長谷部誠の季節がやってきた。
長谷部は昨年後半にアクシデントに見舞われていた。チーム最年長の38歳、すでにUEFAコーチングライセンスのカリキュラムにも取り組んでいる日本人DFはアイントラハト・フランクフルト(街名との混同を避けるため、アイントラハトと表記)のオリバー・グラスナー監督から絶大な信頼を寄せられ、“アイントラハトの泣き所”とも称される3バックのリベロで重要な役割を担ってきた。
カタールW杯後から鮮やかな復活を果たした
今季2022−2023シーズンも主にUEFAチャンピオンズリーグの舞台で出場機会を与えられ、スポルティングCP(ポルトガル)、オリンピック・マルセイユ(フランス)、トッテナム・ホットスパー(イングランド)といった各国の強豪クラブを相手に堂々と渡り合ってチームのグループステージ突破に大きく貢献した。しかし、そのグループステージ第4節となった昨年10月のアウェー・トッテナム戦で相手FWソン・フンミンと交錯した長谷部は、左膝内側靭帯を痛めて途中交代。その後は欠場を強いられることとなる。
当時のアイントラハトは11月に日本での親善試合を予定していたため、長谷部は古巣である浦和レッズやガンバ大阪との対戦に向けて懸命なリハビリを続け、結局日本へ凱旋した際は短時間ながらもピッチに立つことができた。しかし今年の1月に39歳となる年齢、そして古傷にして慢性的な痛みに悩まされてきた膝を再び負傷したこと、そして、この時期のアイントラハトがブンデスリーガや各カップ戦でそれなりの成績を収めていた事情もあり、今季残りの彼の出場機会は減少するのではないかというのが大方の見方だった。
しかし、“ブンダバー”な長谷部は例年と同じく、カタールワールドカップを経て、ウィンターブレイク明けから鮮やかな復活を果たす。依然として適任者を見出せないバックライン中央のポジションを任された彼はブンデスリーガ第18節のバイエルン・ミュンヘン戦で無双の活躍をして強烈無比なバイエルン攻撃陣に立ち向かってチームにドローをもたらし、続く第19節のヘルタ・ベルリン戦ではきっちりとシャットアウトして3-0勝利に貢献した。
「ハセベは5パーセントを補うに等しい働きを」
グラスナー監督は長谷部の負傷中にリベロに抜擢していたクロアチア人DFフルボイェ・スモルチッチと長谷部との違いについて、ドイツ最大手のサッカー専門誌である『Kicker』のインタビューで独特な表現を用いてこう語っている。
「マコトはプレーするときに全ての面で大きな責任を負っている。そのおかげで我々の味方の2列目のプレーに少し余裕が生まれる。マコトはフルボイェよりも5パーセント劣るかもしれないが、他の選手が(長谷部の存在によって)1パーセントでも楽にプレーできるならば、長谷部はその5パーセントを補うに等しい働きをしていることになる」
確かに、今の長谷部のプレーには『俯瞰力』の高さが感じられる。この場合の『俯瞰』とは自己だけに留まらず、ましてや味方だけでもあらず、敵を含めたピッチに立つ22人全ての状況を把握し、そのうえで最適な判断を下せる能力を指す。この状況で自軍が最も優位に立てるプレー、あるいは敵が最も不利を被るアクションは何なのか。その最適解を見出せる力はむしろ、長谷部が30代後半になって備えた新たな武器であると思う。
今の長谷部は監督目線でピッチに立っている
今の長谷部がコーチングライセンス取得に勤しんでいることが、この能力を一層引き上げているのではないか? 端的に言えば、現在の長谷部は監督目線でピッチに立っている。フィジカルの衰えは、その聡明で明晰な頭脳で相殺する。これこそが他者が持ち得ない凄みを纏った彼がドイツ・ブンデスリーガの最前線で戦い続けている所以である。
2月7日に行われたドイツカップ戦のDFBポカール・ラウンド16。アイントラハトの相手はブンデスリーガ2部のSVダルムシュタット。額面上はトップカテゴリーと下部カテゴリーとの対戦だが、このクラブ間の戦いは『ヘッセンダービー』と称され、隣町同士特有の因縁めいた争いが起きる、曰く付きのマッチメイクだった。
『ヘッセンダービー』は過去に8度の対戦歴があり。その舞台は全てブンデスリーガ(1部)で、アイントラハトの5勝3敗という戦績が残っている。この間、両サポーターはお互いの市内で何度も小競り合いを起こしており、その中では負傷者が多数発生する事象もあった。ちなみに直近の対戦は2017年2月5日のブンデスリーガで、このときはホームのアイントラハトが2-0で勝利し、そのうちの1点は長谷部のPKである。
文字通りの修羅場、充満する緊張感
今回はノックアウト方式のカップ戦、舞台はアイントラハトのホームスタジアム、『ドイチェバンク・パルク』だった。このゲームが開催されるのに先立ち、フランクフルト市内には注意喚起のお触れが出ていて、筆者のもとにも日本領事館からこんな案内メールが来た。
『カフェ・レストラン等においても多くのファンがテレビ観戦する等、大きな盛り上がりが予想され、酒に酔ったファン同士によるけんか・口論等のトラブルが発生するおそれがあります。また、道路や公共交通機関の乱れも予想されるところ、夜間の外出の際は十分にご留意願います』
文字通りの修羅場である。当日のスタジアムは当然フルハウスで、苛烈な両サポーターたちが醸す熱意と緊張感はピッチ全体に充満していた。
そこで平然とプレーできるのが長谷部の真骨頂だ
試合はアイントラハトがエースFWランダル・コロ・ムアニのゴールで早々にリードしたにもかかわらず、前半途中の29分に長谷部のパスが多少ずれて相手にボール奪取され、返す刀のスライディングもかわされて同点ゴールを奪われた挙げ句、その2分後には逆転ゴールをも決められて窮地に陥る。
しかし、ここからが長谷部の真骨頂である。抜群の『鈍感力』をも兼ね備える彼は有事にも平然としていて、味方選手に頻繁にコーチングしつつ、GKケビン・トラップが果敢に飛び出した際には誰よりも速くゴールマウス付近に到達してシュートコースを消し、ボールを奪った刹那には正確無比なパスを通して相手の急所スペースを突いた。普通の選手ならば失点の起因を生んでしまったことでプレーレベルを減退させるところだが、長谷部は不屈の精神で強烈なリーダーシップを発揮して沈滞ムードを一変させた。
アイントラハトはここから急激に盛り返し、前半終了間際にマリオ・ゲッツェのアシストを受けたラファエル・ボレが同点ゴールをゲット。そして後半の62分に鎌田大地が鮮やかな右足ボレーシュートを決めて逆転、そして試合終了間際にはスーパーカウンターからコロ・ムアニが引導を渡すダメ押しゴールを決めてゲームを締めた。
物事に動じない長谷部の重厚な佇まい。2023年冬のフランクフルトで彼の勇姿を見つめながら、この彼の境地は、ドイツでの経験を経る以前、すでに10代の頃から備え持っていたことを思い出していた。
(後編へ続く)
文=島崎英純
photograph by DeFodi Images/Getty Images