日本ハム時代、ルーキー大谷翔平の「プロ初登板キャッチャー」を務め、第5回WBCではブルペンキャッチャーとして侍ジャパンに帯同した鶴岡慎也。バッテリーを組んだ男だけが知る「翔平の凄さ」とは? 現在発売中の『超一流の思考法』(鶴岡慎也著、SB新書)より、「鶴岡が驚いた大谷のフィジカル」「超一流の所以」に関するエピソードを抜粋して紹介します。〈全2回の後編/「大谷の“相棒”キャッチャーが対戦打者に叱られた話」編から続く〉

「超一流は常識をくつがえす」ものだと思います。大谷選手の「何が凄い」かと言えば、「ルールを変えてしまったこと」「新たな常識を作ったこと」だと思います。

 16年に日本ハムが日本一になったとき、大谷選手は投手として21試合10勝4敗、防御率1.86、打者として104試合104安打、打率.322、22本塁打67打点。

 この16年に「投手」と「指名打者(野手)」の重複記者投票が可能になり、大谷選手は両方でベストナインに選出されています。1940年に始まったベストナイン記者投票は、日本プロ野球77年目にしてルール変更がされました。

18歳・大谷翔平の印象は?

 大谷選手はプロ入り時、左中間に伸びる打球が印象的な18歳でした。

 メジャーに移ってからは打撃フォームを「すり足」に変えるなど、相変わらず対応力に長けていました。MLB当初はNPB同様に左中間への流し打ちの打球が伸びてスタンドインしていました。しかし、体が大きくなってパワーアップした21年は強引に引っ張る打撃も見られ、46本塁打をマークしました。バットコントロールに加え、スイングスピード、飛距離など、すべての要素が格段にグレードアップしていました。

 投げては9勝、打っては46本塁打で、MVPを獲得しました。

 実績を残し、メジャーリーグにおいても「大谷ルール」を作ってしまいました。

「先発投手兼指名打者(DH)としてスタメン出場した選手が、投手として降板したあとも指名打者として打席に立つことができる」というものです。

 従来のルールでは、降板した投手が指名打者として打席に立つことはできず、打席に立つには、野手として守備に出る必要があるという制約がありました。アメリカン・リーグにおいて1973年度に制定された制度は、実に50年目の2022年から「大谷ルール」に変更となったわけです。日米において「ルールを変更」させてしまった大谷選手の怪物ぶりを改めて実感した次第です。

大谷の素顔「あれだけチヤホヤされても…」

 大谷翔平選手はプロ入りした18歳、19歳のころから、マスコミの質問に対し、決して感情的にならず、穏やかに理路整然としたコメントで対応しています。

 あれだけ騒がれてチヤホヤされても、逆に芳しくない結果のときでも、喜怒哀楽を一切見せません。そういう姿勢が素晴らしいと思います。

 イチローさん(オリックス→マリナーズほか)は「自分でコントロールできないことには関心を持たない」と言っていました。松井秀喜さん(巨人→ヤンキースほか)風に表現するなら「不動心」ということになるでしょうか。

 長いシーズン、いいときがあれば悪いときがあるのは当然です。ただ、「メンタル面」で自分の心をある程度コントロールできないと、「フィジカル面」「テクニカル面」における好不調の波が、シーズンの結果にそのまま出てしまうものだと思います。

WBC“あのガッツポーズ”の意味

 キャッチャーをやっていると特に思ったのですが、「好調でも不調でも、このバッターはなぜこんなに淡々とバッターボックスに入れるのだろう」と感じる選手がいます。「侍ジャパン」で言えば、代表的なのは吉田正尚選手でした。

 1打席にかける。1打席に集中する。「こういう選手が超一流なんだろうな」と思って大谷選手を見ていました。

 一方で大谷選手は、WBC前の強化試合での打撃練習で特大弾を放ってガッツポーズをしていました。ああいうことをするような選手ではなかったのに、きっと意図的に味方選手を盛り上げていたのでしょう。

 チームを奮い立たせて団結させるには、トップ選手の言動が一番盛り上がるものです。熟慮しての行動、1つの「リーダーシップ」だったと思います。

「デカっ!」「見るからに筋骨隆々」大谷の肉体進化

 今回、17年のNPBの試合以来、6年ぶりに再会してみての第一印象は、「デカっ!」のひとことに尽きます。身長193センチは変わりませんが、見るからに筋骨隆々になっていました。シャツの上からでも三角筋や広背筋が、盛り盛りしていました。そうとうウエイトトレーニングで鍛えたのでしょうね。

 昨22年は投手として28試合166イニングを投げ15勝9敗、219奪三振、防御率2.33。打者として157試合160安打、打率・273、34本塁打95打点をマークしました。

 勝利数と本塁打数は双方、ア・リーグ4位です。1人でエース級投手と主力打者の成績を残してしまうのですから驚異と言うしかありません。新契約で「12年800億円」などという天文学的な数字が飛び出すゆえんです。

 打者としては、21年に高めストレートを強引にライト方向に引っ張って46本塁打したのは先述した通りです。

 投球内容を見ると、昨22年は左バッターに縦のスライダー、右バッターに横のスライダー、さらにツーシームを投じて攻めていました。さらに今季はスライダーがベース1個分(43.2センチ)大きく曲がる「スイーパー」を投げるなど、進化を遂げています。

ピッチャー大谷を、トレーナー大谷が管理している

 大谷選手はメジャーリーグにおいても「100年に1人」と称される選手なのですから、野球評論家が解説できる域を超越しています。

「NPB初勝利キャッチャー」として、僭越ながら言わせていただくと、こんな感じです。

――「ピッチャー大谷を、トレーナー大谷が管理している」

 よくテレビのスポーツニュースで、重量のある「プライオボール」を球場フェンスにぶつけるシーンが映されます。大谷選手独自のルーティーンがあるようですね。

 WBC期間中でも、トラックマンで球質を1球1球測定しながら投げていました。大谷選手は右ヒジのトミー・ジョン手術を経験し、19年は投げていません。

 それだけに数値をしっかり管理していました。自分の中の基準をしっかり満たしている数値であれば、好不調の波が出づらいという、自信を感じました。

〈第1回「大谷翔平の“相棒”キャッチャーが対戦打者に叱られた話」から続く〉

文=鶴岡慎也

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