試合中に彼がこれほど感極まった表情を浮かべ、涙まで見せたのは、14年間のキャリアで初めてのことだろう。

 9月8日、ブラジル北東部ベレンで行なわれた2026年ワールドカップ(W杯)南米予選第1節のボリビア戦。後半16分、右からのクロスをゴール前でロドリゴ(レアル・マドリー)がコントロールしようとしたが、タックルを受けてボールが左へこぼれると、すかさず右足で蹴り込んだ。意表を突かれたGKは、一歩も動けなかった。

 セレソン(ブラジル代表)での通算78点目。キング・ペレを抜いて、最多得点記録を更新した。

数字の上ではペレを上回ったけど…」

 予め、決めていたのだろう。ペレの定番のゴール・セレブレーションだった「高々と跳び上がり、右の拳を空中に叩きつけるポーズ」を2度、繰り返す。笑顔で駆け寄ったチームメイトたちと、輪になって抱き合った。そして、両手で力強いガッツポーズを作り、両手の人差し指で天を指すと、感激の面持ちで両目を潤ませた。

 後半アディショナルタイムにも右からの浮き球のクロスを直接蹴り込み、記録を79点まで伸ばした。

 試合後、ブラジルサッカー連盟のエドナルド・ロドリゲス会長から新記録達成の記念プレートを授与され、「自分の名前をブラジルのフットボールの歴史に刻み込みたいと思ってきた。今日、それが実現した。これまで自分を支えてくれた人たちに感謝したい」、「ペレの記録を数字の上では上回ったけれど、彼を超える選手になったとは思っていない」と静かに語った。

 12日に行なわれた2026年W杯南米予選第2節ペルー戦にも出場。得点こそなかったが、セレソンの出場試合数を126へ伸ばし、歴代2位のダニエル・アウベスに追いついた。最多記録はカフー(注:1994年と2002年W杯で優勝)が持つ142試合だが、南米予選(残り16試合)と2026年W杯に出場すれば記録更新が十分に可能だ。

私生活上のトラブルが頻発している一方で

 ブラジルサッカー連盟の記録では、ペレはセレソンで114試合に出場して95得点。ただし、この中には対戦相手がクラブや地域選抜だった試合が含まれており、代表Aマッチに限ると92試合で77得点(1試合当たりの平均得点は0.84)。一方、ネイマールは代表Aマッチで126試合に出場して79得点(1試合当たりの平均得点は0.63)。近年、代表の試合が急増している恩恵を受けているのは確かで、1試合当たりの平均得点はペレに遠く及ばない。

 それでも、現在のセレソンでネイマールに次ぐ得点を記録しているのは45試合に出場して20得点(1試合当たりの平均得点は0.44)のリシャルリソン(トッテナム)で、ネイマールが突出している。

 近年、故障のため大事な試合を欠場することが多く、私生活上のトラブルも頻発している。しかし、スピードとテクニックを駆使したドリブルでマーカーを翻弄し、意表を突くパスで相手守備陣を切り裂き、見事なゴールを叩き込むこの男のアタッカーとしての傑出した能力、そしてブラジルと世界のフットボールへの多大な貢献は正当に認めるべきだろう。

「天才少年がいる」と地元メディアが騒いでいた頃

 サントス郊外で、中小クラブを渡り歩いたプロ選手の長男として生まれた。6歳でフットサルを始め、12歳で名門サントスのアカデミーへ。父親は息子の類まれな才能に驚き、彼が13歳のときに仕事を辞め、すべての練習、遠征、試合に帯同して全面的にサポート。一家の命運を少年に託した。

 13歳のときレアル・マドリーのアカデミーの練習に招待され、「このまま残らないか」と勧誘されたが「友だちと離れたくない」と言って断り、サントスのアカデミーでプレーを続けた。

 当時から、地元メディアとサポーターの間では「天才少年がいる」と騒がれていた。2009年、17歳でトップチームからデビューし、ほどなくレギュラーに。「2010年W杯のメンバーに加えるべきだ」という声がメディアと国民の間から上がったが、当時のドゥンガ監督は「まだ経験不足」として招集を見送った。

バルサ移籍以降から“キナ臭い匂い”が漂い始めた

 2013年にバルセロナへ移籍したが、後に父親が移籍金の一部を着服したことが判明し、サントスと彼の所有権を保持していたブラジルの投資会社から訴えられた。

 この頃から、彼の代理人を務める父親にブラジルとスペインでの巨額の脱税、ブラジルでの違法行為などのキナ臭い匂いが漂うようになる。

 バルセロナでは、アルゼンチン代表FWリオネル・メッシに心酔し、ピッチ外でも親友となった。2014年には、ウルグアイ代表FWルイス・スアレスが加入。3人は「MNS」と称され、以後の3シーズンで363得点を記録。「世界フットボール史上最高のトリオ」と称され、ファンを熱狂させた。

350億円のPSG電撃移籍から風向きが変わった?

