球史に残る大投手の生涯ベストシーズンの成績を比較して、日本プロ野球史上No.1投手を探る旅。沢村栄治、江川卓、ダルビッシュ有、野茂英雄らに続く第14回は、「育成の星」千賀滉大(メッツ)だ。メジャー1年目でいきなり12勝を挙げ、ナショナルリーグ新人王の最終候補にも選ばれた千賀が、当企画の現チャンピオン・山本由伸に挑む。

年俸270万円から20億超えに…千賀の歩み

 2010年ドラフト会議で97選手中91番目の育成選手として指名され、ソフトバンク三軍でプロキャリアをスタートした千賀は、数々の“育成出身投手初”の記録を打ち立てた。

 17年に育成出身として初めてオールスターのファン投票先発投手部門1位に輝き、オールスター先発投手に。同年の日本シリーズ開幕投手、19年のノーヒットノーラン達成、投手部門のゴールデン・グラブ賞、ベストナイン選出も育成投手出身初の快挙だった。

 20年には、最多勝、最優秀防御率、最多奪三振の投手三冠を達成。22年のオフシーズンにメッツと5年7500万ドルの契約を結んで、ついに育成初のメジャーリーガーにまで昇りつめた。

 この間の年俸は、初年度の育成契約270万円から20億円超え(5年総額7500万ドル)へ。実に12年で800倍以上も跳ね上がったのだ。

 千賀はなぜ急成長を遂げられたのか。大きく3つの要因が挙げられるだろう。

なぜ急成長? 理由1)入団時の伸びしろ

 急成長の秘密その1は、プロ入団時点で原石の状態――そのキャリアからわかるように、伸びしろが残されていた点にある。中学軟式野球から公立蒲郡高校(愛知)と無名校の出身。さらに中学では内野手で、高校生になって投手に抜擢されたものの、成長痛や膝痛に悩まされてほとんど登板機会がなかった。ようやくエースとして出場した3年夏の地方予選は3回戦止まりである。

「僕はもともと体が虚弱ですぐに肩や肘を痛めるタイプだったこともあり、高校時代などはほとんど満足に投げられたことがありません」(『千賀滉大のピッチングバイブル』2022年/ベースボール・マガジン社)

 ソフトバンク三軍で千賀を初めて見た投手コーチの倉野信次は、「身体が柔らかく可動域が広い。しかし、筋力がなく、全体的に体力がなかった。これまで見てきた選手の中で3本の指に入るほど体力がなかった」と語っている(『日本プロ野球育成新論』2020年/大道典良著/徳間書店)。

なぜ急成長? 理由2)三軍制の存在

 急成長の秘密その2は、めぐり合わせである。無名だった千賀がなぜソフトバンクに入団できたのか。

 千賀はどの球団のスカウト網にもかかっていなかったが、愛知県のアマチュア野球ウォッチャーだったスポーツショップの店主が千賀の投球を見て可能性を感じ、旧知のソフトバンクのスカウトに連絡した。これが1つ目の幸運。

 加えて、この年(2010年)ソフトバンクは球界に先駆けて三軍を立ち上げて若手を育成する方針を打ち出していた。千賀や甲斐は、2011年にスタートしたソフトバンク三軍の一期生にあたる。もし三軍がなければ、千賀は指名されていなかったかもしれない。これが2つ目の幸運だった。

 背番号128の千賀は、徹底的に走って下半身と体幹の強化を図った。その結果、体重は75キロから81キロに増加。球威も増して、2011年8月の中日との二軍戦で高校時代のマックス144キロをはるかに超える150キロを出した。実戦より成長を重視する育成制度、そしてソフトバンクの三軍制がはまった好例と言えるだろう。

なぜ急成長? 理由3)類まれなる向上心

 急成長の秘密その3が、本人の高い意識と独特の練習方法だ。

 千賀は、ソフトバンクに入団した当時から“日の丸を背負う投手になる”という意識を持っていたという。

「当時のソフトバンクの先発ローテーションには代表クラスの投手が揃っていて、そのレベルにならないと試合に出られないと思っていた」(『週刊ベースボール』23年2月6日号)

