「本当はここにユウタ・ワタナベも連れてきたかった」

 今秋、さいたまスーパーアリーナでNBAジャパンゲームズが開催され、ゴールデンステイト・ウォリアーズとワシントン・ウィザーズがプレシーズン試合を2試合戦ったとき、来日したウォリアーズの関係者がそう話していた。ウォリアーズは渡邊雄太にトレーニングキャンプ参加の契約をオファーしたのだが、渡邊は同じ契約条件でも、より熱心だと感じたブルックリン・ネッツを選び、ウォリアーズのオファーは断ったのだ。

 パスとシュートを主体としたチームバスケットボールと、強固なディフェンスを武器とするウォリアーズは、プレースタイルとしては渡邊に合いそうなチームだ。昨季のチャンピオンという魅力もある。しかし、渡邊はきっぱり「ウォリアーズだけはなかったですね」と言う。

 それは、ジャパンゲームズを盛り上げるためのメンバー入りだと見られたくなかったからだった。

「八村塁と渡邊雄太が日本に行くってなれば、それこそもっと盛り上がるでしょうし。ただ、もしその後に僕がカットされた場合、ジャパンゲームズのために呼ばれた客寄せパンダかみたいな思われ方をされるのがすごい屈辱的だったんで。そういう見られ方はしたくなかったですね」

 もしウォリアーズがジャパンゲームズに行く予定がなかったら迷ったかと聞くと、「ジャパンゲームズがなかったら、ウォリアーズ(のオファーを受けるかどうか)は多分、相当悩んだと思います」と即答した。

 これが、いつカットされるかわからない崖っぷちの道を歩みながらも、4シーズンの間NBAで戦ってきた渡邊なりのプライドだった。

NBAのオファーをすべて断ろうと思っていた

 世界の頂点で戦う選手たちは皆、それを表に出すか出さないかに違いはあっても、自信やプライド、不安や劣等感という感情の間で揺れ動きながら毎日を送っている。好調なら自信もわいてくるし、うまくいかない日々が続くと不安にもなる。プレッシャーに押しつぶされそうになることもある。渡邊もそうだ。

 今シーズンを前に、渡邊はNBAチームからのオファーをすべて断り、下部のGリーグでスタートを切ろうと考えていた。NBAチームからオファーされたのは、どれもトレーニングキャンプ参加以降は何も保証されていない契約ばかり。それより、試合に出ることができて、中心選手としてプレーできるGリーグで改めて自分の力を証明し、アピールしようという考えだったという。

「自分の中ではほとんど心が決まってたというか。Gリーグでしっかりやり直して、またNBAに返り咲けばいいっていうふうに思っていた」と渡邊は言う。

 そんな渡邊の話を聞いて、疑問に感じたことがある。

 GリーグでのアピールはNBAのトレーニングキャンプに参加してからでもできることだ。キャンプからカットされた選手は、ほぼ全員がGリーグに行くことができる。しかも、渡邊は昨シーズン、トロント・ラプターズにいたときに、Gリーグで1試合出場して、「ここはもう自分がいる場所ではない」と思ったとまで語っていた。

 それなのに、なぜNBAのオファーを蹴って、最初からGリーグに行こうとしていたのだろうか。

「もう本当に隠さずに言うと、正直、プレッシャーに耐え切れていなかったというか。(メンフィス・)グリズリーズでの2年目はツーウェイ契約をもらっていたとはいえ、ツーウェイなんていつでもカットされる立場で。ラプターズでの1年目はエキジビット10で、2年目は部分保証で。今年はキャンプの契約だったらもう行きたくないってエージェントには伝えていたんです。(これまで)4年間、本当にしんどかったんで。

 トレーニングキャンプで自分がこのまま残れるのか、もしかしたらカットされるかもしれないというあの精神状態……正直、すごいしんどかったですし。だから、そこでちょっと逃げようとしていた自分がいたというか。それだったら、もうトレーニングキャンプもいかずに、しっかりとGリーグでのスタートでいいんじゃないかなっていうふうに思っていました」

