慶應義塾大学、パナソニックなど、ラグビー選手として充実のキャリアを歩んできた児玉健太郎(33歳)。日本代表としても活躍したウインガーはいま、意外な転身を遂げていた――。江戸風情が残る下町・浅草での“第二の人生”に密着する。【NumberWebアスリート転身特集全3回の1回目/第2回も公開中】

 浅草寺の本堂の右手に東門として創建された二天門の前は、浅草の街を巡る人力車が立ち寄る定番ルートの一つになっている。鮮やかな朱塗りで、国の重要文化財に指定される小さな門は、観光客が向けるスマートフォンの画面に収まりやすいのだろう。

「ここは第二次世界大戦の戦火にも焼け残ったといわれる貴重な建築物です。いまもすぐ脇に消防署があるように、ずっと守られているんです」

 元ラグビー日本代表の児玉健太郎(33歳)は現在、人力車の車夫として働いている。昨年引退してまもなくジャージを“腹掛け”に、スパイクを“足袋”に履き替えた。乗車したお客さんへの“浅草解説”もすっかり板についてきたようだ。

給料は完全歩合制

 インバウンド需要が絶大ないま、浅草は外国人観光客が溢れかえっている。取材した日は平日の昼間にもかかわらず、飲食店も宿泊施設も人力車業界もコロナ禍の停滞が嘘のように活気を取り戻していた。

 児玉が車夫として所属する「松風」は、浅草に数多くある同業の中でも実にフレキシブルな働き方を推奨している。従業員は20名程度と少数精鋭だが、本業と掛け持ちする者や現役の格闘家が在籍するなど多彩な顔ぶれが揃う。それぞれのライフスタイルに応じて出勤日時を選び、働きたい時だけ働く。給料も完全歩合制で、収益単価(例・2名乗車/1時間1万6500円〜)の30%程度を会社に収める契約だ。

 縛られることが苦手だと話す児玉にとっては、居心地がよかった。

「いくつかの会社を回ろうと思っていましたが、『松風』の親方、女将さんと面接してすぐここで働きたいと思いました。この世界は職人気質の人が多いのだろうと思っていましたが、お二人の物腰がすごく柔らかくて。僕にとっては、誰と働くかも重要な基準でした。うちで働くひとも、街ですれ違う他社の車夫の方々も、この業界には面白い方がいっぱいいますよ」

「日本人に声をかけることは少ない」理由

 人力車の運転に特別な免許は必要ない。しかし、浅草の街中には車夫に向けた道路標識があるように走行可能なエリアや声掛けOKの場所が定められるなど細かいルールは多い。実車できるようになるまでには、まず基本操作や交通ルールを頭に叩き込み、マナーを身につけたうえで、親方を乗せて何度も実地訓練を積む。自由な社風とはいえ、危険を伴う仕事でもあるため研修は厳しかったという。交渉や乗車時の会話にもある程度のマニュアルが用意されているが、内容やアプローチは個々に委ねられており、高いコミュニケーション力が求められる仕事なのだ。

 今年3月、児玉は休みなしで週7日も人力車を走らせていた。予約制を取っているが、業界大手とは異なり、ほとんどが街で声をかけるところからスタートする。

 早い時は朝8時に車庫に出向き人力車を引っ張り出す。日が暮れる頃までに乗せるお客さんは6〜7組ほど。観光客が多い日はもっと増える。乗車時間も20分から1時間とさまざまで、料金や要望に応じてルートを決定していく。英語が話せる児玉はあえて「日本人に声をかけることは少ない」という。外国人観光客をメインターゲットとするため、仲見世通りを挟んで東側のエリアを走ることが多いそうだ。

「エンタメ要素が強い西側も魅力があるのですが、ビートたけしとか落語家の話をされても海外の方はピンとこないですよね。スカイツリーが見える場所や雷門では、写真撮影を頼まれることが多いのでカメラ技術が上がりました(笑)」

“300kg”の人力車を…「夏はがっつり休む」

 軽快に日常を教えてくれる児玉だが、滴る汗の量が重労働を物語る。人力車1台の重さは100kg以上と言われ、3人乗りの場合はさらに重く、1人50kgと仮定しても250kg〜300kgほど。ベテラン車夫や女性も活躍する業界だとはいえ、決して簡単な仕事ではない。

「でも、体力に自信はありますし、何より僕は“走ること”と“倒れないこと”が本業でしたから。ただ、夏場はどうしても効率が下がってしまうので、今の時期は稼ぎどきなんです。猛暑のなかで毎日やっていたら体がもたない。だから夏はがっつり休みます」

 一日の業務を終えると体重が減っている日も珍しくない。節制していた現役時代にくらべて食べる量はむしろ増えた。それでも、腹掛けの上からでもわかる鍛え抜かれた胸板や脚は引き締まっていて、座席から眺める背中は他の車夫と比べても頼もしい。

 そんな児玉が、“消耗した”と思い出すエピソードがある。

「ブラジル人の夫婦を乗せたことがありまして。旦那さんは120kgぐらいと言ってましたが、奥様のほうがさらに体格が良くて……あの時はさすがに大変でした。楽しんでもらわないといけないので表情には出さないよう努めましたが、汗が止まりませんでした」

偶然タイの有名人を乗せて…

 毎日のように異国の人々に接していると気づきも多い。フランス人に声をかけた時は「私たちは馬車ですら抵抗があるのに、人間が引くなんて……」と返されて文化の違いを痛感した。あるタイ人を乗せた時はインバウンドの現実を突きつけられた。

「乗せた方がどうやら有名なコメディアンだったようで、通りに出ると歓声がわいて一斉にスマートフォンを向けられました。ってことはここにいるの、みんなタイ人なのか!って」

 ラグビーで培った走力とパワー、オーストラリアで2年間プレーした経験があって語学も堪能だ。コミュニケーションを取ることも性にあっていた児玉にとって、“令和の人力車”はまさにぴったりなセカンドキャリアだったのかもしれない。

 人力車の仕事にやりがいを感じ、「引退したアスリートに勧めたい」という言葉にも偽りはない。ただ、児玉はその先を見据える人生プランも明確だった。〈つづく〉

文=谷川良介

photograph by Yuki Suenaga