2023年の期間内(対象:2023年5月〜2023年9月)まで、NumberWebで反響の大きかった記事ベスト5を発表します。野球インタビュー部門の第1位は、こちら!(初公開日 2023年7月21日/肩書などはすべて当時)。

 WBCで世界一奪還を果たした侍たち。彼らには画面越しでも伝わる連帯感が醸成されていた。なぜたった1カ月でチームが一つになれたのか。ハッスルプレーで日本中を虜にしたラーズ・ヌートバーが振り返る。
 現在発売中のNumber1077号掲載の[独占インタビュー]ラーズ・ヌートバー「あのチームのケミストリーは特別だった」より内容を一部抜粋してお届けします。【記事全文は「NumberPREMIER」にてお読みいただけます】

侍ジャパンは「アメイジング!」

「もちろん心から信じています」

 断言したのは侍ジャパン初の日系アメリカ人選手としてWBCでの世界一に貢献したラーズ・ヌートバーだ。

 あれから約3カ月、ヌートバーが所属するカージナルスの本拠地であるセントルイスで彼に問うたのは“チームの一体感”という概念を信じるかどうか。スポーツ界でよく聞く言葉だが、抽象的であり、選手によってとらえ方は十人十色だろう。ヌートバーはこう自分の考えを明かした。

「一体感、つまりチームケミストリーは一緒に戦うチームメイト同士が仲良くなると同時に、エゴをいったん捨てて同じ方向に向かっていくことで生まれると思います。目標が統一できれば自然にファミリーのようになって、よりチームが強くなる」

 では侍ジャパンのチームケミストリーはどうだったかと問うと一言で答えた。

「アメイジング!」

 そして次のように続けた。

「集まったときには全員が玄関にエゴを置いてきたようだった。その雰囲気を作ったのはもちろん栗山(英樹)さん。彼は大会前、選手たちに『全員が希望通りの出場機会を得られないかもしれないが、世界一という目標から焦点を外さないようにしよう』と語りかけたんです。それは口先ではなく彼の信念のようでした。その言葉に呼応するようにスタメンだけじゃなく、控えの選手、コーチ、裏方の全員がチームケミストリー作りに貢献した。役割を問わずに全員が助け合って前に進んでいったんです。普段から一緒に戦っているわけではないからこそチームケミストリーは絶対必要だったし、短期間でそれを生み出して世界一という結果を得ることができた侍ジャパンには完璧に満たされました」

水原一平通訳からのメッセージの内容とは…

 この“アメイジング”な経験は謎のメッセージから始まった。

 昨シーズン終盤のあるオフの日、ヌートバーが遠征先のホテルの部屋で休んでいると、“ピン”という音が静けさを破った。自身のインスタグラムに大谷翔平の通訳を務めている水原一平からメッセージが入ったのだった。

 文面は“以下にある私の携帯電話番号にご都合のいいときにお電話いただければありがたいです”というものだった。

「イッペイとは一面識もなかったけどすぐに電話した。だって、ショウヘイオオタニの関係者から電話をくださいと言われたらすぐに従うでしょう」

 水原の用件は、半年後に行われるWBCについてだった。

「まだ何も決まってはいないけれど、もし侍ジャパンに選出されたときは興味があるか知りたいと。“マジか!”と。考える理由なんてない。その場ですぐに『イエス』『オフコース』と答えたんだ」

 約2カ月後。南カリフォルニアにある実家からオンラインで栗山監督と初めて顔を合わせ、選出が決定したことを伝えられた。こうして日系人の現役メジャーリーガー初の侍が誕生した。

実は”たっちゃん”も当初、緊張だらけだった

 ヌートバーにとって最初の目標はできるだけ早くメンバーと一体感を築くこと。ヌートバーは以前、こう語っている。

「日本に到着する前に少しでも溶け込めたらとチームのグループチャットにも参加したし、セイヤ(鈴木誠也)と代理人が一緒なので彼にも助けてもらった。注目を集めるササキ(佐々木朗希)とかヤマモト(山本由伸)のピッチング映像も見ている。なによりオンライン通話で栗山さんと話したときにとても安心した。紳士で母にも挨拶したいと気遣ってくれ、本当にチームの一員だと感じさせてくれたんだ。僕も日の丸のユニフォームにとてもプライドがある。みんなと一緒にこのユニフォームに身を包んで、力を合わせてWBC制覇に向かっていきたいと思った」

 来日してすぐさまリードオフマンとして巧打者ぶりを発揮し、明るい性格でムードメーカーとしても大活躍したヌートバーに日本人たちは心を打たれた。しかし、実はあの“たっちゃん”も未知の環境に対して当初は緊張だらけだった。

