左利きのミドルブロッカー。身長は207cm。そんな選手が今まで日本にいただろうかと考えるも、浮かばない。紛れもなく、稀有な存在だ。
しかも、まだ高校生。
新春早々、1月4日に開幕した春高バレーでプレーする18歳。もはやZ世代という言葉すら当てはまらない若さと、広がる可能性。
彼の名は麻野堅斗(あさの・けんと)。京都府代表・東山高校の3年生だ。
春高の開幕を2週間後に控えた昨年12月、麻野が黙々と取り組んでいたのがセッターと少し離れた後方から速いトスを打つDクイックだった。中学からコンビを組む當間理人(3年)と合わせるだけでなく、スイングを確認しながら狙ったコースに打つ。
「最近なかなかコンビが合わなくて、どうしてもボールの通過点が低くなっていたんです。まずはタイミングを合わせるために、ゆっくりしたトスをしっかり叩くほうがいいのかな、と思っていたんですけど、それもうまくいかない。(監督の松永)理生さんから『Dは上で待って叩くんじゃなく、上がったらすぐ叩くイメージで打ったほうがいい』と言われて、まずはタイミングをつかもうと思って。少しずつ、感覚がつかめるようになってきました」
真面目で努力家。身長だけでなく、コツコツ重ねた練習の成果が着実に実り始めている手ごたえを感じていた。
「ランドセルはめちゃくちゃ小さかった」
小学校入学時点で身長はすでに147センチ。ずば抜けて大きかった。
「卒業する時には178センチあって、中学入学が183だったので1カ月もしないうちにまだ伸びていて(笑)。中学卒業の時には197とか198ぐらいでした。目立つので嫌だな、と思った時期もありましたけど、でも慣れましたね。小学校の頃は、卒業するまで周りと同じようにランドセルを背負って通っていましたけど、(ランドセルは)めちゃくちゃ小さかったです(笑)」
バレーボール経験者の両親と、兄姉の影響で迷うことなくバレーボールを始めた。もともと小さい頃から身体を動かすことが好きで、本人曰く「教室でもいつもしゃべっていた」という活発な少年時代を過ごした。
恵まれた体格や、中学時代に全国優勝したキャリアもある。聞かれるたびに「将来は日本代表選手になりたい」と答えてきたが、漠然とではなく本格的に自身の将来を考え始めたのは高校に入ってから。元Vリーガー、日本代表選手で、中央大時代には石川祐希を、東山高では高橋藍を指導した松永監督との出会いが、麻野にとって大きな転機になった。
「それだけじゃ通用しない」Bクイックの習得
「そもそも左利きなので、CクイックとDクイック、ライトに開くスパイクを打つ、という意識しかなかったんですけど、理生さんから『それだけじゃこの先は通用しない』と言われて。できないことや、やったことがないことにチャレンジするのが苦手だったんですけど、やってみたら面白いな、と感じて積極的に取り組めるようになりました」
その1つがBクイックだ。
Bクイック、Dクイックはどちらもセッターからやや離れた位置に上がる速いトスを打つ攻撃で、セッターの後方から仕掛けるDクイックは左利きの選手が得意とする事が多い。反対にBクイックはセッターの前、ネットを正面にしてセッターの左側から仕掛ける攻撃のため、利き手と近い位置で打てるDクイックとは異なり、Bクイックの場合は顔の前を通過させたボールを打たなければならない。同じ速いトスを打つ攻撃とはいえ、「どこでボールをとらえるか」「目線はどこで切るのか」と不慣れとする左利きの選手も少なくない。
そんな中、麻野はラリー中もセッターの後ろから打ったかと思えば素早く移動して前に入ってBクイックを打つシーンが多い。
左利きの例にもれず、もともとは麻野もBクイックは苦手どころかほとんど打ったことがなかった。むしろ攻撃だけに留まらず、プレー全体のスピードアップが課題だった。
そもそもバレーボール以外の競技経験がなく、動き自体が硬い。ただ、相手ブロックの上から難なく打つことができたため、これまでは課題よりも「大きさ」ばかりに着目されてきた。確かに中学や高校で日本一になることだけが目的ならばそれでもいい。しかし、高校卒業直後から日本代表にも選出された石川や高橋を指導してきた松永監督は、「できないことをやれば武器になる」とチャレンジさせ続けた。
ラリー中に繰り出す新たな武器となったBクイックはまさにその賜物でもあるのだが、松永監督が求めるのは1つの攻撃に留まらない。麻野の将来を見据え、明確なプランを描いていた。
