をこう表現している。1敗しただけでも大騒ぎされ、3連敗でもしようものなら進退を問われかねない――とんでもない重圧がかかる地位に、千代の富士は26歳時から35歳まで、約10年間にもわたって幕内最高位の座に居続けた。

 結果的に大鵬の大記録にあと「1」及ばず引退することになったものの、千代の富士が長年横綱として戦い続けた功績は何ら色あせるものではない。

「パパが負けて、悔しくて泣いた」と

<名言4>
「パパが負けて、悔しくて泣いた」と。そう言われたらね、こりゃ、もう頑張らなきゃいけない。
(千代の富士貢/Number271号 1991年7月5日発売)

◇解説◇
 千代の富士という大横綱に再び脚光が当たったのは、1つのSNSでの投稿……というのは、2022年らしい事象だ。

 千代の富士の鍛え上げられた肉体の写真がネット上で“拡散”されると、次女でありファッションモデルである秋元梢さんが「うちの父です」と返信したことによって、さらに大きな話題に。そこから現役時代を知らない若年層が、千代の富士に興味を持つことになった。

 そんな偉大な父は現役時代、子供たちにたっぷりの愛情を注いでいた。引退時の「Number」が実施した緊急取材で「上のお嬢さんが『負けると泣くから、頑張らなくちゃ』と冗談のように言っていましたよね」と質問を受けると、「いや、冗談じゃないんですよ。こりゃほんとの話なの」と切り出して、黒星を喫したときに国技館から自宅に戻った際のことをこう回想する。

「帰ったらね。目の下に涙の跡が。(中略)しょっちゅう泣かれちゃたまらないですからねえ」

「家庭をもって女房がいて、で…」

 このように少しおどけた千代の富士だが「家庭をもって女房がいて、で、子どもができた。じゃまた、新たな気持ちで頑張っていかなきゃいけないという気持ちにさせてくれたんじゃないかな」と感謝の思いも語っている。

 1人の父親として、強さを見せよう。その思いが千代の富士にとって大きなモチベーションになっていたのだろう。

文=NumberWeb編集部

photograph by JIJI PRESS