アメリカンフットボールの本場、米国NCAA1部のハワイ大学で、日本人選手がレギュラーメンバーで活躍している。ハワイ大学でキッカー(K)を務める26歳の松澤寛政は、米国の大学に挑戦する日本人選手が多くなった現在にあって、異色のキャリアを歩んできた。かつては千葉県の普通のサッカー少年だった松澤。どのようにして本場のアメフト選手となり、NCAA1部の舞台にまでたどりついたのか。その超破天荒な軌跡とは――。《NumberWebインタビュー全3回の3回目/最初から読む》

 公園でのキック練習、アルバイト、コミュニティカレッジへの留学――。

 着実に夢への歩を進めてきた松澤寛政だが、無論うまく行ったことばかりではない。留学中は、生活費や学費をどうやりくりするかに常に追われていた。

 渡米前のアルバイトによる貯金は、2022年夏頃、コミュニティカレッジで4年制大学のリクルーティングキャンプを飛び回っているときに底をつき始めていた。円安も相まって、米国での生活には予想以上にお金がかかった。

とうとう貯金の残高がゼロに…

 渡米してから松澤は、心配をさせないため、また甘えを断つためにあえて両親とは連絡を取らないようにしてきたという。しかし、ある日とうとう貯金が尽きた。

「残高がゼロになったとき、どうすればいいかわからなくなってしまって、涙が止まらなくなったんです。お金にはそれだけ力があるなと。だからこそアメリカのど真ん中、何にもない所でお金がなくなっちゃって……」

 松澤は、思わず両親に電話した。

「『やばい。もう、お金がない』って。そうしたら、母がこう言ってくれたんです。『お金はどうにかなるものだから、夢を諦めるんじゃなくて自分のやりたいことをやりなさい』って」

 ふと、涙がこぼれた。両親は、NFLへの夢を抱いた頃からとにかく応援してくれていた。

「父(徹治さん)は本当に応援してくれて。母(裕美さん)は最初は『何を言っているのかな?』くらいの感じでした(笑)。でも、すぐに信じてくれて、僕がやりたいことを見つけたことをすごく喜んでくれたんです、『NFL、本当に行くんだね』って。

 日本って『そんなのムリ』とか『日本人にはできない』とか、人の夢を否定するような文化があるじゃないですか。だから人にバレないように、一人でやろうって考えてここまでやって来たんです。そんな中で、両親の支えは本当に力になりました」

 そんな両親の想いを感じた経験は、松澤の決意をさらに強くした。

 ハワイ大学に入学すると、トップディビジョンの洗練されたオペレーションに驚かされた。

「根拠はないんですが……ボールを蹴るようになったときから、NCAA1部には行ける自信はありました。僕の中の感覚でNFL選手を100とすると、NCAA1部のカレッジに入るのは20〜30くらいの難易度だと考えていました」

 ようやくカレッジフットボールのトップカテゴリに辿り着いた。ただ、「NFLに行く」という目標のためにはここからが新たなスタート――あくまでそう考えていた。

競技を始めて5年…「ちゃんとしたチームでやれる」

 ハワイ大学での1年目はレッドシャツ(※公式戦に出場しない練習生)として過ごした。後にアーカンソー大に編入した優秀なチームメイトがいて、キッカーとしての佇まいなどを学べた。ホッキングカレッジではいつも1人で練習していた分、皆がそれぞれ責任のある仕事を抱える環境に嬉しさも感じた。

「コーチもスタッフもたくさんいて、雑務は全部やってくれるんです。本当の意味でフットボールに集中できる環境にやっと来られたなと。家の前の公園で蹴り始めてから、5年くらいですかね。はじめてちゃんとしたチームでやれるなと(笑)」

 2年目となる24年シーズン 、ついにレギュラーキッカーになった。

 シーズン前のサマーキャンプ時点ではスターターに確定はしていなかったが、開幕戦の1週間前に「お前で行くよ」とコーチに言われた。

「嬉しいとか『試合に出られるぜ!』とかそういうのはなくて、とにかく今までやってきたことをしっかりやろうと。初戦は強い相手ではなかったんですが、やっぱり緊張はしましたね」

