「なんというか……シンボリルドルフとディープインパクトが真っ向から一騎打ちしているようなものですよ」

 藤井聡太王将と羽生善治九段が激突している王将戦について、高見泰地七段に“趣味である競馬で例えてもらえますか?”という、こちらの無茶ぶりに対しての回答だ。

「ディープvs.ルドルフ」に込めた意味

「いえいえ、こじつけではなくて意味があるんです。シンボリルドルフは現役時代、GIを7つ制覇して〈七冠馬〉と評されました。羽生先生は七冠制覇した実績がありますよね。一方の藤井さんは若き日から圧倒的な力を発揮して、タイトルを獲得し続けている。最強と評された者同士の勝負が実現したという意味で、世代を超えた歴史的一戦になっているなと感じますからね」

 高見は将棋の実力を持ちながら、ユーモアも交えた解説で人気が高い。こちらのぶしつけな質問に対しても咎めることなく、稀代の名馬2頭に例えてもらったのには、恐縮するほかなかった。

 第72期王将戦は白熱の展開となっている。ここまですべて先手番が勝利し、2勝2敗。さらに対局直後と翌日に行われる主催新聞社による勝利の記念撮影――藤井と羽生がそれぞれ“ウサ耳”を装着するなど――も話題になっている。

 高見は王将戦第3局の副立会人を務めた。2人を間近に見て印象に残ったシーンやここまでの対局での驚きの一手、そして今後の展望について聞いた。(全3回のうち#3/「藤井将棋」編は#1、「羽生善治」編は#2へ)

負けた方がミスをしたというよりも、勝者が上手く勝っている

 まずは全体的な印象から。高見は今シリーズについて「勝った方が本当に強い勝ち方をしている」と表現している。それはいったいどういう意味なのか。もう少し具体的に教えてもらった。

「第1局から第4局までにお互い形勢が少し良くなった段階から、そのまま損ねることなく勝ち切っているんです。少し優位に対局を進めていたとしても……藤井さんと羽生先生のどちらも、劣勢になったとしても粘り強さを持っている。相手からしてみれば、押し切るには大変なはずなんです。それでもおふたりは間違えることがない。つまり負けた方がミスをしたというよりも、勝者が上手く勝っている。それぞれの強さが際立つ4局だったと言えます」

気づけば上に逃げられない状況

 その藤井・羽生の強さを感じた瞬間について聞いてみよう。

 まず藤井について、高見は副立会人を務めた第3局の局面を挙げる(※▲が藤井、△羽生)。

「棋譜で表現すると、2日目の封じ手開封後の55手目から〈▲6三馬、△4三金、▲4一馬、△4四玉、▲3七歩、△同歩成、▲4五歩〉としたところが、非常にうまいなと感じたんです」

 この局面、盤面を見ると当初は羽生玉に前方へと抜け出せそうなスペースがある。しかし……。

「気づけば上に逃げられない状況となっていて、2つの歩の技術で玉を押し戻した。なかなか普通では考えつかない手なんですよね。藤井さんとしてみれば、一見広そうに見える相手玉が広くないと把握して進めていたんです」

少しでもリードを許すと苦しいと感じる強さ

 ほとんどの棋士が気づきづらい手を指すのが、藤井将棋の強さの1つだと言われている。その辺りについて、2022年に2局対戦した経験を持つ高見はこのように説明する。

「この局面は、例えばAIの評価値であれば〈54〜55%〉と少し優位に立っている状況なのかもしれないですが、局面が進んでいくうちに互角に戻っていたとしてもおかしくないんです。だけど藤井さんの場合はわずかなリードを上手くつなげていく。藤井さんの勝ちパターンとして、いわゆる藤井曲線(※将棋中継で表示される評価値で、徐々に藤井優位を示していき、終盤に入ると一気に藤井優勢を示す)の存在は将棋ファンの方も知るところかと思いますが、実際に対局している相手からすると、少しでもリードを許すと苦しいと感じる強さがあるんです」

第2局もすごい勝利だなと思って見ていましたが…

 詰将棋を趣味とする藤井が、驚きの逆転勝利を積み重ねてきたのはデビュー直後のこと。近年は序・中盤での指し回しも非常に充実しているとは、高見を含めた各棋士の共通する認識だ。ただもちろん、圧倒的な終盤力は今もなおベースにあるのだから……その難攻不落ぶりが伝わる。

