浅草で人力車を走らせるようになって1年が経った。観光客を座席に誘導し、優しく毛布をかける仕草にもこだわりを語る。「ここらで一番のイケメンだよ!」と顔見知りのベテラン車夫から受ける“愛のイジり”は、縁もゆかりもなかったこの街に馴染んできた証拠だ。
「オーストラリア人の方を乗せた時に『(神戸製鋼で)ダン・カーターと一緒にプレーしていたんだよ』と写真を見せたらびっくりされて。ラグビーやっていてよかったなと思いましたね」
ラグビーで培った体力とコミュニケーション力。加えて、海外でのプレー経験で英語も習得した。インバウンド需要が高まる“日本の観光地”での仕事は、たしかに児玉にとってはぴったりな仕事なのかもしれない。
ただ、この街に来た理由はそれだけではない。
「じつは将来、海外でお餅屋を開こうと思っていて、今年中にまず浅草に出店するんです。引退してから浅草のお店でアルバイトをしていたのですが、その時に人力車なら並行してできると思ったんです。将来のビジネスにリンクするし、浅草の人たちと交流もできて、何より自分自身のPRにもなりますからね」
「まず、やりたくないことを書き出した」
児玉が引退後の自分を想像し始めたのは、ラグビー人生をあと1年と見定めていた2023年秋。所属していたNECグリーンロケッツ東葛で3シーズン目の開幕を控えていた頃だった。
「神戸製鋼をクビになった時はまだ現役を続けたいと思っていたんですけど、移籍したNECでシーズンを終えた時に、第一線に戻れるイメージができなくなっちゃって。終えた時にはもう32歳。リーグワンで(選手として)もう間に合わない、無理だなって思ったんです。
でも、引退後にやりたいことを考えてもなかなかピンとくるものがなくて。だから、やりたくないことから書き出していったんです。ずっとラグビーをやってきたから一生分の紫外線を浴びてきた。次は過ごしやすい気候の国で生活したい。だったら、日本の文化や伝統の何かで力をつけてから海外でビジネスをできないのか。そんなことを考えていました」
デスクワークは苦手な性分。年功序列の社会で生きることもたぶん向いていないだろう。海外生活を軸に考えたことで、ビジネスプランが浮かんできた。
それにしても、なぜ“お餅屋”だったのか
「お餅屋をやろうと思ったのは、再現性が高いから。たとえば、“寿司”は外国人にわかりやすいかもしれませんが、今から職人になるのは時間がかかるし、市場が違えば水も違う国で日本と同じ味を再現するのは難しい。でも“お餅”は、その国の水が硬水だったとしても蒸す時に軟水を使えばいいだけ。
日本からドライで送って現地でふやかせばいい。それに、“餅つきパフォーマンス”に興味をもってもらえるかなと思ったんです。今はオランダで出店を考えているんですが、現地でジャパンフェスを開いて餅つき体験をやりたい。特別、お餅が好きだったわけではないですけど、興味を持ち始めてからどんどん面白くなっちゃって」
自分の心の声に忠実に生きてきた児玉らしい“第二の人生の出発点”だった。
ラグビーよりテニスに夢中だった理由
児玉がラグビーに出会ったのは小学1年の頃。周囲は野球やサッカーに興じていたが、だったら自分は、と地元福岡の名門・鞘ヶ谷ラグビースクールに入った。ただ、当時は痛くて怖いラグビーよりも爽快なテニスに夢中だった。
「小学生のときはテニスのスクールにも通っていたんですよ。中学の部活もテニス部で、高校の推薦もあったと思うんですけど。でも、仲間に恵まれてどんどんラグビーが楽しくなって、両親も集団競技をやらせたかったみたいで、高校はもうラグビーだなと」
本人曰く「中学時代は足も速くなかったし、県選抜にも入ったことない」。それでも、身体をぶつけあった仲間と過ごしたラグビーの時間は居心地が良かった。同じラグビースクールの先輩に誘われ、進学校でもある小倉高校に進学した。
憧れの慶應大ラグビー部に入部も…
バレーボール選手だった父親譲りの身体能力が開花したのは高校時代だ。
勉強は得意ではないと言いながらも勉学との両立に情熱を注いだ3年間。厳しい練習で毎日ヘトヘトだったが、教室では最前列が定位置だった。当時の福岡県は絶対王者・東福岡高校が君臨していたことで悲願の花園出場こそ叶わなかったが、高校日本代表に名を連ねる選手に成長。早慶戦を観て憧れた慶應大学環境情報学部にAO入試で見事合格を果たした。
ラグビー部ではまったく同じ経歴を歩んだ先輩・山田章仁の“後継者”と期待され、1年生から対抗戦に出場。スター軍団と呼ばれた早稲田大に10年ぶりに勝利するなど、前途洋々のスタートを切った。
しかし、ここから児玉の活躍はピタリと止まる。それどころか、3年時には謹慎処分が下されたのだ。
「あの1年間は坊主頭でした。でも、信じてない道を行く自分が情けないと思って、そういう行動に移したんですけど」
その話をしますか……と頭を掻きながら、児玉は若き日の自分をゆっくりと回想し始めた。〈つづく〉
文=谷川良介
photograph by KYODO / Yuki Suenaga


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