GPシリーズ第6戦となるNHK杯(11月24-26日、大阪)の男子フリー。6分間練習で鍵山優真(20)と宇野昌磨(25)が登場すると、満席になった会場から歓声が沸き起こった。

 まるで応援合戦かのように、鍵山の青いバナータオルと、宇野の黄色いバナータオルが、所せましと揺れる。そしてリンクサイドには鍵山の父・正和コーチ、その隣にカロリーナ・コストナー、そして宇野を見守るステファン・ランビエルコーチ。待望の豪華キャストといったところだ。北京五輪メダリストの2人が今季初めて対戦する舞台は、いつにない熱気にあふれていた。

 鍵山は今、スケート人生でも1つの節目となるシーズンを送っている。昨季は怪我のために休養し、反対を押し切って出場した2022年全日本選手権は8位。

「しばらく氷から離れました。スケート人生でここまで滑らなかったのは初めてかな」

 2カ月の休養ののち練習を再開すると、プログラムのブラッシュアップのためにイタリアで合宿を行った。振付師のローリー・ニコルの提案で、美しい山々に抱かれるアルプスで、心も身体も作り直す計画。そこにアシスタントとして、カロリーナ・コストナーが参加していた。

「カロリーナさんは、本当に憧れというか、お手本のようなスケーティングを見せてくれる方です。僕はカロリーナさんのソチ五輪シーズンの『アヴェ・マリア』が大好きで『これぞフィギュアスケート』という演技。子供の頃、何度も見て学びました」

「僕は、個性がほしいんです」

 憧れのコストナーのような演技のためには、何が必要なのか。考えた末、ひとつの答えを出した。

「僕は、個性がほしいんです。鍵山優真といれば、これだよね、って言われるなにか。皆にスケーティングが上手だねって言ってもらえることは多いのですが、本当にそうなのかな?と思っていて、例えばカロリーナさんは滑ってるだけで演技になっちゃうし、あっという間にプログラムが終わる。僕の滑りは、まだ個性とまでは言えません」

 鍵山は、オリンピアンでもある父・正和コーチから、徹底的に基礎を教え込まれてきた。滑りも、ステップも、ジャンプも、すべてが教科書通りといえる効率的な動きをする。

「スケーティングが長所なら、それをもっと伸ばしていきたいな、と。その長所を、個性と言えるくらいのものにしたい、と思ったんです」

 コストナーも言う。

「優真のスケーティングは、まるで宙に浮いているかのように軽やかで、あっという間にリンクの端まで行ってしまいます。初めて見たのは2019年の日本スケート連盟の合宿に講師として呼んでいただいた時なのですが、まさかコーチになる運命だなんて思いもしませんでした。私の役割は、優真が自身の内面にあるものを演技に乗せていくための、アプローチの手助けです。芸術的な側面というのは、技術も精神面も人生経験も、すべてが必要になり、時間がかかるもの。でも優真はその方向性をしっかりと理解してくれています」

 GP初戦のフランス杯は、演技面に手応えを得て3位。フランス杯後は、欧州と日本で練習を重ね、ブラッシュアップを続けてきた。

「カロリーナさんからは、曲の理解や、振り付けの動きの意味を細かく習ってきました。1つ1つの動きに意味を持たせることで、ストーリーが生まれる。ショートは『痛みを振り払う』『痛みが自分の力になる』という意味を意識しながら動くようにしています」

 コストナーの指導は、具体的でかつ実践的だ。例えば、「手を伸ばす」という動きに対してこんな風に言葉をかける。

「ただ手に力が入っていればパワフルなわけではないのよ。手を振り払うのと、掴み取ろうとするのと、同じポーズだとしても意味が違うでしょう。もっと上半身全体で、手だけじゃなく肩から動かして」

 そして彼女がやってみせ、鍵山がそれに呼応する。そんな練習を繰り返し、新しい世界への扉を探った。

「思わずガッツポーズでした」

 迎えたNHK杯。ショートの演技前、リンクサイドに立った2人のコーチが、それぞれアドバイスをした。

「父からはジャンプの『気をつけるところをしっかり気をつけて』と言われて、カロリーナさんからは『完璧じゃなくて、素晴らしい演技を』と言われました。2人の先生から声をかけてもらったことでメンタル的に落ち着きました」

 2種類の4回転とトリプルアクセルをクリーンに降りるパーフェクト演技。そして会場を沸かせたのは、コストナーと強化してきたステップシークエンスだ。全身の魂を躍動させるような滑りで、会場を虜にする。演技を終えた瞬間、ガッツポーズが出た。

