大谷との初対面…挨拶に感じた「品格」
「直接メジャー行きか」「投打二刀流を本当にやるのか」など、大谷翔平選手は大きく騒がれての入団だったので、私もそれなりに気を遣いました。
ただ、大谷選手の父・徹さんが、私と同じ三菱重工横浜の野球部、母・加代子さんはバドミントン部の出身だったのです。徹さんの在籍期間は私と重なっていません。でも、大谷選手はそのことを知っていて、挨拶に来てくれました。
「はじめまして。ウチの父が鶴岡さんと同じ社会人野球チーム出身です。以後、よろしくお願いします」
「ああ、知っているよ。よろしくね」
初対面での挨拶といい話し方といい、いい躾しつけをされて育ってきたんだな、品格があるなということを感じました。
注目を集めた高校時代からインタビュー慣れしている影響もあったのでしょう。しっかりと考えながら、丁寧な言葉遣いでハキハキと話す子だなというのが第一印象でした。
鶴岡の悩みを吹き飛ばした「ツルさ〜ん、お久しぶりです」
さて、今回のWBCで再会するとき、実は私には大きな悩みがありました。
私が日本ハムに復帰した18年、入れ違いで大谷選手は海を渡りました。あちらは今や世界一有名な野球選手と言っても過言ではありません。テレビ画面の向こうの別の世界の人なのです。
(10年前のように「翔平」って、先輩面して軽々しく呼び捨てにしていいものかな……)
大谷選手はそんな私の悩みを知ってか知らずか、私を見つけるや声を掛けてきてくれたのです。
「ツルさ〜ん、お久しぶりです」
「お、しょ、翔平……」
「ところで、何でブルペンキャッチャーしてるんですか?」
「栗山監督に言われて、ピッチャーの球を受けることになったんだよ。よろしくな」
何も変わっていなかった。杞憂でしたね。すぐ距離を縮めてくれて、話し掛けやすい雰囲気を作ってくれました。野球選手としての技術はもちろん誰しもが認めるところですが、彼のことを悪く言う人は皆無です。どうすればこんなに素直に育つのか、同じ社会人野球チーム出身の縁で、大谷選手のご両親に「子育て論」を訊いてみたいものです。
1年目の大谷は「スッポ抜け」が多かった
プロ1年目の大谷選手は、投手で13試合3勝0敗、防御率4.23の成績を残しています。ちなみにダルビッシュ投手の1年目は14試合で5勝5敗、防御率3.53でした。
私は大谷選手の「プロ初登板キャッチャー」「プロ初勝利キャッチャー」でした。プロ初登板、初先発のヤクルト戦でストレートは157キロをマークし、5回2失点(5月23日=札幌ドーム)。プロ初勝利の中日戦で5回3失点(6月1日=札幌ドーム)。変化球はカーブ、スライダー、フォークボールを持っていました。
最大の長所はストレートが速いことです。ただストレートも変化球も、ボールの縫い目に指がかかった「いい球」は少なく、「スッポ抜け」が多かったのです。
だから、その試合その試合で「どれをカウント球にしよう」「どれを決め球にしよう」と、こちらも手探りの状態でした。もちろん、すべての球に「超一流への伸びしろ」を感じました。しかし現在の圧倒的な投球を10割とするなら、当時は1、2割に過ぎません。1年目の完成度という点においては、ダルビッシュ投手のほうが断然高かったです。
「ツル、ダメだよ」対戦打者・和田一浩に“怒られた日”
印象に残っているのは、セ・パ交流戦における和田一浩選手(中日)との対戦で、スライダーで四球を出したときです。和田選手は中日黄金時代の4番打者で、毎年打率3割30本塁打をマークするような強打者でした。
ストレートが右打者の頭のほうに抜けるし、変化球は指に引っ掛けてストライクが入りません。当ててしまったら大変です。私は大谷選手に対し、ストライクの確率が高いスライダーを要求しました。しかし、ボール……。
「ツル、もっとストレートを投げさせなきゃ、ダメだよ」
それだけ言って、和田選手は四球で一塁に歩きました。
(将来性あふれるピッチャーなのだから、小手先の変化球に頼るのではなく、ストレートで勝負させなさい)
言いたかったのは、そういう意味だと私は理解しました。
相手からも一目置かれた“大谷の未来”
プロ野球はチームの勝敗、個人成績が大事です。しかし敵であっても、将来を嘱望される若人を試合の中で育てていこうと考えてくれる選手がいることを感じたのは嬉しかったですね。それだけ大谷選手が類いまれな素質の持ち主だったのです。
投手の力量を表す指標として、「1試合9イニング平均の奪三振数」「1試合9イニング平均の与四死球数」があります。13年プロ入り時と22年メジャー成績を比較してみました。奪三振数は6.71個から11.87個に、与四死球数は4.82個から2.39個に。10年の時を経て、双方とも段違いの完成度を見せています。
〈後編では、鶴岡が衝撃を受けた大谷翔平の“モリモリの筋肉”、そして「超一流の理由」について語られます〉
文=鶴岡慎也
photograph by JIJI PRESS