昨季限りで現役を引退した、元女子バレーボール日本代表・石井優希(ゆき/32歳)。今稿では久光や日本代表で指導を受けた中田久美監督、そして苦悩の時に支えにした木村沙織の言葉について明かしている。【NumberWebインタビュー全3回の2回目/『引退決断の真相と結婚』編へ続く】

 13年間の現役生活を振り返ると、一番のいい思い出と苦しい思い出は表裏一体だと言う。

「リーグなどで優勝した時はすごく嬉しかったんですけど、それまでの日々の練習はしんどくて、精神的につらいことがすごく多かったですね。毎日、朝を迎えるのが嫌だった時期もありました。特に中田久美監督の時は厳しかったので……」

 石井優希のバレー人生は、久光スプリングス(当時は久光製薬スプリングス)と日本代表で監督を務めた中田久美の存在なくして語れない。

重圧を感じていた若手時代「今思えば充実していた」

 就実高校から久光に入った石井は、層の厚いチームの中で2年目までレギュラーをつかめずにいた。しかし3年目だった2012-13シーズンに久光の監督に就任した中田は開幕戦から石井を先発に抜擢。まだ荒削りで波があった石井を我慢強く起用しながら、就任1年目からリーグ優勝を果たし、翌年には連覇を達成した。

 石井にとっては輝かしいブレイクだったが、毎日が重圧との戦いだった。

「周りが(新鍋)理沙さんとか(岩坂)名奈さんとか(長岡)望悠とか、日本代表でもレギュラーで活躍していたり、結果を出している選手ばかりだったので、そこについていくことに必死でした。自分さえやればチームが勝てると思っていましたが、私がいつもサーブで狙われて、そこでサーブレシーブが返らなければバレーにならない。久美さんにも『優希が崩れなければチームは勝つ』と言われていたのでかなりプレッシャーはありました。

 でもやっぱりポジションは取られたくなかったし、厳しい練習だったんですけど、今思えば充実はしていたなと。毎日、『私、アスリートやってんな』みたいな感じでした」

 そこから日本代表にも定着していき、眞鍋政義監督にはディグ力やパワーあふれるスパイクを買われて2016年のリオデジャネイロ五輪に出場した。

「足を引っ張ってしまった」と自身のプレーには悔いが残ったが、五輪の舞台には魅了された。

「ああいう独特な雰囲気の舞台で戦うのが初めてで、すごく興奮しました。だから、『もう一回出たい。次の東京五輪には自分が引っ張って出る』という思いになりました」

 リオ五輪後、中田が日本代表監督に就任。秘蔵っ子である石井にとっては追い風になると、周囲からは思えた。だがそう簡単なものではなかった。

 中田は、互いによく知る久光の選手を軸にチーム作りを進めようと、岩坂を主将に選び、新鍋や石井にも中心選手として期待した。だが、他チームの選手よりも遠慮なく言いやすい分、石井に対する当たりが強くなったのだろう。石井の中で不満が積み重なっていった。

「バレーじゃないところでつまずいてしまいましたね。久美さんとしては、久光の選手に中心となって頑張ってほしいという熱があったと思う。私がその期待に応えられていない部分もあったと思うんですけど、『この人には言わないのに、なんで私だけ?』と思うことがあったり(苦笑)、言われていることが腑に落ちなくてモヤモヤして、ワーッと思いをぶつけたこともありました。

 怒られ役というのは久光の時から理解していたんですけど、それが代表に行っても続くんだ、と思ったら……。久美さんが久光時代から育ててくれて、私の性格も知った上で厳しくしてくれていたのもわかるんですけど、当時の自分は受け入れられなかった。大人になれなかった部分もあったと思います。2017年はそんな感じだったので、アジア選手権ではメンバー外になった。みんなを応援する気にもなれないぐらいずっと病んでいて、毎日、内瀬戸(真実)の部屋に行って泣いていました(苦笑)。あの年が一番精神的にきつかったですね」

“憧れ”だった木村沙織の言葉に救われた

 そんな石井を救ったのは、リオ五輪を共に戦った元エースの言葉だった。

「それまでは、両親だったり、周りの人が喜んでくれるから自分も頑張れる、と思ってやっていました。でもその頃、たまたま木村沙織さんとLINEをする機会があって、その時に『自分のためにやったらいいんだよ』と言われたんです。他の人から言われたらそんなに大きく捉えることはなかったかもしれないですけど、沙織さんだから、その言葉がすごく沁みて……。吹っ切れたというか、『自分のためにやろう』と思いましたね。

 沙織さんは学生時代に憧れていた選手でした。私はオールラウンダーになりたかったんですが、沙織さんはまさにサーブレシーブもディグもできて、頼りになるエースだったので。代表で一緒にコートに立てたことはすごく嬉しかったですし、沙織さんのプレーをよく見ていました。その沙織さんの言葉で、『周りに気を取られすぎず、わがままになっていいんだ』と思うことができました」

 それによって肩の力が抜けていったのかもしれない。「現役でいる限りはスタートで出たい」というこだわりが徐々に変化し、「途中出場でも、どんな役割にでも徹しよう」という考えになっていった。実際に2018年の世界選手権などでは、途中から入って流れを変えるスーパーサブとして欠かせない存在となった。

 2021年の代表合宿が始まった時、その年の東京五輪を代表での集大成にしようと考えていた石井は、中田に「スタートでも控えでも、どんな役割でもチームに貢献したい。自分が必要とされるならどんな役割にでも徹します」と伝えた。その頃には腹を割って話し合える関係になっており、中田の相談相手にもなった。当時は指揮官の孤独を感じ取っていた。

「理沙さんも名奈さんも(引退して)抜けて、その頃には久光で一緒にやっていたのが私だけになっていたし、年齢的にも結構上のほうになっていたので信頼してもらっていたのかなと思います。2021年は久美さんと直接お話しする機会が多くて、遠征中にホテルの部屋に呼ばれたりもしました。やっぱり監督なのですごくプレッシャーがあったと思いますし、弱音を吐けない部分もあったと思うので、自分が、はけ口じゃないですけど、そういった役割もあったのかなと思います」

 石井が集大成として臨んだ東京五輪は、しかし1勝4敗で予選ラウンド敗退となった。

「チームが、あまりいい雰囲気ではなかったですね。それぞれがなんとかしようという思いはもちろんありましたけど、空回りしているような。正直、選手とスタッフが一体となっていたとは言えないし、トータルで一つになりきれていなかったことが、ああいう結果につながったんじゃないかなと感じます」

 初戦でエースの古賀紗理那(NECレッドロケッツ)が怪我を負って離脱したことでチームが揺らいだ面はあったが、石井は、大会前から不安を抱いていたという。その不安とは――。

◇ ◇ ◇

インタビュー最終回では、失意の東京五輪のあとに湧き出た思いと、「引退」「結婚」について明かしている。

(第3回へ続く)

文=米虫紀子

photograph by Naoki Morita/AFLO SPORT