2023年の期間内(対象:2023年5月〜2023年9月)まで、NumberWebで反響の大きかった記事ベスト5を発表します。相撲部門の第5位は、こちら!(初公開日 2023年6月29日/肩書などはすべて当時)。
「貴乃花vs武蔵丸」、2001年夏場所の千秋楽。力士生命が危ぶまれるほどの大ケガをおして、強い精神力で土俵に上がった貴乃花。困惑する武蔵丸は本来の力が出せず、心に傷を負う。本人たちが明かした、“大相撲史に残る一番”の舞台ウラとは?【全2回の1回目/#2へ】(初出:Number PLUS/2017年3月8日発売)◆◆◆
治療師の「エイ、ヤーッ!」という声
「痛みに耐えてよく頑張った! 感動した!」
時の小泉首相が、総理大臣杯を授与する際に思わず叫んだ、あの貴乃花と武蔵丸の一戦――。2001年5月場所千秋楽、優勝決定戦を制した手負いの貴乃花が、阿修羅のごとくの表情を見せた。今なお往年の相撲ファンが伝説のように語り継ぐ大一番だった。
「今でもよくあの一戦について、『感動しました』と言われるけれど、傍から見られているのと、自分の心境はまた違っていたんです」
そう、のちの貴乃花は述懐している。
全勝で迎えた14日目の武双山戦。貴乃花は土俵際で巻き落とされ、黒星を喫す。
この時、右膝を亜脱臼し、半月板を損傷する重傷を負う。付け人たちの肩を借りて脚をひきずりながら、支度部屋に引き上げる姿を、大相撲中継のテレビカメラが捉えていた。
支度部屋にある風呂場で、相撲協会専属トレーナーに膝を入れてもらい、どうにか歩行は可能な状態となる。その夜、炎症で痛みが出、翌朝は自宅から病院に直行した。たまった血を抜き、二子山部屋に戻ると、待ち構えていた治療師の処置を受ける。小雨のそぼ降るなか、部屋の外で待つ報道陣の耳に、治療師の「エイ、ヤーッ!」という声が響いた。
「これでもう、引退が飾れるかも…」
もし貴乃花が休場すれば、2敗で追い掛ける武蔵丸が本割の取組で不戦勝=同点となり、続く優勝決定戦での対戦も不可能。大相撲史上初の「千秋楽不戦勝による逆転優勝」の可能性もあったが、師匠であり父でもある二子山親方(元大関貴ノ花)はもちろんのこと、誰もが千秋楽の休場はやむを得ない――出場は絶望的だと考えていた。
だが、「横綱としてでなく、ひとりの力士として」この時の貴乃花には、みじんも休場の意志はなかった。
「自分の定義として、ケガするのは自分がいけないんだと思っています。自分が招き入れたものだから、それは乗り越えなきゃいけない。勝ち負けより、気持ちだけで土俵に上がるしかない。だって14日目に勝ってさえいたら、そのまま私の優勝が決まっていたわけです。ここでケガをうんぬんするのは、勝ち負けより恥ずかしいことだと思っていました。武蔵丸関と当たれるし、『これでもう、引退が飾れるかもしれない』という思いが、どこかにあった。横綱同士の対戦が最後の一番になるというのは幸せなこと。たとえ負けたとしても――」
思えば1994年11月場所後に第65代横綱に昇進し、21回の優勝を誇っていた貴乃花。曙、武蔵丸、魁皇や武双山、貴ノ浪などが群雄割拠し、せめぎ合うなか、大相撲ブームを牽引。その時代の先頭を切り、駆け抜けて来た。
千代の富士が「痛かったらやめろ!」
そして迎えた、22回目の優勝を目前にした千秋楽、結びの一番。貴乃花は患部を痛々しいほどのテーピングでガッチリと固定し、土俵に立つ。その姿に誰もが息を飲んだ。仕切りで塩を取りに行った武蔵丸の耳に、土俵下に審判として座る九重親方(元横綱千代の富士)の声が聞こえた。
「貴乃花、痛かったらやめろ!」
優勝決定戦までもつれこむには膝がもたないだろう、それだけは避けたい、この本割で決着しなければ――そんな不安を打ち消し、残れる気力を振り絞っていた貴乃花に、その声は届かなかった。
「あの時の武蔵丸関は、やっぱりやりにくかっただろうと思います」(貴乃花)
「やりにくかったというか、最初からやる気が出なかったよ……」(武蔵丸)
本割では、立ち合いの呼吸が合わずに3度仕切り直す。そして、武蔵丸の突き落としに貴乃花はあっけなく、バッタリと前のめりに倒れた。わずか0.9秒。賜杯の行方は優勝決定戦に持ち込まれた。
「棄権しろ」直前の伝言
「本割では、膝がイカレているし、子ども扱いされるように突き落とされて、こっちがあっさり負けたでしょう。まず思ったのは、『決定戦では武蔵丸関に失礼にならないようにしなきゃ。これじゃいけないぞ』ということでした。
棄権しようとは思わなかった。もう自分は引退間際だと思っていたし、『ここで棄権しても意味はない』と。同情されるのも苦手で、『それなら潔く吹っ飛ばされて負けた方が気が楽だな』って――」
この時の心境を、貴乃花はそう語っていた。
決定戦を前にした東支度部屋は、異様な緊張感に包まれていた。大銀杏を直すのもそこそこに、てっぽう柱に向かい、取り憑かれたように精神集中する貴乃花。その場にいる誰もが、遠巻きに見つめるしかなかった。そんななか、「棄権しろ」との、二子山親方の伝言を、花籠親方(元関脇太寿山)が勢い込んで伝えに来る。しかし、貴乃花は「大丈夫です」と一言だけ即答する。てっぽうを打つ音だけが、静かな支度部屋に響いた。
◆◆◆
優勝決定戦を告げる柝(き)が入った。
いざ、雌雄を決する優勝決定戦。
土俵上、仕切る貴乃花の膝が、再び外れる。
「『力士道』としては、本来ならああいう姿を相手に見せたらいけないんです」と貴乃花はいう。「気合いは入っていても、相手は武蔵丸関だ、もう勝てるわけない」との思いも、その脳裏をよぎった。しかし、「決定戦に出るからには、せめて恥ずかしくない土俵態度を示さなければ」との矜恃。そんな貴乃花に「土俵の神様」がわずかに味方する。塩を取りに行った際、膝を回すと、奇跡的に、うまくはまってくれたのだ。
<後編では、あの“伝説の一番”直後に何があったのか? 貴乃花と武蔵丸2人の証言を紹介していく。>
《続く》
文=佐藤祥子
photograph by KYODO