「ここ(一軍)で野球をしなければいけないなって、改めて感じています」
横浜DeNAベイスターズのリリーバーである宮城滝太(だいた)は、目に力を入れ、実感を込めてそう語った。
5年目で一軍デビュー「長かったですね…」
入団5年目。宮城は3年半の育成契約期間を経て、昨年7月に支配下登録された。晴れて一軍への挑戦権を手に入れたものの、初昇格できたのは今年の8月13日のことだった。
「長かったですね……」
そう言うと、宮城は苦笑した。
2019年に滋賀学園高から育成ドラフト1位で入団した、23歳の若き本格派の右腕。数年前、育成時代に話を訊いたとき「自分の目標は支配下登録ではなく、一軍の戦力になることです」と、語っていたことを思い出した。
「うれしい」より「悔しい」だった、1軍登録
高い意識の持ち主は実際、ようやく一軍から声が掛かったとき、どんな思いが胸に去来したのだろうか。
「正直、うれしいという気持ちより、支配下になって1年間チャンスを掴めなかったので悔しい思いの方が大きかったんです。早く一軍で投げて、自分の力を見せたい、という思いが強かったので」
宮城という投手は、見た目こそソフトで普段は爽やかな笑顔を見せてくれるのだが、いざ野球のこととなると、目に光が宿り好戦的な姿勢が露わになる。プロ向きだな、と感じさせる。
初めて経験している一軍のブルペン。どんな景色が見えているのだろうか。
「自分が一番年下で、わからないことだらけなので、皆さんすごく声を掛けてくれて助かっています。各投手、準備も含め自分のやるべきことをやっているんだって、見ているだけでも意識の違いがすごくわかって、すごくいい経験をさせてもらっています」
田中健二朗からのアドバイス
とくにサポートをしてくれたのはほぼ同じタイミングで一軍に昇格した、16年目のベテラン左腕である田中健二朗だった。
「ファーム時代から健二朗さんとは一緒に過ごすことが多かったので心強かったです。準備段階からいろいろ教えてもらったり、『ファームで普通に取れていたアウトが、一軍で取るのは難しくなる。けどファームでやってきたようにどんどん勝負すればいい』と言ってくれて、その言葉はすごく支えになりました」
宮城はここまで9試合に登板し、防御率3.60(9月24日現在、以下同)。まだ登板機会が少ないので評価に至るには早計かもしれないが、特筆すべきは奪三振率で9.00という高アベレージを記録し、さらにリリーフとして重要な指数であるWHIP(1イニングで何人の走者を許したか)で、チームトップクラスの0.93という数字を残していることだろう。
なにも変えずにどんどん来て
プロ初登板は8月13日の巨人戦(東京ドーム)。宮城はビハインドの5回表にマウンドに上がり、2イニングを投げ1安打3三振、無失点と上々のデビューを飾った。捕手はファーム時代によく組んでいた山本祐大だった。
「まず昇格した当日に投げられることってあまりないと思うので、自分は恵まれているなって。すごくうれしかったですね。祐大さんからは『なにも変えずにどんどん来て』と言われて、気持ち的に楽でしたし、とにかく後手に回らないよう必死でした」
ピンチの場面は嫌いじゃない
9月6日の広島戦(マツダスタジアム)では、同点の10回裏にマウンドに上がり、自身の悪送球もありサヨナラ負けのピンチを背負ったが、緊張の場面を乗り切って抑えきった。
「いやもう、あのときは地に足が着いていない感じでしたね(苦笑)。でも、自分はああいう場面の方が好きっていうか気持ちが上がって『ああ今、勝負しているな』って感じるんですよ。嫌いじゃないですね」
宮城はそう言うと、充実感の漂う表情で頷いた。
ファームと一軍の明確な差は?
まだ経験としては浅いが、宮城が感じたファームと一軍の明確な違いは何だろうか。そう問うと宮城はじっくり考えて口を開いた。
「思うのは“綺麗なアウトが取れない”ということですね。一軍のバッターは、何とか塁に出ようという意識が強くて、健二朗さんも言っていましたけど、簡単にアウトが取れない。ファウルで粘るバッターもいれば、一発で仕留めてくるバッターもいる。そこは大きな違いだと思いますし、しっかり制しなければいけないと思っています」
育成時代から宮城の投球を見ているが、大きな変化を感じたのが、一昨年11月に右肘のクリーニング手術を受けた後からだ。入団してから宮城は先発を任されていたが、術後にリリーフへと配置転換されている。
「たしかに、あの怪我は自分にとって大きかったですね。リハビリ期間中はウェイト・トレーニングに力を入れたり、改めて野球の勉強やピッチングの研究をして、自分はどういうスタイルで勝負した方がいいのか、いろいろと考えました」
入団後からの変化
先発時代の宮城は、ゴロを打たせて取る、いわゆる“グラウンドボーラー”のイメージだったが、今はストレートを軸にゾーン内に強いボールを投げて勝負できている。
「先発時代は四隅を狙ってゴロを転がすスタイルでしたが、それだとやっぱり球数が増えてしまいます。だから球数を少なくするためには、やっぱりゾーン内で勝負しなければいけないなって」
それを可能にしているのが、MAX154キロの力のあるストレートだ。入団時は141キロだったストレートは、4年以上の歳月をかけ確実に勝負できる球になった。
「ファウルも取れていますし、ボール先行になっても真っすぐで行けるようになってからはピッチング内容が変わりましたね」
リリーフで変わったスタイル
