MLBに挑戦した日本人選手は、打者よりも投手の方が早かった。大谷翔平の結婚を祝して……絶対エースとして海を渡った日本人投手たちは結婚したシーズンやその前後にどんな活躍を見せていたのか? パイオニアとしての野茂英雄から紹介しよう。<全2回の投手編/打者編も>

パイオニア野茂は社会人野球時代の縁で

〈野茂英雄〉
 大阪府立成城工業高時代は全くの無名で、新日本製鐵境に入団し頭角を現す。1988年のソウル五輪では日本の銀メダル獲得に貢献。翌1989年ドラフトでは史上最多の8球団が指名する中、近鉄バファローズが指名権を獲得した。

 1年目の90年にいきなり最多勝、最多奪三振、防御率1位と「投手三冠」を達成。新人王に加え、沢村賞、MVPを獲得。一躍パ・リーグのエースになる。

 野茂英雄は2年目の91年に森本紀久子さんと結婚。紀久子夫人は社会人野球東芝のチアガールをつとめていたが、社会人時代の野茂が対戦相手ながら紀久子さんを見初めて交際に発展したという。野茂英雄は23歳だった。

1992年:野茂英雄の成績(近鉄バファローズ)
30登板18勝8敗216.2回228奪三振、防御率2.66(4位)

 デビューから3年連続で最多勝、最多奪三振を記録(当時は奪三振はタイトルではなかったが)。パ・リーグのエースの座を堅持した。

 翌93年も最多勝、最多奪三振を記録するが、94年は肩を故障して成績が下落。このオフに野茂はMLB移籍を求めて球団と対立し、任意引退処分となってロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約。しかしここから開幕ローテーションを勝ち取り、13勝6敗191.1回236奪三振、防御率2.54で新人王、最多奪三振を獲得。

 日本人MLB選手のパイオニアとなった。野茂のアメリカでの活躍には、夫人のサポートがあったのは間違いない。

松坂は日本一になった04年オフに柴田アナと

〈松坂大輔〉
 横浜高校時代は無双の活躍。1998年夏の甲子園決勝ではノーヒットノーランを記録。同じ1980年度生まれの「松坂世代」のフラッグシップとして、大きな期待を背負って98年ドラフトで3球団が指名する中で西武ライオンズに入団が決まる。

 翌99年の西武、高知キャンプでは「影武者」が出るほどの騒ぎとなる。松坂は高卒1年目からエースとして活躍。1年目から3年連続で最多勝。圧倒的な成績を残す。イチローとはNPBではわずか2年しかキャリアが重なっていないが名勝負を演じて「自信が確信に変わった」との名言を残している。

 デビューから3年連続最多勝を飾った松坂だが、翌2002年は故障で規定投球回数に到達せず。しかし03年に16勝、04年には10勝と盛り返し、この年も最多投球回を記録し、最多奪三振のタイトルも獲得。西武、パ・リーグのエースとして君臨した。

 この年、中日ドラゴンズとの日本シリーズは第7戦までもつれる接戦となるが、松坂は最終戦にも中継ぎで登板する活躍で、日本一に。この直後に元日本テレビで、フリーアナウンサーの柴田倫世さんとの結婚を発表した。松坂は24歳、倫世夫人は29歳だった。

05年:松坂大輔の成績(西武ライオンズ)
28登板14勝13敗215回226奪三振、防御率2.30(3位)

 翌06年の第1回WBCではエースとして活躍し、MVPに輝く。この年、シーズンオフにポスティングシステムでのMLB挑戦を表明。複数の球団の争奪戦となったが、ボストン・レッドソックスが5111万ドル余の契約金で指名権を獲得し、入団が決まった。移籍1年目の07年は15勝、08年は18勝とエースの活躍。09年の第2回WBCでも大活躍してMVPに輝いたが、このシーズンは不振だった。

 以後、11年にはトミー・ジョン手術を受けるなど不振が続き、16年にはNPBに復帰しソフトバンク、中日、西武と移籍するも往年のマウンドを見せることはできなかった。倫世夫人はアメリカに生活の拠点を置き、松坂とともに歩んでいる。

