2023年12月17日。横浜のニッパツ三ツ沢球技場で行われた中村俊輔の引退試合には、1学年下の小野伸二、小笠原満男、遠藤保仁、そして中田浩二といった1979-80年生まれの「黄金世代」の選手たちも顔を揃えた。立ち姿だけで、誰だかわかる――小野を中心とした彼らの世代は、それだけ個性に溢れていた。そんな「黄金世代」は、日本サッカー界に何を残したのか。2014年に現役を引退し、現在は鹿島アントラーズで強化部門を担当するフットボールディビジョン・プログループのスタッフとして働く中田浩二に話を訊いた。(全3回の3回目/#1、#2へ)

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なぜ黄金世代の選手たちは個性的だったのか

――中村俊輔さんの引退試合で、中村さんの世代や1学年下の「黄金世代」には、本当に個性的な選手がたくさんいたなと痛感しました。今のサッカーでは、かつてとは「いい選手」の条件は異なるかもしれませんが、なかなか当時のような個性的な選手が少ない。なぜだと思いますか?

「育成面に違いがあるのかもしれないですね。トレセンというシステムがしっかりしたことで、同じような選手が作られる、という一面もあるのかもしれません。もちろん、全体のレベルは間違いなく上がっていると思います。僕らの頃は、今ほど細かく教えてくれる人がいなかったから。とにかく自分で考えてプレーする、トレーニングするという環境でした」

――戦術が重要視されるからこそ、指揮官からの提示や指示を待つ選手が増えている一面もあるのでしょうか。

「そうかもしれませんね。今は指導者が知識を与えて、『こういう局面ではこうする』というのを教えてくれる。だから子どもも『考えなくても大丈夫』という感じで育っているのかもしれない。もちろん、子どもからすれば教えてほしいというのもあると思います。結果的に、プロになっても指示を待ってしまう選手もいる。でも僕らはそれを待っていたら、何もできなかったから。そこの違いがあるかもしれませんね」

――ヨーロッパはサッカーに限らず個の社会だから、戦術で縛っても強烈な個性が飛び出してくる。一方で、日本は指示を待つ文化が社会にも定着していると感じます。

「海外では自分で考えて動かないと、生活自体もできない面があるので。あと、育成年代の環境をとっても、日本ならジュニアユース、ユース、あるいは中学、高校とチームに入れば3年間はプレーできるのが普通だけど、ヨーロッパや南米では1年ごとにセレクションがあって、首を切られる可能性がある。だから、生き残るために何をしなくちゃいけないのかを常に考えていないといけない。そういった環境の違いは大きいと思います」

中田浩二が考える「ベスト8の壁」

――とはいえ、日本サッカーは着実に進歩を遂げています。2022年のカタールワールドカップでは、真剣勝負でドイツとスペインに勝利しました。

「純粋にすごいなと思いましたよ。本気の強豪国にワールドカップで勝てるんだ、と……。内容は別にして、押されても耐えられる力、そこから跳ね返す力がある。日本サッカーの成長を感じましたね」

――その理由を挙げるとすれば。

「やっぱりヨーロッパでプレーする選手ばかりで、みんな自信を持ってプレーしている。経験値が僕らのころとは全然違う。僕たちはまだ世界を知らなかったから。相手に対しても『どんなプレーなのか』というところから手探りで、上を見上げるような感じだった。でも、今の選手はヨーロッパの環境のなかで、世界のサッカーを知っている選手がたくさんいる。海外が日常だから。日々体感した相手の圧力、強さや速さを伝えられる選手も多い。これは本当に強みだし、僕らのときとは全然違う。その違いは大きいですよ。日本代表が強くなるのも当然です。だけど、ベスト8の壁が越えられない。あと一歩のところには来ていますし、ベースはできていると思うから。あとはいかにそれを勝負強さに変えていくのかというところですね」

――2002年の日韓ワールドカップをきっかけにサッカーを始めた子ども、あるいは子どもにサッカーさせるようになった親も増えたと思います。そういった世代が、現在の日本代表を支えている。

「あの大会の熱量というのは、『日本でもこんなにサッカーが愛されるのか』と僕ら選手も痛感しました。ほぼ同時期に、『もっと上へ行きたい』とヨーロッパへ出る選手も増えた。伸二がUEFAカップで優勝し、イナ(稲本潤一)がアーセナルへ、タカ(高原直泰)はドイツへ行った。上の世代のヒデさん(中田英寿)や(中村)俊輔も活躍して、ヨーロッパでの日本人の可能性を示せたと思います。それが今に繋がっていると感じますし、今の日本代表の進化に少しでも関われたのかなという気持ちはあります。もちろん僕らがすべてをやったわけじゃないですけど(笑)」