 1年目は平均以下だった体力の強化に努め、オフには独自の骨幹理論を持つ鴻江寿治(こうのえ・ひさお)氏が主宰する合宿に参加し、効率的な身体の使い方を習得した。

「どれだけ楽して強い球を投げられるか、という部分を常に考えてきた。小さな力で大きな出力を出すという技術を身につければ速い球を投げられる。トレーニングは出力を上げるものではなくケガをしない強い体を作るもの」(同上『千賀滉大のピッチングバイブル』)

 投球に関する技術の習得にもどん欲で、1年目オフに当時球界最高峰の制球力を誇っていた9歳年上の中日の吉見一起との合同自主トレで積極的にアドバイスを求めた。それまで不安定だったフォークのコントロールが向上し、のちの「お化けフォーク」誕生に繋がる。

話題を呼んだ「3割打者はいなくなる」発言

 強い体を作り、小さな力で大きな出力を出す技術を身につけた千賀は、19年に最速161キロと160キロの壁を破った。加えて格段にレベルアップした制球力とフォークを武器に、同年に奪三振率11.33の日本記録を達成した。

「僕はこの先、3割打者が存在しなくなる時代がくると思っています」

「投手も打者も時代とともに進歩しているが、打者の反応速度などは、人間としての身体能力に限界がある。160キロのストレートに150キロの変化球。限界に近づいているのではないか」(いずれも西日本スポーツ/22年5月3日)

 打者の反応速度の限界を超えるボールを投げれば打たれない。進化を続ける千賀は、そんな究極の投手を目指しているのだろう。

チャンピオン山本由伸と「ベストシーズン」比較

 そんな千賀は、果たして「日本プロ野球史上No.1投手」といえるのか。生涯ベストシーズンの成績を比較して決める当企画。現チャンピオン山本由伸(オリックス)との対決である。

 千賀の日本プロ野球におけるベストシーズンは、投手三冠を達成した20年だが、残念ながらこの年はコロナによる短縮シーズンのため、山本と公平な比較が難しい。そこで、シーズン奪三振率の日本記録を達成した19年を千賀のベストシーズンとする。この年の成績を、山本のベストシーズンである21年の成績と比較してみよう(赤字はリーグ最高、太字は生涯自己最高)。

【2019年の千賀】登板26、完投2、完封2、勝敗13-8、勝率.619、投球回180.1、被安打134、奪三振227、与四球75、防御率2.79、WHIP1.16

【2021年の山本】登板26、完投6、完封4、勝敗18-5、勝率.783、投球回193.2、被安打124、奪三振206、与四球40、防御率1.39、WHIP0.85

 千賀は奪三振で勝るも、勝利数、勝率、投球回、防御率、WHIP、完投数、完封数と、ほとんどの項目で山本が上回っている。

 つぎに、当企画で重視する打者圧倒度――1試合あたりの被安打数、9イニングあたりの奪三振数、防御率、WHIP――を見てみよう。1試合当たりの被安打数は、山本5.76に対して千賀が6.69と山本がリード。1試合当たりの奪三振数は、山本の9.57に対して千賀11.33(日本記録)と、これは千賀が圧勝。

 防御率は、山本1.39に対して千賀2.79と山本が圧勝。WHIPも山本が0.85、千賀が1.16と山本勝利。防御率、WHIPについては、1試合当たりの与四球数で山本の1.86個に対して、千賀は3.74個と大差がついている。成績比較からは、制球力でも山本が勝っていると言えるだろう。

 以上の結果、奪三振以外の項目すべてで上回る山本の勝利とする。さすがはNPB史上初の3年連続投手4冠、3年連続沢村賞投手である。

 千賀は好成績を挙げた19年、20年と2年連続でパ・リーグの与四球王になっている。その点、細かいコントロールより球威で打者を圧倒して三振をとるという野茂英雄タイプのパワー投手と言えるだろう。

 裏を返せば、千賀にとって制球力の向上は、今後のさらなる伸びしろと言えるのではないか。

文=太田俊明

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