昨季限りで現役を引退した、元バレーボール女子日本代表・石井優希(ゆき/32歳)。高校時代は主将として春高バレーに出場、13年間所属した久光では6度のリーグ優勝、全日本選手権優勝7度に貢献。その一方で、2回のオリンピック出場を果たしながらも代表ではもどかしい時間を過ごしてきた。オールラウンドの能力と笑顔で魅了してきた石井のキャリアを振り返る。【NumberWebインタビュー全3回の1回目/『中田久美監督と木村沙織の言葉』編、『引退決断の真相と結婚』編へ続く】

 今年6月末をもって現役生活を引退し、現在は試合の解説やバレー教室での指導、テレビ番組への出演など幅広く活動する元バレーボール日本代表の石井優希。

「うまくいくことが少なくて、いつも、『あー、もうちょっとこうできたのにな』という反省が多いんです。先日ネプリーグさんに出させてもらったんですけど、クイズも、わからないなりに、もうちょっと面白く回答できたらなーって。でもすごく楽しかったです」

 現役時代よりも肩の力を抜いて新しい仕事を楽しんでいる様子がうかがえるが、どんなことに対しても真面目に自らを省みるところが石井らしい。

輝かしい経歴とは裏腹に……

 選手時代も試合後はいつも課題を口にしていた。どちらかというと、「うーん」と悩んでいることが多かった印象がある。

 久光スプリングスではVリーグで6度の優勝に貢献し、日本代表では2016年リオデジャネイロ、2021年東京と2大会連続で五輪に出場した。輝かしい経歴だ。しかし石井自身は肩をすぼめるようにして言う。

「オリンピックは誰もが立てる場じゃないし、『オリンピックに2回出ただけですごいよ』と言ってもらえるんですけど、正直、胸を張って、『私オリンピックに2回出ました』とは言えないんです。リオでは決勝トーナメント1回戦敗退だったし、東京では数十年ぶりの予選ラウンド敗退だったので……」

 25歳で出場したリオ五輪は、「メンバー入りを自分で勝ち取った感がなかった」とも言う。

「代表では基本的にずっと控えで、怪我人が出た時などに(先発で)試合に出られるぐらいでした。リオ五輪の時も、OQT(五輪世界最終予選)までは控えだったけど、そこでちょっと(古賀)紗理那(NECレッドロケッツ)の調子が上がらなくて、だから自分が選ばれた、みたいな感じだったので」

 五輪のメンバー選考は特に熾烈だ。五輪予選を含め、普段の国際大会はベンチ入りメンバーが14人なのに、五輪は12人に絞られるからだ。

 リオ五輪前年の2015年のワールドカップで、当時19歳だった古賀は、長岡望悠(久光)に次ぐ得点を奪う活躍を見せ、次世代エースと期待を集めた。ただ2016年5月に行われたOQTでは調子が上がらず、大会後半は石井が起用される試合が増えた。

 その後、発表されたリオ五輪メンバーの中に古賀の名前がなかったことは驚きだったが、古賀の代わりに石井が入った、ということではなかった。当然他のスパイカーとの競争でもあったし、当初12人の中のウイングスパイカーの枠は(オポジットを含めて)6だと思われたが、それが5になり、残る1枠にリベロの座安琴希がレシーバーとして入った。そうした構成も含め、眞鍋政義監督が頭を悩ませた末の判断だった。

 だがリオ五輪後に石井が、「みんな、私じゃなく紗理那が選ばれればよかったと思っていると思う」とつぶやいたことがあった。その言葉について今、改めて聞いた。

「自分に自信がなかったというのが一番で……。実はオリンピックの直前に太ももの肉離れをしてしまって万全ではなかったというのもあるし、試合ではサーブレシーブなどで足を引っ張ってしまった。基本的に私は考えがネガティブなので、周りがどう思っているんだろうということばかり気にして、エゴサーチしてみたり(苦笑)。そうするとやっぱりマイナスな書き込みも多くて、自ら気持ちを沈ませてしまっていたというのがありました。

 紗理那はOQTではあまり調子がよくなかったかもしれないけど、トータルでは、15年のワールドカップもずっと出て活躍していましたし、私も紗理那が落選することが意外すぎたので、どうしても『紗理那のほうが』という考えになってしまっていましたね」

ライバル意識よりも“リスペクト”

