今年6月の陸上日本選手権・女子走高跳で2連覇を達成した高橋渚(23歳)。昨季から国内の主要大会では日本人にはほぼ負けナシで、7月のアジア大会でも4位に食い込むなど、名実ともに同種目の第一人者として日々、トレーニングを積んでいる。

 日本の女子走高跳界をけん引する存在である彼女だが、今夏はひょんなことからSNSなどで大きな話題を呼ぶことになる。7月にフジテレビ系列で放送された『27時間テレビ』内の企画「さんまのラブメイト」で、明石家さんまの“注目”として名前が挙がったのだ。

 一方で、いま日本の女子走高跳という競技は停滞期にある。日本記録はいまから20年以上前の2001年に記録された1m96cmのままであり、女子陸上競技の主要種目では日本最古の記録となっている。そんな競技の日本王者はいま、どこを目指しているのだろうか?《全2回のインタビュー後編/前編からつづく》

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「やっぱり同年代の選手が記録を出して世界大会に出ているのを見ると、シンプルに悔しいですね」

 高橋はそう、口惜しそうに語る。

 いま、日本の陸上女子フィールド界は記録ラッシュと言っていい。

 25歳の北口榛花がやり投げで獲得したブダペスト世界陸上の金メダルは記憶に新しいし、同じ跳躍競技の走幅跳と三段跳、棒高跳でも今季、日本記録が更新された。気づけば走高跳は女子陸上競技の主要種目の中では最古の日本記録になってしまっている。

今は「記録を出そう」と焦らないことが大事

「私の自己ベストが1m85cmなんですが、88cmまでは今でも調子が合えば跳べると思います。とはいえ、まだ1m96cmという日本記録までは開きがある。

 とにかくコーチからは『いまは他の競技で記録を出す選手がいても焦るな』ということを、口を酸っぱくして言われていますね。女子のフィールド競技の場合、だいたい27歳〜28歳くらいが競技力のピークと言われています。だからそのころにしっかり記録を伸ばせるようにいまは地力をつける時期だと」

まぐれの「一発」が存在しない走高跳の難しさ

 高橋曰く、走高跳という競技の難しさのひとつは「一発」がないことだという。

「走高跳って高さが分かった上で挑戦するじゃないですか。投擲競技とか、他の跳躍競技だと何かの拍子で一発ハマればスゴイ記録が出ることがある。でも走高跳の場合はたとえ1m80cmの高さでとんでもなく良い跳躍ができたからといって、次の1m83cmでできなかったら意味ないわけです。そういう意味では他の競技よりも“再現性”がとても大事になってくる。それは競技の魅力でもあり、難しい部分でもあると思います」

 その日、その日の調子どころか、1本の跳躍ごとに調子のゆらぎがあるのだという。だからこそ、自分の感覚と跳べる高さを一致させていくことが重要なのだそうだ。

「会場によっても、季節によっても踏切の感じは全然違う。そのそれぞれに合わせなければいけない。だからこそ1本、1本への集中力が問われると思うし、そういう選手たちの表情なんかは見る側も魅力的に見えるんじゃないかと思います。それは走高跳という競技の面白さでもありますね」

 高橋の最大の課題であり、走高跳という競技の最大のポイントは「踏切」なのだという。

 どんなにフィジカルが上がっても、それを踏切のタイミングで爆発させられるかどうかで記録が大きく変わるからだ。

「大事なのは自分の身体を意識的に動かせるかどうか。踏切の時につま先から指先まで体がちゃんとコントロールできて、その上で跳べることが大事だと思います。そこを意識しないで『たまたま跳べちゃった』とかだと、やっぱりその先に繋がらない。むしろ『跳べちゃった』だけの記録だと逆にそれが枷になったりするので、『このくらいの記録を出したい』と思ったうえで、結果的にちゃんとその記録を跳ぶ……を繰り返していくのが一番いいのかなと思います。

 いまはトレーニングでフィジカルが上がって、ようやく助走スピードが上がって来るようにはなりました。そのスピードと踏切の技術がまだ噛み合ってないので、そこが合えば記録にもつながって来ると思います」