ダルビッシュは“日米でターニングポイント”に

〈ダルビッシュ有〉
 大阪府羽曳野市出身、東北高校に進み、長身から繰り出す圧倒的な速球で、春夏の甲子園に4回出場、最高は準優勝だった。

 04年ドラフト1巡目で北海道日本ハムファイターズに入団。05年は5勝だったが2006年は12勝を挙げ、ローテーションの柱となる。07年8月、ダルビッシュは「女優の紗栄子さんと婚約している」と自ら発表した。

2008年:ダルビッシュ有の成績(北海道日本ハムファイターズ)
25登板16勝4敗200.2回208奪三振、防御率1.88(2位)

 MVPに輝いた07年に続き、リーグトップクラスの成績を上げる。なおダルビッシュは07年から「5年連続で防御率1点台」というNPB記録を作っている。11年シーズンオフ、ダルビッシュはポスティングシステムでのMLB移籍を表明。NPBではMVP2回と“日本ではもうやることがない”ような無双状態だった。

山本聖子との交際以降、MLB屈指の先発として

 12年1月、ダルビッシュはテキサス・レンジャーズと6年総額6000万ドル(出来高含む)での契約を発表する。ほぼ同時期にダルビッシュ、紗栄子夫妻は離婚を発表した。レンジャーズでは3年連続で2けた勝利を挙げる。14年オフにダルビッシュは6歳年長の格闘家・山本聖子さんと交際していることを発表。翌15年3月にダルビッシュ有は右ひじじん帯を断裂、トミー・ジョン手術を受けた。この年7月に男児が生まれている。

 ダルビッシュにとって最も苦しい時期だったが、聖子夫人の献身的なサポートもあって16年に復帰し7勝、翌年シーズン中にドジャースに移籍。さらにカブスに移籍し、20年、コロナ禍でショートシーズンとなったが8勝を挙げて最多勝投手となる。またサイヤング賞投票でも、トレバー・バウアーに次ぐ2位となる。21年にパドレスに移籍。2023年のWBCではチームリーダーとして献身的に戦った。

 近年のダルビッシュは、一段と円熟味を増し、多彩な変化球でパドレス投手陣を引っ張っている。

田中将大は“里田まいとの結婚翌年”が伝説的成績

〈田中将大〉
 06年夏の甲子園の決勝では、駒大苫小牧高時代のエースとして、早稲田実業の斎藤佑樹と引き分け再試合の熱闘を演じる。この年のドラフトでは4球団が1巡目指名したが楽天に入団。

 高卒1年目から11勝を挙げ新人王。2011年には19勝で最多勝。12年3月にタレントの里田まいさんとの結婚すると発表。田中は23歳、まい夫人は27歳だった。

2012年:田中将大の成績(東北楽天ゴールデンイーグルス)
22登板10勝4敗173回169奪三振、防御率1.87(2位)

 最多奪三振のタイトルを獲得したが、わき腹の違和感などで戦線離脱もあり、前年よりも成績を落とした。ただそれでとどまらなかったのが田中の地力。この年オフに翌年以降のメジャー挑戦を表明すると、13年には24勝0敗、防御率1.27という空前の成績を残し、チームの初優勝に貢献。MVPに輝いた。

 翌年、ポスティングシステムで7年1.55億ドルの契約でニューヨーク・ヤンキースに移籍。ヤンキースでは6年連続で2けた勝利を挙げる。制球力がよく、抜群の安定感でチームに貢献。まい夫人は、ヤンキースの選手夫人たちの会合に出席するシーンなどが度々報じられ、田中将大のイメージアップにも貢献した。22年に田中将大は古巣楽天に復帰、キャリアの終盤に差し掛かっている。

年上が多い中で「2個下」…大谷夫妻に幸あれ!

 こうして見てくると、投打ともに「姉さん女房」が多いことがわかる。プロ野球やMLBで戦う選手たちは、毎年が勝負であり、1年ごとに境遇が大きく変わる。ライフスタイルも大きく変わる中で、生活をともにするパートナーがいることは、当然ながら心強い話だ。人生経験が多い年上の夫人を選ぶ選手が多いのも、うなずける。一方でNumberWebに掲載された独占インタビューの抜粋記事によると、夫人は「2個下」の年齢だと大谷本人が明かしている。

 とにもかくにも――大谷翔平も、これからはパートナーとともに野球人生を歩むことになる。それは、稀有の才能を持つ野球選手にとって、幸せなことではないだろうか。

<落合・イチローら打者編、大谷独占インタビューも公開中>

文=広尾晃

photograph by JIJI PRESS