大坂なおみの父・レオナルドさんがルーツのあるハイチで立ち上げたIOA(International Outreach Association、国際奉仕協会)センター。そのIOAセンターで育った少年は大坂なおみが関わる大坂財団の支援によって日本の高校に進学した。その少年、フリッターソン・セントルイスは日本でどのような生活を送っているのか。そして取材を通して見えてきた財団の支援による変化とは――。(全2回の第2回/前編は#1へ)

大坂財団の支援で大阪にやってきたハイチ人留学生

 1年前、大阪市にある興国高校へ、当時3年生だったフリッターソン・セントルイスという名のハイチ人学生に会いに行った。彼は大坂財団の支援で2021年に大阪へやって来た留学生だ。それまではIOAセンターで生活していた。その中で一番年上だった彼は財団がハイチの外へ送り出す最初の留学生であり、試験的な役割も背負っている。

 皆からフリッツと呼ばれていた。NGO法人『ハイチの会』のスタッフとして活動するディオジェン智子さんは、フリッツと興国高校を結びつけた世話人であり、日本での身元保証人でもある。レオナルドとは、彼が大阪にいた頃からの旧知の間柄だ。

僕が日本の高校に行ける!?

「私が知る限り、フリッツ以外に日本の高校へ留学しているハイチ人はいません。ですが、留学生の第一号は、ぜひ日本へ、できれば縁の深い大阪へというフランソワさんの希望でした。教育もしっかりしていて、安全で、人も親切という印象を強く持っているのだと思います」

 テニスの知識はなかったという智子さんだが、大阪府内のテニス強豪校で積極的に留学生を受け入れている興国高校の存在を知る。 興国は近年強化に本腰を入れ、2019年のインターハイで団体初出場も果たしていた。突然の打診から交渉はまとまり、日本行きを知らされたフリッツは飛び上がるほど喜んだという。

「僕が日本の高校に行ける!? ウソでしょ、ホントに? って感じ。日本の漫画やアニメが好きだったし、最高にうれしかった」

国内ナンバーワンのテニス少年

 7、8歳の頃、近所で行われたテニスクリニックに参加してみたところ、主催したコーチに才能を見出された。サッカーもバスケットボールも得意だったというから、テニスの経験はなくても光るものがあったのだろう。そのコーチというのがハイチのデビスカップ監督のフランキー・セントルイスで、決して裕福な家庭の子ではなかったフリッツの父親代わりとなって、自分のアカデミーで育ててきたという。10歳になると同年代の国内ナンバーワンになり、フランキーのサポートでフロリダにテニス留学もした。その間に、アメリカのジュニア・オレンジボウルやエディハーといった伝統あるジュニア大会にも出場し、ジュニアの国別対抗戦でもハイチの代表として戦った。

 フランキーとレオナルドが友人だった縁で、13歳の頃、より施設の充実したIOAセンターへ、母親と、ひとまわり以上年の離れた妹といっしょにやって来た。母親はセンターで調理係として働いている。

 こうした経緯を、たどたどしい日本語と比較的流暢な英語を混ぜながら説明した。

テニスどころじゃない人はたくさんいる

 なおみとはセンターで対面し、フロリダに留学中も会いに来てくれたという。

「シャイだけど、すごくやさしい。『ちゃんと勉強してる?』 『漢字はどれくらい書けるの?』っていつも聞くんだ。ハイチでは国民の半分くらいは彼女のことを知っているかな。テニスが好きな人ならもちろん100パーセント知ってる。でもテニスとかスポーツどころじゃない人はたくさんいるから」

上武大コーチの長尾克己プロが手を差し伸べた

 ハイチは男女ともに世界ランカーがひとりもいない国だ。ハイチ国内でトップクラスのジュニアだったフリッツも、日本に来ればそうはいかない。全国大会の壁は高く、高校最後のインターハイ予選ではダブルスの第2代表決定戦に進出するのが精一杯だった。それでも日本の大学への進学を望んでいたフリッツは、今春、念願叶って上武大学に進学。群馬にある大学の環境やチームの雰囲気を、フリッツは昨年秋の体験入部のときから気に入っていた。テニス部コーチの長尾克己プロもフリッツの潜在能力を高く買い、学費免除の特待生として入学できるよう熱心に大学側に働きかけた。