 現在の高橋が主に師事するのが、2006年の日本選手権女子三段跳で4位入賞経験のある飛田奈緒美コーチだ。高校時代に高橋を指導していた前男子走高跳日本記録保持者の醍醐直幸の妻でもあり、高校時代以来、家族ぐるみでの指導が続いている。

 メディア等で「モデル体型」と話題に上がることも多い高橋の長い手足や173cmの長身についても飛田コーチはこう語る。

「これでもだいぶ筋肉つけてしっかりした方なんですよ。海外勢と戦おうと思ったら、走高跳で173cmの身長って全然、小さいんです。身長が190cmあれば“モデル体型”でもいいかもしれませんけど、高橋の身長で戦おうと思うなら七種競技の選手のようなフィジカルが必要。いまはそこも鍛えている途中です。短期的には細くして、体重も軽くした方が記録は出るのかもしれません。でも、それでは上限がすぐ来てしまう。先を見据えてトレーニングをすることが重要だと思います」

来年のパリ五輪、再来年の東京世界陸上のために

 いま、高橋が最大の目標に据えるのは2025年に東京で開催される世界陸上だ。

 ちなみに先日行われたブダペスト世界陸上と来年のパリ五輪の参加標準記録は日本記録を越える1m97cmに設定されている。

「標準記録は相当ハイレベルに設定されていることもあって、それ以外にも世界ランキングでの出場も可能なんです。ブダペスト世陸は1m80cm台の持ち記録でも複数の大会で記録をそろえて出ている選手もいたので、自分でも全く可能性がないわけではなかった。そういう事情もあって今年は初めて単身で国外の大会にも出場しましたが、国内だけじゃなく世界の大会でもっと経験を積まないといけないということはすごく感じました。

 例えばいまの私にとって1m90cmってすごい高く感じるんです。自信をもって跳べると言える高さの1m88cmと比べたらほんの2cmの差しかないのに、心理的な『壁』を作ってしまう。その『壁』は試合で数を挑戦して行かないと消せないと思うんです。練習でいくら跳んでもやっぱり違うので。でも国内だとなかなかその高さまで勝負が続いていること自体がない。じゃあ高いレベルで競っていくには海外の大会に出ていくしかないんだなと」

 一方で、実際に自力で海外挑戦をしたことで心境の変化も生まれた。これまでは夢物語のようで遠かった世界の舞台が、リアルな目標として感じられるようにもなったという。

「海外の大会だと1m80cmを跳んだって『だから何?』っていう感じで、意識が変わったというか。もちろん頭では理解していましたけど、『このぐらいは記録を出さないと世界ではダメなんだ』というのを肌で感じられたのは大きかったです。

 ブダペストはターゲットナンバーが36人のところで、自分のランキングが60位くらいでした。じゃあちゃんと計画的に海外の大会に出て、記録を出してポイントを稼いでいけば、パリ五輪も全く不可能ではないことも分かった。そうやって挑戦していけば記録もついてくるんだと思います」

「このままじゃ高橋に勝てない!」と思わせる跳躍を

 世界の舞台を視野に入れる一方で、国内では競技の第一人者としてのプライドも覗かせる。

「国内ではマイナーだからとか、ライバルが少ないとか言っていてもしょうがないので。まずは自分がずば抜けた記録を出せればと思っています。『このままじゃ高橋に勝てない!』と周りに思わせるような跳躍をしたいですね。

 自分が1m80cmとかの記録で勝っても、周りも『まぁ負けたけど70cm台でもいいか』みたいになってしまう。国内の競技レベルを上げていくためにも、1m90cm近い記録で勝つ必要はあるなと思っています。そうすれば周りも自然と1m80cm台を出してくると思いますから」

 長い間止まったまま、錆びついてしまった時計の針を動かすのは決して簡単なことではない。それでも高橋は自分自身の伸び代をまだまだ感じている。

「まだまだ課題だらけなんで(笑)。自分のピークは、全然見えていないです」

文=山崎ダイ

photograph by AFLO/Takuya Sugiyama