9月に引退を発表したばかりの元イタリア代表DFラノッキア。キャリアを振り返る独占インタビューの第2回は、セリエA時代の中田英寿との意外な縁から――(全3回/#1、#3も)。

ユニフォームをせがんだらプレゼントしてくれた

――本格的なサッカー人生の出発点はペルージャでしたね。

「そうそう。近所のクラブで12歳までやって、2000年に隣町ペルージャの育成部門に入った。小学生の頃の憧れは何といっても中田英寿だよ! ボールボーイをしていた時にユニフォームをせがんだらプレゼントしてくれた。まだ実家に大切にとってあるよ」

――元々、FWだったというのは本当ですか?

「本当だよ。U-15世代チームで州リーグに挑んでた頃だ。シーズンが始まる前にチームにセンターバックが足りないことがわかって、当時から背は高かったから(現在195cm)、監督が『きちんとしたDFが見つかるまででいいから、試しでやってみないか』と勧めてきた。急場しのぎだったんだろうけど、やってみたら案外悪くなくて(笑)。監督が気を良くして、僕はそのまま最終ラインに残ったというわけさ。あのコンバートのおかげで代表までやれたんだから、英断にとても感謝してる」

――FWだったことはDF転向後に役に立ちましたか?

「それはもちろん役に立った。攻め手の気持ちを読むヒントになったよ。実を言えば、10代の頃には攻撃的MFも、何ならGKも経験したよ。小さな地方クラブで、何でも経験できたことがのちのちのキャリアでも活きた」

幸運だったのはコンテという指導者に巡り合えたこと

――18歳のときに、セリエBのアレッツォでプロデビュー。“大人のサッカー”の世界に飛び込んだ。

「育成年代まではサッカーは、楽しくて無邪気なものだし、それでいい。でも、一旦プロの世界に足を踏み入れたら、サッカーは“勝ち点3イコール給料”になる。だから、30歳過ぎのベテランたちの前では18歳の新人なんて子供同然だよ」

「僕が幸運だったのは、アレッツォでアントニオ・コンテ(現トッテナム)という指導者に巡り会えたことだ。抜擢してチャンスを与えてくれただけでなく、プロとしてのメンタルや心構えを教えてくれた。彼は練習や試合へ取り組み方に態度……選手のメンタルそのものを変えてしまうんだ。当時の彼は(37歳と)若かったから、より現役の立場に近い心情で指導してくれた」

「コンテ監督はどんな試合でも絶対に勝ちたがる人だ。いつでも、どこでも、とにかく勝つことのみ。だから1つの黒星は彼にとっては大事件だし、選手にとっても大惨事だった(笑)。僕もあそこで一人前のプロ選手になった。セリエB(2部)とはいえ、あそこは紛れもない“本物のサッカー”の世界だった。少しずつ出場時間を増やして、ベテランたちに混じって継続的にプレーすることを覚えて自信も芽生えた。本当にいい経験だった」

一目会うなり、ギロリと睨んで…

――08年夏にセリエBのバーリに移籍して、ここでまたコンテの指導を受けますね。

「夏の移籍市場で僕の共同保有権をジェノアが買い取ったんだけど、バーリで2季目の監督だったコンテから『来い』とお呼びがかかってね。チームは完全攻撃志向だったけれど、彼が守備陣に求めることはわかっていた。僕らは勝ちまくって、リーグ優勝とセリエA昇格を見事達成したよ。ホームの『サン・ニコラ』では2部なのに毎試合5万人近くのサポーターが応援してくれて、アウェーチームの選手たちは皆、口をあんぐりしてた(笑)」

「翌シーズン、バーリでの2年目にセリエAデビューしたとき、対戦相手は(後に移籍する)インテルだった。今、考えると運命だったんだなと思うよ」

――インテルに入団して低迷期を耐え忍んだ後、19年夏に優勝請負人としてコンテがやってきた。旧知のあなたに何と注文をつけたんですか?

「一目会うなり、ギロリと睨んで『今さら何も言わなくても、俺がおまえに何を期待してるかわかってるよな?』と言われたよ(笑)。彼がインテルに来て、チームの空気は一変した。コンテ監督の指導はものすごくストレスフルで、骨が折れるし、毎日の真剣味もちがう。1年目にチームの土台を強固に作り上げて、2年目(20-21年シーズン)に悲願のスクデットを射止めた達成感は本当に大きいものだった。彼とはキャリアの長い時間を共有して、多くのものを授けてくれた。感謝してもしきれない」

イタリア代表としてW杯に出られなかったことに悔いはない?

――コンテのイタリア代表監督時代(14〜16年)に、あなたもアッズーリで8試合に出場していますね。代表では何か特別な指導はありましたか?

「コンテ監督の指導メソッドで特徴的なのは、ビデオ動画をかなり活用することだね。選手は毎日1時間、とにかく何本も特別に編集された動画を見る必要がある。ほぼ真上から撮影された動画を何度も見返しながら、理想のポジショニングと照らし合わせてミスや改善点を叩き込まれる」

「試合後の反省でも何をどう間違えたのか、客観的に理解できるよう動画を使った指導は、チーム全体にも個人的にもすごく役に立った。動画を見せながら『おまえはここで1m右、もう一人は1m奥に寄せておくべきだった』とか、局面ごとの細かいディテールにまで指示がある。彼ほど勉強家の指導者はいないよ。戦術偏執狂? その通りさ(笑)」

――さっき「何もキャリアに心残りはない」と言いましたが、21試合に出場したイタリア代表でW杯に出場できなかったことに悔いはない?

「そうだね。大会最終メンバーになるチャンスはあった。でも、最後のひと押しが足りなかったんだろうね。本当のことをいえば、W杯に出たかったという悔いはある。その分、インテルで全力を尽くすことに100%集中してきて、あまり気に留めないように努めてきたというのが本音だ。やはり代表での経験はかけがえのないものだよ」

キエッリーニ、ボヌッチ、そして…

――残念ながらイタリア代表はカタールW杯出場を逃しましたが、優勝4度の伝統国には見習うべき守備の真髄があります。代表レベルでプレーするとき、最終ラインで心がけていたことは何ですか?

「(※即答で)集中すること。集中することが決定的に重要だ。テクニックやフィジカルには個人差がある。ただしDF、とりわけセンターバックは90分間集中を切らさないことが絶対条件だ。極端な話、FWやMFがミスをしても大事にはならない。でも、CBがボールを後ろに逸したら、GKとゴールを無防備に晒すことになる。だから、ゲームの間中、集中し続けることはCBとして最低条件なんだ。偉大な先輩たちは皆そうだった。キエッリーニは95分目でも絶対にボールから目を離さない」

――代表、クラブを問わず、歴代チームメイトのベスト3センターバックを選ぶなら?

「1人目はキエッリーニとして、2人目はボヌッチ。……それから、友だちでもあるマテラッツィだ。どうしてもイタリア人に偏ってしまうけど仕方ない(笑)。優れたDFたちは、イタリアの歴史的特産品だよ」

 第3回では、インテルでの“戦友”長友佑都との秘話やカタールW杯でのドイツ&スペイン攻略法などについて語ります。<#3へつづく>

文=弓削高志

photograph by Takashi Yuge/Takuya Sugiyama