生活費などは引き続き大阪財団が支援

「日本人にはない体のバネ、身体能力の高さに驚きました。伸びしろがまだまだあると思ったので、ぜひうちでがんばってもらいたいと。それと、やはりハイチの情勢が相当悪い中、たった一人で日本に来てがんばっているフリッツのことを知って、財団の支援があるとはいっても、こちら側の大人もできる限り助けてやらなければという思いがありました」

 興国高校テニス部元監督の阪本龍一教諭は、関西出身でもある長尾コーチのことを高校生の頃から知っており、その人柄とコーチング力を信頼して“バトン”を手渡した。生活費などは引き続き大坂財団が支援している。こうした期待やサポートに応えるように、フリッツは1年目からレギュラーになり、関東大学リーグではチームが所属する3部で5戦全勝の活躍を見せた。

ハイチの子供たちが人生を切り拓く方法

 長尾コーチはフリッツを知ってからハイチのニュースが気になり始めたという。彼が日本で関わりを持った人の多くが同じかもしれない。フリッツの話を聞かなければ知り得なかったこともたくさんある。父親代わりだったというフランキーのことも、デビスカップの監督とはいえ名前を聞いたことすらなかった。ハイチはデ杯アメリカ・ゾーンの一番下のグループ4部に属し、2014年から2021年までは参加もしなかったのだから、知らないのも無理はない。だからこそ、そんなハイチで50人以上の子供たちを預かり、たった1面のコートで教えてきたというフランキーの活動には心打たれるものがある。大坂財団には及ばないが、彼もまた財団を設立しており、そのホームページでこう語りかけている。

「ハイチの子供たちが人生を切り拓く方法は、一生懸命テニスのトレーニングをしながらアメリカのホームスクール(オンライン教育システム)で勉強し、アメリカの大学のスカラシップを得ること以外にない」

レオナルドの日本ルート

 この切羽詰まった環境、そこで培われる逞しい精神を、私たち日本人はどこまで理解できるだろう。「テニスと教育」。これはレオナルドが掲げている財団の目的とも重なる。ただ、フランキーが子供たちの生きる道をアメリカでしか見いだせないと考えたのに対して、レオナルドは独自のルートで日本という可能性も模索している。

 フリッツは「アメリカも楽しかったけど、今は日本のほうが好き。食べ物はめちゃくちゃおいしいし、安全。それに、みんなやさしいから。大学でテニスと勉強をがんばって、日本に長くいたい」と、日本の話をするといつも笑顔になる。

テニスのおかげで僕は今ここにいる

 一方で、テニスプレーヤーとして母国を代表することも大きな目標だ。補欠も含めたデビスカップのメンバーにはすでに選出されているが、昨年も今年も8月にトリニダード・トバゴで行われたラウンドロビンに日本から呼ばれることはなかった。ハイチのテニス連盟が負担すべき渡航費もネックなのだ。大学生とジュニア世代で構成されているというチームに切に必要とされる日を日本で腕を磨きながら心待ちにしている。

 20数年前にレオナルドたちが大阪で始めたボランティア活動は、テニスという夢と富のシンボルと出会い、より豊かに人と人とをつないできた。その縁に導かれるように、フリッツの日本での生活ももうすぐ3年になる。

「スポーツが得意で、どちらかというとチームスポーツのほうが好きだったけど、テニスをやってよかった。テニスのおかげで僕は今ここにいるから」

 しかし、レオナルドはまだこれを「成果」とは呼ばない。フリッツの自立、そしてIOAセンターにいる何百人もの子供たちの幸せな未来の姿を見るまで、そう呼ぶことはないのだろう。

<レオナルドが語る「大阪財団」編をあわせて読む>

文=山口奈緒美

photograph by フリッターソン・セントルイス提供