 こういった渡邊の本音の言葉の端々に、この4年間、どれだけ大きなプレッシャーを感じながら、厳しい精神状態で戦い続けてきたのかが垣間見える。

コロナ感染でローテ外に「部屋を出るのも苦痛」

 引退後の話になったとき、渡邊は「引退後は責任あるポジションにはつきたくない」と言った。たとえばヘッドコーチになれば、今のように日々プレッシャーがかかる生活が続く。それはしたくないというのだ。

「(妻の暁子さんから)『引退後はどういうことをしたいの?』みたいなことは聞かれたりするんですけど、バスケには関わっていたいけど、責任あるポジションにはつきたくないっていうのはいつも言っていて。これ以上プレッシャーがかかるポジションにはいたくないので。(引退後は)のんびりした生活をしたいです」

 過去4シーズンの中で、渡邊が最も苦しい時期を過ごしたのが、今年の2〜3月だった。当時、ラプターズに所属していた渡邊は、1月上旬に新型コロナウイルスに感染し、復帰した後に調子を出せずにローテーションから外れてしまい、ほとんど試合に出られない状態が続いていた。

「本当にきつかったですね。初めて、本当に、本当に練習もしたくなくなりましたし。部屋を出るのが苦痛で仕方なかったです。あの時期は、部屋を出て、練習会場へ向かうことだったり、試合会場に向かうことが、もうとにかく苦痛でした」

 そんなときに支えてくれた一人が、5月に結婚した久慈暁子さんだ。

「うまくいかないときでも支えてくれた」

 当時はまだ久慈さんがフジテレビに勤めていたため、トロントでいっしょに過ごすことはできなかったが、それでも海を越えて頻繁に連絡を取り合い、励ましてもらったことで辛い時期を乗り越えることができた。うまくいかないときでも支えてもらったことは、結婚への決め手にもなったという。

「(決め手に)なりましたね。どういう状態でも(支えてくれるので)。(暁子さんは)バスケットに関しては全然知らないんで、そこもよかったというか。シーズンが進んでいくにつれて、バスケ以外のときにバスケのことをあまり考えたくなくなるんで、そういうときに、逆にバスケを知らずに、ほかのことで話せるっていうのはすごく大きかったですね」

 結婚したことは、渡邊にとって毎日の生活面でも、これからの選手としてのキャリアを考えたときも、大きな転機となった。何よりも、ネッツのトレーニングキャンプに参加せず、Gリーグから再スタートしようと考えていたときに、「本当にそれでいいのか」と渡邊の背中を押してくれたのが暁子さんだった。

 結果、ネッツのトレーニングキャンプに参加し、開幕ロスター枠を勝ち取っただけでなく、ローテーション入りして、チームにとって必要な戦力として認められるようになった。今では毎試合、20〜30分出場し、3&D(3ポイントシュートとディフェンス)が巧い選手としてチームに大きく貢献し、勝負を競っている試合終盤でも使われるほどだ。特に3ポイントシュートは、シーズン合計42本中24本成功させており、成功率57.1%はリーグ首位だ(11月20日時点)。

 11月20日のメンフィス・グリズリーズ戦で、勝負どころの第4クォーターに4本の3ポイントシュートを決めたときには、ケビン・デュラントを筆頭にチームメイトたちがベンチで立ち上がって喜び、ファンの間からも喝采が浴びせられた。

「本当に人生何があるかわからないなっていうか。自分の中ではほとんど心が決まっていて、Gリーグでしっかりやり直してNBAに返り咲けばいいって思っていたんで。まさか、しかもこのネッツでこんなにプレイタイムをもらえるとは思いもしてなかった」と渡邊。