 そうした思いに苛まれることは苦しかったが、古賀に対しては当時からライバル意識ではなく、純粋なリスペクトしかなかったという。

「紗理那はうまいし、人とのコミュニケーションの取り方もすごく長けている。コートの中ですごく話すし、考えてプレーしているなというのが伝わるので、尊敬するところがすごく多かった。『紗理那だけには負けたくない』みたいな闘争心は一切なくて(笑)。できることなら一緒に対角を組んで頑張りたいなと思っていました」

 古賀も石井を慕っており、よく「優希さんと対角を組みたい」と口にしていた。

「そう言ってくれていたのは素直に嬉しかったですね。ただ、紗理那は頑張っていましたけど、私がなかなか(苦笑)。出場機会があまりなくて、一緒に出場することは少なかったんですけど」

 代表での最後の舞台となった東京五輪でも、対角を組むことは叶わなかった。大会初戦のケニア戦の試合中、古賀が右足首を捻挫してしまった。しばらく立ち上がれず、スタッフに抱えられてコートを出たあと、代わって入ったのが石井だった。以降、古賀が第4戦の韓国戦で復帰するまで、石井が先発を務めた。

「私自身は調子が上がりきっていない中でのオリンピックでしたが、選んでもらっているので、紗理那の代わりとか、紗理那が怪我したから入ったという捉え方じゃなく、もう本当に自分の今のベストを出そう、とにかくやり切ろうと思ってやったので、あまり戸惑いもなかったし、私自身はあの大会に後悔はありません。ただ、私のプレーが至らなさすぎて、足が全然治る前に紗理那が無理して出場することになってしまったので、そこに関してはすごく申し訳ないんですけど、でもたぶん紗理那も、申し訳ないと思ってもらいたいわけじゃなくて、無理してでも出たいという気持ちがあったと思う。

『紗理那は強いな』と思いました。結構腫れていたし、足の色も変わっていたけど、『全然痛くない』と言って。ケニア戦で足をひねって倒れた時に、なかなか立ち上がれなかったんですけど、それを『私ちょっと大げさでしたよね?』みたいな感じで笑って言って。本心じゃないと思うんですけど、他の選手の前でそういうふうに言える紗理那はすごいなと、心から思いました。私だったら『イターい!』って言ってますよ(苦笑)」

石井が感じ取った古賀の変化

 古賀の立ち居振る舞いが変わったと石井が感じたのは、2020年のことだったと振り返る。

「もともとバレーに対する熱はすごく強くて、試合の前にアナリストの部屋に行って一緒にデータ分析をして、ノートにまとめたり、コートの中で『ブロックはこうしよう』とか積極的にしゃべっていた。そういう熱はずっと変わっていません。ただプレーや立ち居振る舞いという面では、コロナのタイミングで変わったのかなと感じます」

 2020年は新型コロナウイルスの影響で東京五輪が延期となり、代表合宿も解散。代表選手たちは各所属チームで過ごした。

「紗理那もNECでの練習期間が長くあって、そのあとのVリーグで対戦した時から、『なんか紗理那、違うな』と感じたんです。一番は、自信がついたのかなと。その年から速いトスを打ち始めて、決定率もグンと上がった。それまではちょっと速いトスが苦手だったと思うんですけど、その(2020-21)シーズンに急激に速いトスを打つようになったのでビックリしました。たぶんNECで時間をかけて克服して、自信を持てたんじゃないでしょうか。自信から出てくるものってあるので、そこでさらに強くなったのかなと思います」

 昨年から日本代表の主将を務めている古賀を見て、その強さを改めて感じているという。

「本当に頼もしいキャプテンですよね。『好かれたいと思ってない。好かれたいと思っていたらキャプテンはできない』と言っていたと聞いて、すごいなと思いました。覚悟が人一倍強いんだろうなと思う。たぶんリオで落選して、東京でも初戦で怪我をしてしまって、今まで五輪でうまくいかなかった分、パリ五輪にかける思いは強いと思う。眞鍋監督に信頼されてキャプテンを任されて、そこで自分がやると言った時点で、決心というか、強い覚悟を持ったんだろうなと。テレビ越しに見ていても、『自分がやらないと』という思いが伝わってくるし、自分の弱さを見せないようにしていますよね」

 親友として、戦友として、来年パリ五輪の出場権を勝ち取り、五輪の舞台で暴れまわる古賀の姿を心から楽しみにしている。

◇ ◇ ◇

インタビュー第2回では、久光や日本代表で指導を受けた中田久美監督の存在、そして救われた木村沙織からのLINEについて明かしている。

(第2回へつづく)

文=米虫紀子

photograph by YUTAKA/AFLO SPORT