――中田さんのようなタイプの選手が、バーゼル(スイス)でリーグ優勝に貢献したことも大きいと思いますよ。

「僕は特別な選手じゃなかったけど、それでも行ってみないとわからない。実際行けば、居場所を手に入れられた。それなりにやれたな、という感触もありました。もし僕を見て挑戦してみようと思える選手がいたんだとすれば、それは嬉しいことですね」

「ドイツのことは心残りがある」

――黄金世代にはさまざまな功績がありますが、今振り返って、「できなかったこと」があるとすればなんでしょうか。

「それは個人それぞれにあると思います。そのなかで大きいものといえば、やっぱりドイツでのワールドカップで、いい成績を残したかったですね。僕ら自身、当時はいろんな経験を積んでいるつもりだったから……。2010年に決勝トーナメント進出ができたけれど、ドイツでそれを達成していれば、日本サッカー界全体がもう少しスムーズな成長曲線を描くことができたのかな、と。単純に、もっとヨーロッパへ行く選手が増えたかもしれないから。当然、日本代表がずっと堅調に成長し続けることはできなくて、上がったり、下がったりを繰り返して、経験を積んでいくんだとは思うけれど……。自分たちが関わった大会だったからこそ、ドイツのことは心残りがありますね」

――これからは黄金世代が現役を離れて、それぞれの場所で活躍していくことになります。そこでも「負けず嫌い」が力になりますか?

「そうですね。やっぱり自分が彼らよりも先に引退するとなったときは、悔しかったですから。今は10年早く引退したからこそ、そのあたりのアドバンテージがあるのかなと思っています(笑)。僕らは本当にいい経験をさせてもらったので、それをサッカー界にどう還元し、恩返ししていくか。指導者もそうですし、僕の場合は経営や強化という面で、いろんな形で日本のサッカーをよりよいものにしていければと思います」

――違う仕事であっても、同世代として互いに意識はしている。

「じつは『79年組』というLINEグループがあるんですよ。24人います。誕生日くらいしか動いていないけれど、伸二が引退するとき、このグループにメッセージを送ってくれました」

――黄金世代が黄金世代たる所以は、「負けず嫌い」によってお互いを高め合ったことにあると思うのですが、同時に仲間としての絆も特別なものがあるんだと感じます。

「嫉妬や羨望交じりの『負けたくない』ではないんでしょうね。認めているけれど、負けるわけにはいかない。こじれたものじゃなくて、本当に純粋に負けたくない。伸二がああいう性格で、チームをうまくまとめてくれたのも大きい。伸二という目指すべきシンボルがあり、そこへ向かって競争する。同時にチームを強くしたいしサッカーを楽しみたいという、向かうべきベクトルが一致していたからこそ、いい競争が生まれたんだと思います」

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小野伸二が語った「黄金世代への思い」

 引退試合のあと、中村俊輔にその日競演したライバルについて訊いた。

「子どものころから小野伸二がそうだったし、代表に入ったらヒデさんもいました。競う相手がいることで僕自身が成長できたと思っています。彼らとは違う自分の強みを見つけよう、磨こうとしました。そのひとつがフリーキックになったと思います」

 小野伸二にライバルについて訊いたのは、彼の著書『GIFTED』(幻冬舎)の発売イベントだ。

「同級生はもちろん、全員、ライバルだと思っていましたよ。俊輔くんはひとつ上ですけど。だからといって俊輔くんに勝っていると思ったことはないですし、人それぞれのよさがあると思っています。僕には僕のよさがあるし、仲間には仲間のよさがあったから」

 そして、小野も黄金世代について語ってくれた。彼の言葉は、中田浩二のそれと不思議なほど重なり合っていた。

「僕らはお互いに一人ひとりをリスペクトして、一人ひとりがすごいということを理解し、切磋琢磨して、競い合って、みんなが上へ行くんだと思い続けていました。『もっともっと巧くなりたい』『いいものを見せたい』『見ている人をワクワクさせたい』という思いを持った選手の集まりだった。僕らの姿を見た子どもたちが、少しでも『こういうふうになりたい』『もっと上へ行きたい』と思うきっかけになれていればうれしいですね」

 小野は自身のキャリアについて「僕はほとんど記録らしい記録を残していない」と語った。けれど、小野が多くの人の「記憶」に残っていることを疑う者はいないだろう。黄金世代も同様だ。選手それぞれがライバルと競い合うことで、自分を磨いた。いつしかそれが個性となり、武器になっていった。

 そうした過程が日本サッカーの歴史となり、現在に繋がっている。

<#1「小野伸二との出会い」、#2「2006年W杯の真実」から続く>

文=寺野典子

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