ゾーン内で勝負できることで奪三振率が上がったのはもちろん、与四球も減ってきている。それに付随し変化球も変わった。以前の宮城はカーブ、スライダー、カットボール、シュート、さらに2種のチェンジアップと多彩だったが、リリーフになってからはカーブ、フォーク、スライダーに絞り込んでいる。
「先発時代、いろいろな球種を投げたことで、ストレートの成分にすごく影響が出てしまったんです。回を追うごとにスピードも落ちてしまい、軸となる真っすぐが駄目になると抑えきれない。だからリリーフに転向してからは、真っすぐに影響が出にくいカーブ、フォーク、スライダーに絞ることにしたんです。もう逆に、この球種しかないと思わせて勝負した方がいいという考えに至りました」
主に1イニングを投げるリリーフであれば、自信のある強いボールを投げることの方が理にかなっている。
「シンプルに勝負できるというのが、自分にとって一番大きいですね。先発時代は、6回100球とか7回100球というゲームプランをイメージしていたんですけど、それを考えなくていいから、どんどん勝負ができる。気持ち的にも楽だし、そこはすごく自分に合っていると思いますね」
西武・宮川哲のパワーカーブ
先発からリリーフへの配置転換を言い渡されたときは、とくに抵抗感はなかった。とにかく一軍で投げられるチャンスを掴めるのならば、どこででも投げる覚悟はあり、逆にリリーフへの転身は宮城にとっていいきっかけになった。
変化球でとくに目を見張るのが、空振りを取れるカーブの切れだ。宮城は「自分の中で一番自信のあるボールで、すごいこだわっているんです」と言った。
「皆さんが持っているカーブのイメージってタイミングを外してカウントを取る感じだと思うんですけど、僕が目指しているのはそこではないんです」
ボールの回転数が多いと教えてくれた宮城のカーブ。参考にしているのは、埼玉西武ライオンズの宮川哲の“パワーカーブ”だという。
「ファーム時代から宮川さんのカーブがすごく好きで、いろいろな方の協力で繋いでもらって、直接アドバイスを頂いたんです。それからすごく良くなりましたね。宮川さんのカーブは、空振りが取れるカーブ。追い込んだ状態で、バッターに強いカーブがあるとイメージさせるだけでも、ずいぶん違うと思うし、しっかり空振りの取れるボールにしていきたいと思います」
どこか楽しそうに、若きリリーバーは言うのだ。
健二朗さんの影響は大き過ぎるぐらい
宮城に「尊敬や憧れている投手はいますか?」と尋ねると、ここまで何度か名前が出てきた田中健二朗を挙げた。11歳上となる34歳の大先輩。聞けば、宮城はベイスターズのファームキャンプが行われてきた沖縄県嘉手納町出身なのだが、小学生のとき、チーム主催の野球教室で田中に指導されたことがあるという。また宮城が入団した初年度となる2019年の夏、田中はトミー・ジョン手術を行っており、DOCK(ファーム施設)での過酷なリハビリの様子や、それを克服し復活した姿を間近で見てきている。
「健二朗さんの影響は大き過ぎるぐらいですよ。経験値はもちろん、日ごろの練習の取り組み方など参考になりますし、知識も豊富。誰が見ても健二朗さんは、すごいって思うはずですよ。あと小学生のときに教わった人と同じタイミングで、初めて一軍に上がれたというのもすごくうれしかったですね」
当の田中はどう評価している?
当の田中は、宮城のことをどのように評価しているのだろうか。田中に訊いてみると「野球教室のことはさすがに覚えてないですよ」と言って笑った。
「非常に向上心の高いピッチャーですよね。本当にぐいぐい来るんです。『一緒にキャッチボールしてください!』とか『このボールはどうやって投げるんですか?』とか『どんな練習しているんですか?』と、訊いてくることがすごく多い。貪欲というか、訊くことでなにかひとつでもモノにできるものがあれば、という姿勢が見えるのはいいところですよね。あとはマウンド度胸がめちゃめちゃある。まだ若いし、これから一軍で投げていけば壁にぶち当たることもあると思うけど、経験を重ねることでボールの精度やピッチングの幅は広がっていくでしょうし、それができるピッチャーだと思うので、これからが楽しみですよね」
育成、高卒ピッチャーの道を切り拓く
現在クライマックスシリーズへの進出を懸け戦っているDeNAにあって、宮城はまだビハインドでのピッチングが中心だ。しかし向上心の塊である右腕は、現在と未来をしっかりと見据えている。
「今はとにかく与えられた場面で、1人目からしっかりと腕を振っていくことだけです。ただゆくゆくは、自分はリリーフというポジションが好きなので、勝ちパターンに入れるようなピッチャーになりたいと思います」
若き選手の台頭は、いつだって観ている者をワクワクとさせるものだ。
「チームのためにも若手がどんどん出て行かないといけないと思いますし、とくに高卒のピッチャーがあまりいないので、自分がその状況を切り拓いて、道を作っていきたいと思っているんです。ファームで頑張って成長できれば、一軍でもできるんだよって姿を見せていきたいですよね」
高卒投手のパイオニアとなるべく、これから宮城がどのようにして存在感を高めていくか楽しみだ。「ようやくスタートラインに立てた感じですね」と伝えると、宮城はかぶりを振った。
「いやまだ、スタートラインにすら立っていない感覚ですよ」
謙虚に、ただひたすらに。決して衒(てら)うことなく、そう真摯に返す宮城からは、頼もしさしか感じられなかった。
文=石塚隆
photograph by Sankei Shimbun