 その藤井将棋に対して、五分の戦いに持ち込んでいる羽生将棋。「第1局は最後に藤井さんが強さを見せましたが、2日目の封じ手開封あたりまで均衡を保たれて、後手番ながら羽生先生の用意した一手損角換わりにさすがだなと感じましたし、第2局もすごい勝利だなと思って見ていましたが……」と語りながら、秀逸な一手だったと挙げたのは第4局1日目の65手目、羽生の指した〈▲5二桂成〉である。

「この局面、実は(攻めが)成立しているのか難しいところなんですが」と前置きしながら、このように続ける。

藤井の144分もの長考を誘った羽生の一手

「この成桂に対して藤井さんは銀か玉で取るしかない状況になりました。銀で取った場合は歩を成られて、金を取られてしまう。逆に玉で取ると駒損はしない代わりに、攻め続けられてしまう。“次にどちらを選ぶか”という一手を、封じ手前の局面で指したんですよね」

 すると、藤井は144分もの長考に沈み、封じ手で△同玉を選んだ。その結果、2日目は羽生が一気に押し込む展開で完勝を飾った。

「類型があれど局面が少しだけズレていたところで、羽生先生は踏み込んでいったんです。1日目の封じ手前からその一手を選択できたというのは、“前に行く”という気持ちの表れなのだろうなと。藤井さんもそうですが、その辺りの押し切り方がまさに達人同士の戦いと感じますね」

羽生の“秘密兵器”は出る? いつ出る?

 もう1つ、高見に聞いてみたいのが、羽生の“秘密兵器”である。6連勝で勝ち上がった王将戦挑戦者決定リーグで、猛威を振るったのが「後手横歩取り」という戦法だった。藤井との王将戦でここまで後手番は2局あったが、どちらの対局でもその戦型に誘導しなかった。それについて高見に聞くと、今後の展望を含めてこう語る。

「出るとしたら第5局だと思います。後手横歩取りは5年くらいまでは指されていた戦法ですが、AIにはハッキリと分が悪いと出ているため、自分も指さなくなりました。そう考えると、羽生先生に地力があるからこそ勝てているのだと思いますね。
 第5局以降での注目は……もしこのまま先手番が勝ち続けるシリーズになるとすれば、最終第7局の振り駒(※対局前に先手・後手を決める)になるのではないでしょうか。藤井さんは現在、先手番で26連勝中です。先手番の強さを生かしつつ、他の棋士なら間違えかねないところでも最善を選び、完璧な勝ち方を見せていますから。ここまでの流れから、第5局は先手番の藤井さんが勝つ可能性が高いと見る向きは多いでしょう。ただここで羽生先生が勝利したら大チャンスが巡ってくるし、もし負けたとしても、三たび先手番の第6局で取り返して、第7局までもつれる可能性もあるのでは、と感じます。そう考えるとやはり、第7局の振り駒は大きく運命を左右するのでは、と感じています」

この対局が始まりの一歩なのではとも感じます

 盤上の戦いとともに、今回の王将戦で注目したいのが“将棋界の第一人者の継承”でもある。高見は第3局で立会人を務めた島朗九段から、このような言葉を聞いたという。

「藤井さんは羽生さんから帝王学を学んでいるんだろうね」

 これまで将棋界は、時代を象徴する棋士が現れ、まるでその伝統を継承するかのように戦いの歴史を紡いでいった。

「大山康晴先生、中原誠先生、谷川浩司先生に羽生先生、渡辺明名人ときて、藤井さんが現れた。それぞれ時代を築いていく中で、各タイトル戦で大棋士から大棋士へと受け継いできたものがある。それを羽生先生が伝える立場となり、藤井さんもまた、対局を通じて自身を形成している。そういった意義も、今回の王将戦にはあるのだと感じています。
 ただそれと同時に、この対局が始まりの一歩なのではとも感じます。2日制の対局である王将戦で、2人は長時間にわたって盤を挟んでいる。そこで藤井さんも羽生先生も新たな気づきをインプットして、さらなる成長を感じ取っているはずです」

「僕自身も見てみたい」運命の第7局

 感想戦ではそれぞれの意図を披露しあって、藤井も羽生もマスク越しでも分かるほど穏やかな表情を浮かべていた。

「本当に強い藤井さんと羽生先生なら、第7局までもつれ込んでも何らおかしくない。むしろ僕自身も見てみたいですからね」

 高見ら棋士をも魅了する第72期王将戦は果たして、どんな物語を紡ぐのか――。

文=茂野聡士

photograph by JIJI PRESS