完結時点での公式YouTubeチャンネル『ぱかチューブっ!』での視聴回数は、第1話は約250万、第2話は約150万、第3話は約100万、そして第4話も1日にして約50万という数字を叩き出している。さらに、1話配信されるごとに物語の感想や元ネタ談義がそこかしこで花咲いていた。
本稿では、1999年当時に撮影された懐かしの写真なども交えながら、第2話、第3話で物語や演出の元になったであろう史実要素をチェックしていく(皐月賞までを描いた第1話については#1へ。以下、第2話、第3話のネタバレを含みます)。
アドマイヤベガの「妹」とは?
皐月賞を制し、一躍、同世代の最前線に躍り出たテイエムオペラオーの周囲は沸き立ち、練習に報道陣が殺到する。3着に惜敗したナリタトップロードはトレーナーと敗因を分析しながら、広いコースでより持ち味を活かせるであろう日本ダービーでの巻き返しを誓う。
一方で、皐月賞は6着に終わったアドマイヤベガは寮を離れひとりキャンプ場で新月の夜空を見上げていた。そして、生まれてくることのなかった双子の“妹”に想いを馳せる。
サラブレッドの世界では、双子を受胎しても母体への影響などからすぐに一方が堕胎されるケースが多く、それ自体知られることもあまりない。しかし、アドマイヤベガはその母である二冠馬ベガの初仔ということもあって非常に注目度が高く、双子であるというエピソードはよく知られることとなった。ちなみに、ゲーム版でアドマイヤベガがレース中に発動する固有スキルは“ディオスクロイの流星”という名がつけられている。ディオスクロイとはギリシャ神話の双子の神(カストルとポルックス)のことである。
オペラオーはなぜ演説を始めた?
そして、三者三様のやりかたで調整を進めていき、いよいよ日本ダービーを迎える。解説が3人の名を挙げ、「誰が勝ってもおかしくない」と言及するなどすっかり三強ムード。じつは皐月賞での惨敗からアドマイヤベガは戦前、評価を落としていたのだが、アニメで「調整は完璧」と評されたように、史実でも調整が上手くいって馬体重を10キロ戻し、そのことが好材料と見られていたのである。単勝オッズではナリタトップロード3.9倍、アドマイヤベガ3.9倍、テイエムオペラオー4.2倍と人気が伯仲していた。
ゲート入りでは突然テイエムオペラオーが演説を始める。この演出は、史実でテイエムオペラオーがゲート入りを嫌がっていたことが元ネタになっていると思われる。その日の東京競馬場には17万人もの大観衆が詰めかけており、異様な雰囲気に各馬のテンションも上がり、オペラオーもゲート前でいきなり動かなくなる場面があった。一方、ナリタトップロードとアドマイヤベガは落ち着いており、アニメの描写でもそのことが表現されている。
最後の直線の攻防に「150秒」
レースは、先に抜け出したナリタトップロード、テイエムオペラオーを、後ろに控えたアドマイヤベガが大外から差し切る。ゴール時の「輝く一等星に! アドマイヤベガ!!」という実況フレーズは、実際にフジテレビ三宅正治アナウンサーが中継時に発した言葉と全く同じだ。
この最後の直線の攻防を、ナリタトップロードに騎乗した渡辺薫彦騎手は「とてつもなく長かった」と語っていたが、第2話ではこのシーンに約150秒かけている。第1話の皐月賞のそれが約60秒だったことを考えると、いかに長く描いていたかがわかる。
死闘に終止符が打たれた後の姿には、明暗がくっきりと分かれていた。それぞれが全力を出し切ったが、勝者はたったひとり。晴れやかな顔を見せるアドマイヤベガとそれを讃えるテイエムオペラオーの傍らで、アドマイヤベガにクビ差で敗れたナリタトップロードは「トレーナーさんが信じてくれたのに……」と悔しさから溢れる涙を止められない。そしてトレーナーは「力は出し切った。よくやったぞ」と声をかける。
これは落胆して引き上げてきた渡辺騎手に沖芳夫調教師がかけた言葉と相重なる。
渡辺騎手はダービーの戦前、「馬主さんにお願いして僕を乗せてくれているのがわかる」と沖調教師への感謝を語り、「僕の恩返しが形としてできるのは、それ(ダービー)しかない」(『Number』1999年6月3日号)と誓ったが、惜しくも叶わなかった。そんな師弟愛を象徴する美しい光景が、時を経て蘇ったのだ。「ティッシュひと箱じゃ足りないくらい泣いた」、「なんてアニメを作ってくれたんだ」など、視聴者からは悲鳴のような絶讃が相次いでいた。
ローテを狂わせた北海道の猛暑
日本ダービーの後の第3話では、菊花賞に至るまでの臨戦過程が描かれる。ナリタトップロードは合宿先へと向かうバスで外の景色を見ながら惜敗したダービーを思い出してしまうなど精神的にかなり落ち込んでいる様子。実際に渡辺騎手もこの時期は本当に辛かったと後に語っている。
そんな中、合宿地へ到着すると、蜃気楼が立ち上るほどの暑さ。じつは史実でもこの年、三強は放牧先で猛暑に見舞われていたのだ。
北海道で夏を過ごしていたアドマイヤベガも猛暑のせいで調整が遅れ、予定していた京都大賞典ではなくその翌週の京都新聞杯(当時は10月開催)にせざるを得なかった。京都大賞典は古馬とのきびしい戦いとなるが、菊花賞までには中3週空けられる。一方、京都新聞杯は相手の格は落ちるが、そのぶんローテーションが厳しくなる。結果として勝利を収めたアドマイヤベガであったが、じつはここで歯車が狂っていたのかもしれない。
オペラオー&サングラス&オペラグラス
京都大賞典3着のテイエムオペラオーは、作中では、サングラスを着け、オペラグラスをのぞきながら他の2人を心配してみせるなど終始余裕たっぷりの様子。史実でも、使い詰めで日本ダービーにピークを合わせられなかった反省から、菊花賞に向けては余裕を持ったローテーションが組まれており、それが功を奏してさらなる成長を見せていた。
合宿後半になると、ナリタトップロードは、トレーナーの作戦もあってようやく回復の兆しを見せる。しかしアドマイヤベガは、妹が幻影として登場し、左脚の痛みに苛まれていた。実際、母のベガと同じく左前脚が内向していたアドマイヤベガは、翌年に左前脚繋靭帯炎を発症して引退している。脚の内向は脚だけでなく、内臓機能など全身にも大きな負担がかかるため、アニメ同様に人知れず苦しんでいたのだろう。
お姉ちゃんの脚は菊花賞までで……
幻影の妹が「お姉ちゃんの脚は菊花賞までで……」と暗示する通り、史実のアドマイヤベガは菊花賞が現役最後のレースとなっている。
両者が激突した菊花賞の前哨戦、京都新聞杯は実際のレース通りに日本ダービーを再現するかのような展開、結果となる。しかし、レース後の姿はまるで勝者と敗者が入れ替わったかのようだった。二度も同じ負け方をしたものの、「よし、まだまだ!」と頬を両手で叩き、次を見据える2着・ナリタトップロード。それに対して、無表情で余裕など欠片も見られない1着のアドマイヤベガ。ナリタトップロードから声をかけられるも「あなたの走りなんてどうでもいい」と返し、地下バ道へと降りていく。不穏な空気をまといながら、いよいよ、菊花賞を迎える。
<続く>
文=屋城敦
photograph by Cygames, Inc.