 宮崎合宿がメジャーキャンプの開始と重なり、メジャー所属選手は3月6日まで強化試合への出場を許可されなかったため、ヌートバーも合流が遅れた。名古屋で侍と合流するまで一緒に戦うチームメイトやスタッフとは誰一人直接会えなかった。

「合流したときに受け入れて信頼してもらえるか不安はありました。そんなときに大きな存在だったのがカージナルスのキャンプでルームメイトだったドリュー・バーヘイゲン('20-'21年日本ハム、右投手)。栗山監督の下で2年プレーした経験があり日本の球界に詳しく、様々なアドバイスをもらいました。栗山監督が親切でやりやすいとか日本での経験は最高でもう一度プレーしたいという言葉を聞いて緊張感を抑えられた。先日彼には『あのときのお前の言葉は大きかったよ、ありがとう』って伝えたよ」

ダルビッシュと面会「いきなりでビビっちゃった」

 来日後最初の全体ミーティングでチームメイトが、ヌートバーのミドルネーム“タツジ”由来のTシャツを着て仲間として受け入れてくれたことで緊張がほぐれた。

「日米両国旗に『たっちゃん』と書いてあるTシャツだったし、最初からニックネームをつけてもらえてホッとした。面白かったのは、コンドー(近藤健介)が1次ラウンドが終わるまで僕の本名を知らなかったこと(笑)。僕のすぐ後ろを打っていて、場内アナウンスでも言ってたのに。大好きなチームメイトだから許したけどね」

 実は最初の全体ミーティングの前日にも安心感を増す出来事があった。

 来日した3月2日、名古屋に移動したヌートバーは翌日のチーム合流を控えて宿舎内の食事会場で食事をしていた。そこにふらりと現れたのがダルビッシュ有だった。

「いきなりでビビっちゃった(笑)。うまくチームに溶け込むには彼との関係がすごく大事だと思っていたし、来日する前からどうやって親しくなろうか考えていたからね。お互いに自己紹介して、温かく歓迎してくれた。『気持ちよくプレーできる環境を作るので必要なことがあればなんでも言ってください』って言ってくれたおかげでいいスタートが切れたんだと思う」

 日本が世界一を奪還したあと、あのイチローがダルビッシュの貢献を称えたことを伝えると、ヌートバーもうなずいた。

「イチローさんの言う通り。翔平は別格だから注目されて当然だけど、ダルビッシュも不可欠。みんなが尊敬するリーダーだったよ。日本でもマイアミでも食事会を開催したり、後輩たちをよく支えてくれた」

食事会では”意外なルールが…

 だから初対面時のことも今ではこう考えている。

「あの日、あのタイミングで食事会場にやってきたのは偶然だと思ってたんだけど、たぶんそうじゃなかったんだよね」

 ヌートバーは他にもチームケミストリー作りの例をあげた。

 レッドソックスに入団したばかりの吉田正尚はヌートバーや大谷よりもさらに遅れて合流することになった。そのタイミングでダルビッシュが選手全員の食事会を開催したのだ。

 自然な流れに任せたらヌートバーは強化試合への出場が許可されていない期間を通じて親しくなった大谷やダルビッシュと並んで席に座っただろう。しかし、食事会に顔を出すと意外なルールが待っていた。

―2023上半期 プロ野球部門 BEST5


1位:《独占告白》ヌートバーがいま明かすWBC秘話「オオタニの通訳から謎のメッセージがきて…」ダルビッシュには「いきなりでビビっちゃって」https://number.bunshun.jp/articles/-/858809

2位:「落合博満は練習嫌い」のウソ…当時チームメイトが語る“本当の落合論”「4割なんて打てるよ、と」「オチさんの目的は1つでした」
https://number.bunshun.jp/articles/-/858808

3位:「アメリカ到着後に戦力外を知った」元巨人・山口俊が語る“日本ではありえない”メジャーのビックリ事件簿「背番号まで考えてたのに…」
https://number.bunshun.jp/articles/-/858807

4位:「怪物が消えた」児童養護施設に預けられる寸前だった野中徹博は名将と出会い…甲子園で無双した“世代最強投手”がドラフト指名されるまで
https://number.bunshun.jp/articles/-/858806

5位:森友哉に激怒「カチンときて個室に呼んだ」あの名キャッチャー・袴田英利が語る“ノーサインで村田兆治を受けた”激動人生「離島甲子園を引き継ぐ
https://number.bunshun.jp/articles/-/858805

文=ブラッド・レフトン

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