――まずは現役生活、お疲れ様でした。「引退」ではなく「前進」を発表してから、少し時間が経ちました。今の心境は?
杉谷拳士 朝起きた時にひじ・肩・腰をチェックしなくていい事実に寂しさも感じていますが(笑)、新しい仕事も始まっていますし、毎日ワクワクした気持ちで過ごしています。
――表情が穏やかになりましたね。
杉谷 最近は「充実フェイスだね」と言われます(笑)。
――改めて、ユニフォームを脱ぐことを決めた時の心境についても教えてください。
杉谷 札幌ドームの最終戦に両親を呼んだんです。「(札幌ドームの)最後でもあるし、来なよ」と言ったら、両親は「あんた、そんなこと言う子とちゃうやん」と驚いていて。そこで、あとどれくらいやるかわからないとか、思っていたことを話しました。
――そのときはまだ引退することは決めていなかった?
杉谷 決めていませんでした。ただ、将来の進む方向性を初めて両親に話すことができたので、少しスッキリしました。そこから1、2週間ぐらい経って、吉村(浩/前GM)さんや稲葉(篤紀/現GM)さん、栗山(英樹)さん、(斎藤)佑樹さん……いろんな方にお話しする機会を設けて頂きました。
「新球場でプレーしている自分よりも…」
――決め手になったことは?
杉谷 9月あたりに新球場(エスコンフィールドHOKKAIDO)を見に行ったのですが、観客席がすごく近くて素敵だなあと思う反面、こんなに球場が狭いなら戦術が変わってくるだろうなと、ふと思ったんです。グラウンドでプレーしている自分よりも、外から見ている自分のほうがイメージできたというか……。自分の中で「あっ、こんな中途半端な気持ちじゃダメだな」と思いました。あとは、やっぱり栗山さんの言葉でしたね。昔から言われていたことが頭の中から離れませんでした。
――どんな言葉ですか?
杉谷 「拳士は拳士らしく、前に進むんでしょ」と。その前に進む、「前進」ということですよね。僕の野球人生の中で一番大きい言葉だなと思って。
――だから「前進」すると。監督就任の頃からよく言われていた言葉なんでしょうか。
杉谷 そうですね。やっぱり僕みたいな性格の選手を見ると、中には「あいつ、うるさいよ」と思う方もたくさんいたと思います(笑)。でも栗山さんは「杉谷拳士は杉谷拳士らしく前に進んだら、最後、終わるときに全員がおまえのこと認めてくれるから」と言い続けて下さいました。
この言葉を大切に自分らしさを貫いていたら、最後にあんな胴上げをしてもらえました。人生の中でも一生の宝物になるようなシーン。栗山さんの言葉を信じてよかったです。
――感謝する人はたくさんいると思いますが、まずは話に出た栗山監督との思い出を振り返ってもらえますか。3月のWBCにはダルビッシュ有や大谷翔平らメジャーリーガーも参加すると発表になりました。あの面々を集められる栗山監督の魅力はどこにあると思いますか?
杉谷 話していても「監督のために頑張ろう」「よしっ!監督に勝利を届けるぞ!」という気持ちにさせてくれますね。選手のことをどう思ってるというのがすごい伝わってくるんです。「俺は杉谷拳士をこう思ってる」と。いろんな経験をされている方なので、ひとつひとつの言葉に重みがあるんです。
――しかも、心に刺さる。
杉谷 刺さります。怪我で苦しんでいた佑樹さんに対しても「佑樹は佑樹。誰が何と言おうと関係ない。俺がおまえの姿を見たいんだ」と言っていたことを横で聞いていて、僕に突き刺さっていました(笑)。
――野球人としてだけでなく、人物としても目指すべき方だと?