「ここまで乗り越えてきたことが嬉しくて、思わずガッツポーズでした。今日は、お客さんの顔をみながらしっかりアピール出来ました」

 ステップシークエンスは、最高のレベル4に「+5」をつけたジャッジも。演技構成点もすべて9点台をマークし、演技面を高く評価された。得点は105.51点で、今季の世界最高点。鍵山は大きく口をあけて驚いた。

「ええーー。本当に? 他の選手もいれて全員のなかでの最高点? そんな記録は気にしていませんでした。フランス杯からの課題だった、演技構成点9点台をそろえることができたのが良かったです」

 翌日のフリーは最終滑走で迎える。宇野が4回転4本を降りる熱演を見せると、会場はスタンディグオベーションでヒートアップ。回転の判定の厳しさもあり総合300点超えとはならなかったものの、高得点の286.55点で暫定1位に。4回転2本で挑む鍵山にとっては、大きなミスは許されない得点だった。

「昌磨くんの演技が素晴らしくて、会場のスタオベで僕の緊張感も一気に高まりました」

 すると、リンクサイドのコーチ2人が、鍵山に声をかけた。

「父からはいつも通りの技術的なこと。そしてカロリーナさんからも、また『完璧じゃなくて素晴らしいを目指そう』って言われて。『素晴らしい』と思われることが大切なんだと、改めて僕の心に深く刺さりました」

 集中した表情でリンクに立つ。

「昌磨くんがいたお陰で…」

 冒頭の4回転サルコウを、フワリと決める。これぞ鍵山、といえる重力を感じさせないサルコウ。テイクオフの軽やかさ、ダイナミックな飛距離、柔らかい着氷、そして着氷後もスピードの落ちない滑り。「基礎点9.7」に「加点4.3」がつくほど高評価で、1本のジャンプだけで14.00点を獲得した。4回転でもっとも点数の高い4回転ルッツは「基礎点11.5」であり、ルッツを凌ぐ価値があると言えるサルコウだった。

 演技後半のトリプルアクセルで珍しく転倒するシーンはあったものの、集中力は切れない。最大の見せ場であるステップシークエンスに、今の自分のすべてを込めた。

「テーマである雨の情景をイメージしながら、指先まで細かく動かしたり、目線の動かし方1つ1つを細かく意識しました。カロリーナさんに習うようになくなって、ジャンプだけでなく、表現を意識するようになってから、本番で『不安』という要素が一切なくってきたのも良かったと思います」

 得点はフリー182.88点で2位。総合点が表示されるまでの数秒間、緊張の表情で画面を見つめる。総合288.39点で、1.84点差での優勝が決まると、ホッとした笑顔を見せた。

「昌磨くんがいたお陰で、気持ちが盛り上がりました。僕にとって一番のモチベーションは、やっぱりライバルの存在。昌磨くんに早く追いつきたいと思える試合になりました。この先もこの気持ちを忘れないで、高め合っていきたいです」

「五輪に向かって、カロリーナさんと一緒に」

 そして初進出が決まったGPファイナルへと目を向ける。

「ファイナルの舞台に初めて立つので、本番になったらどういう思いになるのか、まだ分かりません。ただ、GPフランス杯では、(イリア・)マリニン選手、アダム(・シャオ・ヒム・ファ)選手、そしてここで昌磨くんと滑れることがモチベーションになりました。ファイナルではこの3人と滑っても僕の表現力が負けないように、練習を積み重ねていきたいです」

 鍵山の優勝を受けて、コストナーは言う。

「まずは鍵山(正和)先生に感謝です。先生がいるから、私はスケーティングや演技のことだけに集中して目を光らせ、優真を導くことができるんです。そして優真は自分が取り組みたいことをしっかり理解している。それが結果に繋がりました。演技後、優真からはもう、さらに感情を演技に投影するためのアイデアを聞かれました。自分の個性をスケーティングに反映させることで、彼は次のステップに進み始めていると思います」

 コストナーが愛くるしい笑みで『オツカレサマ』と鍵山に声をかける。鍵山は照れたような笑顔を見せた。

「今の自分には、まだまだ表現力やスケーティングが足りません。ミラノ・コルティナ五輪に向かって、カロリーナさんと一緒にしっかり強化していきたいです」

 単にパーフェクトの演技を目指すのではない。素晴らしい演技とは何か、自分の個性とは何か、芸術とは何か。20歳の鍵山は、フィギュアスケートの深淵を探求していく。

文=野口美惠

photograph by Asami Enomoto