 ところが、2017年、ネイマールが2億2200万ユーロ(約350億円)という途方もない移籍金でPSGへ電撃移籍。トリオが解体されてしまう。移籍の理由について、本人は「欧州チャンピオンズリーグ(CL)制覇を目指す、というクラブの野心的なプロジェクトに賛同した」と説明した。しかし、「王様メッシの忠実な副官のままでは世界一の選手になれないと考え、別のクラブで王様となるためにバルセロナを離れた」、「父親と本人が金目当てで行なったステップダウン」などと揶揄された。

 当初は、PSGサポーターから大歓迎を受けた。しかし、次第に故障が増えていく。チームは2019-20シーズンにクラブ史上初めて欧州CL決勝へ進出したが、バイエルン・ミュンヘンの前に散って準優勝にとどまった。

 その後はさらに故障が増え、重要な試合を再三欠場。地元メディアが私生活の乱れを報じ、サポーターから強い批判を浴びるようになった。

 そして、今年2月、フランスリーグの試合で右足首を骨折して残りのシーズンを棒に振る。破格の高給を得ているにもかかわらずチームへの貢献度が低いことにPSGのサポーターは激怒し、5月、彼の自宅を取り囲んで「出ていけ」のコールを繰り返した。この一件で、ネイマールは自分がパリでは愛されていないことを思い知らされた。さらに、ルイス・エンリケ監督から今季の戦力とみなされていないことを知り、PSG退団を決意したようだ。

バルサに“フラれる形”で506億円サウジ移籍を決断

 当初、本人は古巣バルセロナへの復帰を願ったようだが、かつてチームメイトだったシャビ監督が「彼の存在は他の選手に悪影響を及ぼす」と考えて加入を望まなかったされる。このため、本人サイドがプレミアリーグの複数の強豪クラブなどに獲得を打診したと報じられたが、獲得に強い熱意を示したクラブはなかったようだ。

 こうして、8月中旬、2年契約で移籍金が推定1億ユーロ(約158億円)、契約期間中に彼が受け取る報酬の総額は各種ボーナスを含めて推定3億2000万ユーロ(約506億円)というとてつもない条件でアルヒラルへ移籍した。

 ただし、PSGでのプレシーズン期間中に右太ももを故障し、アルヒラルでデビューしないまま8日、セレソンのボリビア戦に出場した。

 セレソンのフェルナンド・ジニス監督が「チームにとって死活的に重要な選手」と特別な信頼を置けば、ネイマールも「ジニスは、話すことも戦術も極めてユニーク」と語り、「彼からの信頼に応えたい」と意気込む。当面、2人の関係は極めて良好で、エースが気持ち良くプレーしていることがチーム全体にエネルギーと安心感を与えている。

 ただし、今回の記録更新にブラジル中が沸き立っている、というわけではない。国内メディアと国民はかなり醒めている。

ピッチ外の数々のトラブルと未熟な言動に…

 それは、W杯に3回出場しながらチームを優勝に導くことができず、期待を裏切り続けていること、近年、あまりにも故障が多いこと、そしてピッチ外の数々のトラブルと未熟な言動に多くの人が辟易しているからだろう(注:PSGのサポーターは、退団直後の試合で「育ちが悪い奴がいなくなって清々した」という垂れ幕をスタンドに掲げた)。

 それでも、ボリビア戦で故障明けとは思えないプレーを見せたことで、国内メディアと国民の彼への期待は再び高まりつつある。

 今後、クラブと代表でどのようなプレーを見せるのか、そして2026年W杯開幕時にはどのような状態にあるのか――。母国のメディアと国民は、期待と不安が入り混じった気持ちで背番号10を見つめている。

文=沢田啓明

photograph by AFP/JIJI PRESS