杉谷 僕はバラエティ色が強いと思われがちですが、前提には栗山さんみたいになりたいという思いがあります。だから、もっといろんな勉強しなきゃいけない。選手に対してのアプローチのしかたもそうですし、言葉ひとつに重みを持たせなきゃいけません。ありがたいことに「解説どうですか」「リポーターどうですか」といったお話はいただきました。すごくやりたいお仕事ではあるんですけど、今それをやってしまうと“重み”がないなと。
まず2023年野球はもちろん他スポーツ、国内外問わず可能性を広げ学びの年にしたい。自分の肌で感じ、自分の言葉で伝えたい。インプット量をとにかく増やす1年にしたいと思ってます。本当に、栗山さんみたいになりたい(笑)。
“生きる道”を考えさせられた中田翔との出会い
――感謝する人、続いては中田翔選手について。たくさんお世話になった先輩はいると思いますが、お二人の関係性はよくメディアにも取り上げられていました。
杉谷 まさに皆さんが思っているような関係です。裏表もなくそのまま(笑)。たくさんかわいがってもらいました。野球に対する情熱を持ってる方でしたし、何より一番最初にプロ野球の世界に飛び込んで衝撃を受けた人。バッティング練習、守備、スローイング、何を取るにしても他の選手とは次元が違いました。自分は走らなきゃいけない、守備も内野・外野、全部やらなきゃいけない、そして元気でなきゃいけない、と考えさせられました。そんなことを「中田翔」という存在から学びました。このままじゃダメだ、俺って(笑)。
――プライベートでも仲良かったですよね。
杉谷 よくご飯にも連れてってもらいましたね。お酒を飲むとだいたい、野球の話になるんですよ。僕はそういう席で野球の話はしたくないので、「ねえ大将、野球の話はやめてくださいよ」といつも言ってました。そうすると「ええねん。今が一番野球の話をしたいときやねん」って、よく言い合いに(笑)。試合後に「今日、付き合ってくれ」と2人で飲みに行く時もありましたね。
――中田選手は繊細なタイプ、いろんな選手と仲良くするタイプではないじゃないですか。
杉谷 (本音も)なかなか言わないです。でも、入団したときからずっと一緒にやっていましたから。僕のことも気にかけてくれていたので感謝しかないです。あとどのぐらいプレーするかわかりませんが、僕は「中田翔」をずっと追っかけてきた人間なので、これからも応援したいと思ってます。
――引退報告はLINEだった?
杉谷 本当は電話しようと思ったんですけど、いろんな思いが込み上げてきちゃって……。それこそ(帝京高校の先輩である)中村晃さんにもそうですが、電話しようとすると「あ、ダメだ」って全然しゃべれなくなる。これで泣いたらボロカス言われるわって(笑)。それでめちゃくちゃ長いLINEを送りました。そうしたらメディアさんの前で「LINEはないやろ、あいつ」とか言ってましたね(笑)。最近は会ってないので、自主トレやキャンプとかでお会いできたらちゃんと挨拶したいなと思っています。
――待ってると思いますよ。
杉谷 そうですね、「おい、遅いんちゃうか」って言われそうです(笑)。
――続いて、兄弟のような関係を築いた斎藤佑樹さん。影響を受けた1人だと思います。
杉谷 高校時代から憧れの存在でした。どんな方なんだろうと思っていたんですが、初めてお会いしたときから物腰が柔らかく、今と変わらずにずっと前向きな方でした。
――斎藤さんが怪我で苦しんでいた時間も近くで見てきましたよね。
杉谷 そうですね。でも、ひと言で表したら「カッコいい」ですね。こういう生き方ができたらいいなとずっと思っています。「(引退試合がある)1カ月後の札幌、投げられるんですか」と聞いた時、「拳士、投げられるじゃなくて、投げるんだよ」って。「俺はどんだけ球が行かなくても、肩が上がらなくても、お世話になった北海道というのはやっぱり感謝の気持ちがある。最後にあそこのマウンドに立って終わりたいんだ。それまでは最後まで腕を振り続けるよ」と。僕それ聞いてロッカーでずっと泣いてましたから。
――最後はフォアボールでしたが、杉谷さんから見たら、よくあそこまで持っていったなという感じですか。
杉谷 まさにそうです。弱音を吐くような人じゃないのに、「もう全然肩が上がらない」「行けるかなあ、最後」と言っていたので。こうやって心を動かせるような選手になりたいなとずっと思ってました。
あと、佑樹さんに学んだことは、周囲へ感謝の気持ちを持つこと。ずっと注目され続けてきた人ですから、その分「なんだ、あいつ」みたいなことも言われ続けてきました。メディアには意地悪な記事もたくさん。でも、「佑樹さん、こんなこと言われてますよ」と伝えると「いや、でもね拳士。メディアさんもお仕事があるんだよ」と言うんです。「僕らも野球選手として伝えなきゃいけない義務がある。確かに今はこういう記事を書かれているかもしれないけど、ちゃんと丁寧に受け答えして、その人の気持ちを考えて行動していれば、終わる頃になったらちゃんとこういう人たちが、素敵な記事を書いてくれる。今までやってきたことが間違いじゃないということを証明してくれる方たちだから」って。
僕は「そんなわけないだろっ、こんな記事書いて!」と思っていたんですけどね(笑)。でも本当に引退した時、ほとんどの見出しが「ありがとう、斎藤佑樹」でした。ほんとにこういうことになるんだって。
「サポートしてあげてください」
――実は斎藤さんから私のところに相談がきていました。「拳士が近いうちに引退するかもしれない。そのときはサポートしてあげてください」と。
杉谷 うわあ、本当ですか。今、涙出そうです(笑)。めちゃくちゃ素敵じゃないですか。同じことを栗山さんもやってくれたんですよ。あの2人、何か、似てますよね。人を想う力がすごいというか。
――これからもいい関係が続きそうですね。
杉谷 大好きなんです、大好きなんですよ、ほんとに(笑)。
(つづく)
文=田中大貴
photograph by Shigeki Yamamoto