 この日は、タッチダウン後のキックを5本決めた。

 現在はホームのアロハスタジアムが工事中で仮設スタジアムのため、観客は1万5000人ほどしか入らない。しかしアウェイのゲームに行けば、3万人以上の観客が当たり前に入る世界だ。今までとは段違いのプレッシャーが掛かることになる。

「シチュエーションでやっぱり緊張した場面はありますね。1年を通してメンタルのトレーニングをたくさんしました。自分で調べたり、チームメイトに教えてもらったり。ケアやメンテナンスもしっかりやりました。でもキッカーは結局ハートなんで、コーチとも話してずっとトレーニングしてきました」

 結局、2024年のシーズンで松澤は12本のフィールドゴール、32本のトライフォーポイントを成功させた。

「1年間、やり切れたことが唯一良かったことです。ミスもありましたし、成功と失敗がスコアに直結するポジションなんで、もっと良い成績を出したいです。40ヤード以内のフィールドゴールを100%にすることとか……色々課題はありますね」

「もうすぐそこまで(NFLが)来ている」

 現在地について、松澤は率直にどう感じているのだろうか。

「次のシーズンでいい成績を出せれば、もうすぐそこまで(NFLが)来ているなという認識もあります。いろんな意味で紙一重なのがキッカーというポジションなので。結果が残せれば大いに可能性はあると思いますし、僕はそれを信じています」

 日本人がNFLに行くこと自体は、大いに可能性があることだと考えている。

「方法論や手段は色々あると思いますが、僕が自分なりのやり方でここまで来られたので、少なくとも同じやり方を根気強くやれば、ここまで到達できる人はたくさん居ると思います。サッカーとかラグビーにはすごい選手がたくさんいますし……」

 ある意味で、前人未踏の道を歩み続けてきた4年間ではあった。

 20歳の、日本でのアメフト経験すらない選手の「NFLに行きたい」という夢物語は、すでに夢から明確な目標へと姿を変えている。

20歳、素人からの出発…なぜこんなキャリアを積めた?

 ここで、当然の疑問が浮かぶ。なぜ松澤は、こんな奇跡のようなキャリアを積むことができたのか。当人の答えは、端的に言えば「自分を信じ続けられたから」だった。

「僕は『アメフトにかける』と決めてから、自分のことを信じなかった瞬間はありません。それだけは自信をもって言えます。自分のやりたいことですし、好きなことです。自分のためにやること、自分自身にピュアであることで、どんなに辛いことがあっても初心を忘れずにいられました」

 加えて、日本で競技経験がなかったからこそ意識の中で壁を作りがちな先入観がなかったことも幸いしたという。

 目標はNFLだが、今は自分にフォーカスすることに集中している。

「カレッジでいい成績を残す。今はこれしかできないんで、自分のベストを更新していくことですね」

 20歳で、人生で初めて楕円のボールを蹴り始めた。鬱々とした人生を、ここから変える。その頃、計算していたプロになる年齢は「28歳くらい」だったという。リミットまでは、あと3年だ。

「40歳くらいまで現役でやって、スーパーボウルに出て優勝したい。1回くらいはFAで大きい契約を取りたいですね。でも、色んな目標が大きくなっていく中で、『今、どうしなきゃいけないか』と考えると、結局目の前のことに集中するしかないんですよ。それを自分が信じてやっていくことが、良い人生につながっていく。それがブレると自分じゃなくなっちゃうので」

 体は大きい。けれど、決して自分を大きく見せようとはしない男。松澤と向き合い、感じたことだ。本気で真摯、真面目で愚直。信じて突き進めば、夢は叶うのかもしれない――。2025年の年明け早々、久しぶりにそんな感覚を得た。

文=北川直樹

photograph by Naoki Kitagawa