目的は同じでありながら、手段は異なる――。野村克也と落合博満の2人と数奇な縁で出会った野球人たちが、いくつもの観点から異質なリーダーの組織論を語った。
 野村克也氏の命日に合わせ、これまで有料公開されていたSports Graphic Number1058・1059号(2022年9月8日発売)『「オレ流」と「ID野球」の共通点と相違点』を特別に無料公開します【全2回の前編/後編に続く】。

※証言者:前編=橋上秀樹・川崎憲次郎、後編=井端弘和・秦真司

「今日のミーティングはイマイチだったな」

 夕食をとりながら落合博満は言った。正面に控える橋上秀樹は黙ってそれを聞いている。部屋には二人だけだ。1997年の日本ハム。遠征先ではホテル内のレストランの個室か、ルームサービスで食事をするのが落合の習慣だった。

「今日のミーティング、きっと、ノムさんならこう言うだろうな……」

 そして、翌日の先発投手の攻略法について、落合ならではの具体的な分析が披露される。長年、野村克也の下でプロ野球人生を送っていた橋上は、落合が口にする言葉の数々が、まさに「野村監督が言いそうなこと」だったことに驚いていた。

「ホテルでの全体ミーティング後、よく食事に誘われました。それまでセ・リーグ同士で対戦していたこと、同じタイミングで日本ハムに移籍した外様であること、そして“野村克也”という共通項があったこと。そういうことを含めて、“こいつとなら野球の話ができるんじゃないかな?”という思いが、落合さんにはあったのかもしれないですね」

橋上が感じた野村と落合の“微妙な違い”

 落合は、南海とロッテで打撃コーチを務めた高畠導宏を通じて、野村と面識があったという。

 その夜も、9割は落合がしゃべり続けていた。寡黙なイメージの落合ではあったが、野球については饒舌で、橋上を相手に何時間でも話し続けた。

「お話を聞いていると、しばしば“野村監督の野球観に近いな”と感じました。どちらもすごく細かい。一般の人とは物事を見る角度、着眼点も違う」

 しかし、よく聞いていると両者には微妙な違いがあることにも気がついた。

「落合さんが口にした、『ノムさんならこう言うだろう』という内容は本当にその通りなんですけど、落合さんの場合はそこから先がありました」

 たとえば野村は「このカウントならこの球種だから、それを打て」という指示を出す。しかし、落合はさらに踏み込んで、その球種の打ち方にも言及していた。

「落合さんは、その球種が来るのなら『ボールをもっと引きつけよう』とか『普段よりボールの内側を叩こう』と、技術的な答えを持っていた。『オレなら、そんなミーティングをするけどな』と、よく言っていましたね」

「史上最高の右打者は落合だ」

 ヤクルト監督時代に掲げた「ID野球」に象徴されるように、野村はデータ重視の姿勢を貫いた。橋上は言う。

「二人とも三冠王になっていますが、野村さんは『オレはデータを収集してこれだけの成績を挙げたけど、落合は能力であれだけの成績を残している。オレが知っている史上最高の右打者は落合だ』と、自分との技術の違いを認めていました。一方、落合さんは野村さんをリスペクトしつつ『オレはあそこまではできないな』と言っていました」

 落合が口にした「あそこまで」とは、長時間にわたるミーティングであり、メディアに対するリップサービスであった。ほとんどミーティングをせず、マスコミに向けてコメントを発しない落合。一方の野村は「プロは注目されなければダメなんだ」の思いの下、自ら積極的にコメントを残し、さらには自身の言葉を情報戦、心理戦にも応用していた。

 その戦い方は両極端だった。

 落合が中日監督に就任した2004年シーズン、開幕投手を務めたのが川崎憲次郎だった。故障のために過去3年間、一度も一軍登板経験のなかった川崎に落合はこだわった。その年の新春のことだ。

「突然、落合さんから電話がありました。『開幕はお前で行く。どうだ、やれるか?』と言われました」

 このとき、落合はこんな言葉を続けた。

「これはオレとお前だけしか知らないから。誰にも言うなよ」

 それ以降、落合は徹底的に開幕投手を秘した。マスコミはもちろん、自らを支える鈴木孝政投手チーフコーチにさえも、開幕を誰に託すのかを伏せ続けたのだ。

「森繁さん(森繁和一軍投手コーチ)はもちろん知っていました。でも、他の人は誰も知らなかった。ずっと隠し続けるのは心苦しかったですよ」

「気まずくて、トイレ行くふりして逃げた」

 開幕直前の選手ロッカー――。ベテランの山本昌が「一体、誰が開幕投手なんだ?」と投手陣全員に尋ねた。

「昌さんが『憲次郎、お前か?』と言うから『まさか、僕のはずがないじゃないですか』と笑ってごまかしました。その場は、『そりゃあそうだよな』となったので助かったけど、すごく気まずかったので、そのままトイレに行くふりをして逃げました」

 迎えた開幕戦。川崎は2回途中5失点で降板も、打線が奮起して逆転勝ち。落合は監督としての初陣を白星で飾った。

 中日に移籍する前にはヤクルトで野村克也と9シーズンを過ごしている。川崎は1995年日本シリーズの思い出を口にした。

「95年、オリックスとの日本シリーズ直前、イチロー対策のミーティングが行われました。そこで“極秘”と書かれたプリントが配られました……」

 そこには「振り子打法のイチローは内角に弱点があるから、インコースで勝負するように」と書かれていた。川崎が続ける。

「ところが、そのミーティングの翌日には“極秘”であるはずのインコース攻めがスポーツ新聞で報じられていました。ノムさんがマスコミにしゃべっていたんです」

 その後、第1戦直前のミーティングで、野村は選手たちを前に言った。

「いいか、イチローはテレビも新聞も見ているはずだ。彼の頭にはインコースへの意識がある。お前ら、アウトコースで勝負しろ」

 川崎が当時の心境を振り返る。

「意図的にマスコミを使った作戦だったのか、リップサービスでマスコミに言ってしまったのでアウトコース攻めに方針を変えたのか。真相はわからないけど、結果的にイチローを抑えることには成功しました」

 敵を欺くには、まず味方から――。

 両者ともその戦術を使いながら、極秘は極秘のまま徹底した落合と、それを逆手にとってマスコミを使った野村。その方法は両極端だった。

(後編に続く)

文=長谷川晶一

photograph by Koji Asakura,Tamon Matsuzono