KD、カイリーらとプレーするメリット

 3ポイントシュートを高い確率で決められていることについては、「(昨季までとは)環境が違うのが一番大きい」と言う。

「もちろん今までもスター選手といっしょにプレーしてきたんですけど、やっぱりKD(ケビン・デュラント)、カイリー(・アービング)がいると、ディフェンスはもう必要以上に引きつけられるというか。常に2、3人が彼らのディフェンスをしているので、僕らが何もしなくても勝手にノーマークになってる。だから僕の今のシュートの確率が高いのは、彼らがそうやってディフェンスを引きつけてくれて、オープンのシュートを打てているからだと思うんで、そこの環境の変化ってすごく大きい」

 昨季まで2シーズン所属していたラプターズは、渡邊がとても気に入っていたチームだった。できれば今季も残りたいと思っていたが、昨季で契約が切れた後にチームからのオファーがなく、しかたなく離れることになった。それが、ラプターズを離れてネッツに入ったことで、NBA選手としてのキャリアが花開いた。

「チームが変わるってことは、また1から人間関係を作っていかなきゃいけないですし、自分のことを信用してもらうために毎日毎日積み重ねになっていくので、(ラプターズに残りたいと考えていたことは)そういう部分で、ちょっと安定志向になってしまっていた部分があります。ラプターズはトロントの町も、あのチームもすごい好きだったんで。ただ、やっぱチーム変わってみたら本当また新しい発見があって、新しい人との出会いがあって。今はこのチームに来られて本当によかったと心の底から思っています」

 渡邊は以前から「現役を長く続けるつもりはない」とも語っていたが、どうやら、そんな引退観も、結婚したことで変わってきているようだ。

「最近思うのは自分1人だけの人生じゃないんだというか、自分1人がやりたいようにできるような状況じゃないんだっていうのは、すごく思い始めていて。まだ全然考えてないんですけど、これから先、もし子供ができたら、それこそもっと自分が支えなきゃいけない人が増えていきますし。そういうときに、仮に自分がバスケもう辞めたいと思っても、まだやっぱ続けなきゃいけない状況が出てくるかもしれないので。そのへんは、結婚して自分だけの……言ってみたら自己中心の生活はもうできないっていうふうには思います」

 バスケットボール以外に趣味がない渡邊にとって、暁子さんとの時間は、これまではできなかったような気分転換になっているという。

「調子が特に悪いときに考えすぎてしまう性格なんで、そういうときに、(暁子さんといっしょに)出かけて外食をするだけでもいいですし、買い物したり、ちょっとでも気の紛れることをやったりしたらパフォーマンスには絶対に(いい)影響があると思うので。

 今回、(ネッツに移籍して)ニューヨークに来たときも、環境がまた変わるってなったときに僕もすごい不安で。また新しいチームメイト、新しいコーチで、いろんな人との新しい出会いがある中で、また人間関係作りからしていかなきゃいけない、そういう不安がある中で、やっぱりそこに一緒にいてくれて、部屋に帰ったらいてくれるっていうのは、すごくありがたかったです」

「今は本当楽しくバスケできています」

「責任ある立場につきたくない」という渡邊が思い描いている引退後の日々は、全国各地をまわって子供たち向けのバスケットボール・キャンプを開催したり、アメリカでバスケットボールをしたい選手たちのサポートをする活動をすることだという。

「ビジネスというよりも、自分の趣味程度でやりたい。そのためには、やっぱり今のうちにお金稼いでおかないと、引退して自分のやりたいような生活はできないと思うので。そういう意味でも(現役選手としての)キャリアは自分が思ったより長くなっちゃうのかな」

「長くなっちゃう」と、あたかも現役を長く続けることが嫌なような表現になるのは、まだ2月頃の苦しさが鮮明な思い出として残っているからだ。しかし、今は毎日が充実して、練習も試合も楽しむことができている。

「今は本当楽しくバスケできています。もちろんシーズンが進んでいってどうなるかわかんないですけれど、今の精神状態が続けば、まだまだ僕のキャリアは長いと思います」

文=宮地陽子

photograph by USA TODAY Sports/Reuters/AFLO