「見てくれると思いますよ。もし、仲のいい人が見てくれないって言うなら、たたき起こします(笑)」

 4月2日(現地時間)のメジャーデビュー戦を前に、ニューヨーク・メッツの千賀滉大が取材の中でそんな話をしたと報じられた。

 福岡で記事を読んだ筆者は、千賀が“仲のいい人”と語った人物に、甲斐拓也が思い浮かんだ。ソフトバンク時代の名バッテリー。いや、育成同期入団・同学年の2人はその枠を越えた親友だ。実際に千賀が海外FA権行使を表明した際に甲斐は「もちろんホークスの一員としては千賀にいてもらわないといけないのは間違いない。だけど、友達として背中を押してあげたいです。友達として、夢に挑戦する姿も見てみたい」としみじみ語っていた。

“日本は深夜”のデビュー戦…甲斐のツンデレ行動

 縁とは不思議なもので、千賀がメジャ−初登板する球場は、甲斐も出場したWBCの準決勝・決勝が行われたローンデポ・パーク(マイアミ)でもあった。

 千賀のデビュー戦は日本時間の月曜日午前2時40分プレーボール。日本のプロ野球は開幕3連戦を終えたところで、月曜は休日だった。それに、移動日でもある。甲斐は「え、2時40分? あぁ……、大丈夫でしょ千賀なら」と困り顔に笑顔を交え、「(電話が)かかってこなかったら逆に問題ですよね(笑)。一度寝てしまえば、試合を見るために起きることはないかな〜。結果を楽しみにします」とはぐらかした。だがその言葉とは裏腹に、しっかり未明に千賀の初勝利を祝うSNSを投稿していた。

 話が少し逸れたが、千賀が報道陣へジョークを飛ばすのも珍しいと感じた。ソフトバンク時代もしっかり話すタイプではあったが、比較的マジメな返答が多かった印象だ。それだけでも、長年の夢だった舞台に立てるという高揚感がうかがえた。

米で話題沸騰…「千賀とお化け」

 ユーモアといえば、千賀の象徴ともなっている「お化けフォーク」もそうだ。

 千賀はメジャー移籍のタイミングでグラブのデザインを新しくした。ウェブと呼ばれる“網”の部分には、2016年頃から入れていた故郷の愛知県蒲郡市の地形の横に、大きなフォークを持った可愛らしいお化けの刺しゅうが加えられた。

 渡米前から用意していたものだが、大きくクローズアップされたのはデビュー戦だ。5回3分の1を3安打1失点でメジャー初勝利。そして8奪三振をマークした。60年を超えるメッツの歴史でデビュー戦での奪三振数「8」は歴代3位タイで、さらに決め球のすべてが「お化けフォーク」だったのだ。

 それもあって、試合を中継した地元放送局SNYが、千賀のグラブを紹介。球団地元紙ニューヨークポスト(電子版)も「ゼット社が製作したスペシャルな青いグラブは、お化けが『トライデント』のようなフォークを持っている姿が刺しゅうされている」と伝えた。トライデントとは三つ股のやりのことだ。

 お化けフォークフィーバーはさらに熱を帯びる。

 8日(日本時間9日)は本拠地シティフィールドで初登板。6回3安打1失点、6奪三振の好投で5-2の勝利に貢献し自身2連勝を飾ったこの試合で、千賀が三振を奪うたびにシティフィールドの巨大な電光掲示板に表示されたのは、ゴーストのアニメーションがフォークを手にふわふわ漂う映像だった。粋な演出にニューヨークのファンも大喜びだったようで、厳しいとされるニューヨークのメディアにも、目の肥えた米国の野球ファンにも早々に認められる投手となった。

「お化けフォーク」はいかに生まれた?

 全米を席巻し、米国では「ゴースト・フォーク」とも称されるこの“魔球”。

 一体、どのようにして誕生したのか。

 かつて、千賀に「お化けフォーク誕生秘話」を訊ねたことがある。

 最初にフォークボールを投げ始めたのは高校生の頃だったという。「雑誌に載っていた、当時ホークスにいたファルケンボーグの握りを真似したんです」。ファルケンボーグが投げていたのはフォークというよりスプリットだ。それについても千賀はこのように話していた。

「フォークを投げたかったけど、僕はあまり手が大きくないので。だからスプリットです。だけど、まるで落ちなかった。ほとんどチェンジアップでした(笑)」

 育成ドラフトでプロ入りし、2年目には支配下登録を勝ちとった。最初にもらった2桁番号は「21」だったが、その頃の千賀を思い返してもお化けフォークのイメージは殆どない。速いストレートと鋭いスライダーが武器の投手、という印象だった。

体調を崩して二軍行き…“発明秘話”

 お化けフォークが生まれたのはその翌年、プロ3年目の2013年春のことだ。

「あの年は中継ぎで開幕一軍を争っていました。ならば落ちる球が必要。だけど、僕のフォークではまるで使い物にならなかった」

 困り果てているところに、弱り目に祟り目。オープン戦中に体調を崩して二軍行きを命じられたのだ。

「2、3日キャッチボールもしなかったんです。そうしたら自分のフォームを忘れてしまって(笑)。色々試しているうちに気づいた。簡単に言えば、体を開かずに三塁側を向いたまま投げたら、ボールがストンと落ちたんです。背中で壁を作って、体が開かないように意識して投げたら、また落ちた。それがハマってくれた。嬉しい誤算だったんです」

 壁を作る――それをヒントに進化を続けた。

 千賀は一般的なフォークボールと違う握り方をする。通常、ボールを挟む人差し指と中指は縫い目にかけないのだが、千賀は人差し指を縫い目にかける。一体なぜなのか。

「イメージですけど、フォークがスライダー回転しないためにボールに『壁』を作りたかったからです」

 右投手の場合、腕は体の右側から左側へ振り下ろされる。その軌道で腕を振れば、ボールはスライダー回転してしまうと考えた。そうなるとボールは落ちないためそれを防ぐべく、ボールの左側に人差し指で壁を作る。

 それがお化けフォークの秘密だった。

最大落差「107センチ」

 縦にストンと落ちる。米球界では野球の数値化が公開されるのが一般的で、2勝目を挙げた本拠地初登板の試合では最大落差42インチ(約107センチ)のお化けフォークで空振り三振を奪ったという。

 魔球が誕生した10年前。あの時はメジャーリーガーとして世界中の野球ファンを驚かせる未来が待っているとは、誰も想像していなかったはずだ。

 早くもメジャーを席巻しているお化けフォークだが、おそらく千賀はそれだけに頼るピッチングはしないはずだ。相手から研究されることはもちろん織り込み済みだし、なにより2017年頃には「本当の理想を追いかけるならば、お化けフォークなんて投げたくない」などと語ったこともあった。

「自分が思い描く完璧な真っ直ぐが投げられれば、ピッチングに変化球なんて要らないんです。スピードもキレもコントロールも思いのままに操れれば、外角だけで100%抑えられる。ピッチャーは全員そう思ってますよ」

 より高いレベルを追求し続けているストレートは日本時代に最速164キロをマークしている。「いつまでも同じ抑え方じゃ面白くない」とシンカーなど新球種も操るようになっている。

 育成入団からチームのエースとなり、球界を代表する投手へ、そしてメジャーリーガーに。千賀の出世物語はまだ終わりそうにない。

文=田尻耕太郎

photograph by JIJI PRESS