「ジャンプ力という面で見ると、彼は天然ジャンパータイプではなく、絶対的なジャンプ力がある選手ではありません。でも動き自体が鈍いかといえばそうではない。(ブロック時の)横への動きや、レシーブ時の反応は2mを超えた選手であれだけできれば問題ない。
むしろこれから筋力をつければ、もっと伸びると思いますし、ボール練習だけでなくトレーニングを重ねて、機動力や俊敏性も高くなってきたので、やればやるだけ伸びる選手で、世界と渡り合える力も可能性も大いにある。実際去年は、自分より高さやパワーが勝る人たちの中で揉まれたらこんなに伸びるんや、と僕も驚かされましたから」(松永監督)
日本代表合宿で経験したこと
松永監督が「驚いた」と振り返るのは、今年度の春。2年生で出場した春高を終え、3年生になったばかりだった麻野は、フィリップ・ブラン監督が就任した新体制での日本代表登録選手に選出された。
「絶好の機会で得られるものは大きい」と判断した豊田充浩総監督が学校と掛け合い、4、5月の日本代表合宿に参加。未経験の場所に置かれ、自ら切り開くしかない状況の中で、技術面と精神面、麻野にとって初の日本代表でどちらも飛躍的な成長を遂げた。
本人曰く「(中学3年からは)もうちょっと落ち着こう、と方向転換した」という今の性格は幼少期とは180度違う人見知り。しかも代表合宿は年上の選手ばかりが揃う不慣れな環境で「最初は誰とも話せなかった」と苦笑いを浮かべたが、“憧れの存在”を間近にしたことで課題とするブロック面で大きなヒントを得られたと振り返る。
「練習中から高橋健太郎さんのブロックをずっと見ていました。どうやったらあれだけ止められるのか。手の出し方、タイミング。当たり前ですけど、映像で見るより全部すごい。ただ手を出すだけでは簡単に飛ばされるし、自分に足りないことばかり実感させられました」
高橋のブロックの形や手の出し方といった技術もさることながら、新たな学びがもう1つ。それは高橋だけでなく、日本代表の合宿ではどの選手もごく当たり前に「自分はどこまで跳びに行ける」「ここまでは行けない」と意思表示していたこと。ブロックは1人で止めるのではなく、後ろのレシーバーと連動してこそ次の攻撃につながる、と改めて実感させられた。
もともと研究熱心で、攻撃面に関しては日本代表だけでなく、YouTubeなどでもブラジル代表の映像を見て学んできた。右利きと左利きの違いこそあれ、攻撃への入り方や助走のスタート位置、ボールの叩き方やバックスイングなど「こうしたらもっと力強く打てる」と積極的に取り入れている。
日本代表合宿に参加するまでは、まず自分の技術を高めることが最優先だったが「高校生で日本代表を経験できて、得られた情報や学びを自分の中だけにとどめておくのはもったいない」とチームに還元する意識も芽生え始めている。セッターの當間は麻野に明らかな変化があったと明かす。
「周りに対して『このボールは自分が触るから、もう少し寄って』とか、『もっとラリー中もトスを持ってきてくれていい』と言うようになったんです。むしろもっと意思表示してくれよ、と思うことがあったぐらいなのに、代表合宿に行ったら自分だけじゃなく周りのプレーを見て気づいたことを言ったり、同じポジションの選手にも『こうやってみたらうまくいくかもよ』とアドバイスをするようになった。自信、じゃないですけど、経験を還元して自分が引っ張るんだ、という強さを一緒にやっていてものすごく感じるようになりました」
「麻野を止める」と意気込むライバル校
昨夏のインターハイも制し、現役高校生で唯一日本代表に選出された。当然、周囲から「東山を倒す」「麻野を止める」とターゲットとされる。努力して習得したBクイックや、スピードを求めるDクイックにも相手ブロックがつくのは当たり前で、むしろフリーで打てる状況こそが少ない。だが、その壁を越えて結果を残して得られる自信は間違いなく、この先につながる力になる。
「マークが厚くなって、自分のプレーがうまくいかない時期もあったんですけど、(マークされるのは)当たり前だと思ってその上を行けるように。春高は、これからにつながる大会だと思うので、1つずつ結果を求めながら、自分のできるプレーを全力でやっていきたいです」
短い期間で驚くほど成長する。それは日本代表合宿の経験だけでなく、小学校卒業から中学入学までに数週間で驚くほど伸びた身長も実証している。
最後の春高バレーでどれほどの成長を遂げるのか。そこからどんな未来につながるのか。新たな年の始まりと共に、大きな一歩が踏み出されるのは、これからだ。
文=田中夕子
photograph by Yuko Tanaka