『RIZIN男祭り』(5月4日、東京ドーム)を取材していて感じたのは、日本における格闘技ファンが完全に代替わりを果たしたということだ。

 圧倒的一番人気は朝倉未来。その対戦相手である鈴木千裕と、朝倉のジムであるJAPAN TOP TEAM(JTT)の選手たちが続く。朝倉やJTTのヒロヤが勝利した瞬間の大歓声は、球場ブルペンに設えられたプレスルームにもダイレクトに届いてくるほどだった。

 一方で、中村大介vs.桜庭大世はドーム前の広場で開催されたファン公開形式のカード発表記者会見でも、あれっと思うくらい反応が薄かった。中村は3年ぶりのRIZIN参戦かつ6連敗中、桜庭はレジェンド・桜庭和志の息子という話題性があるものの、まだプロMMA2戦目だから仕方ないのかもしれない。

 中村の師匠である田村潔司と、桜庭和志はともにプロレス団体UWFインターナショナル(Uインター)所属だった。先輩・後輩でありライバル関係だ。

 大ブームを巻き起こしたUWFがあり、そこから分派したUインターがあり、Uインターのエースだった髙田延彦がヒクソン・グレイシーと闘うところからPRIDEが始まった。そしてPRIDEに大ブームをもたらしたのが“グレイシーハンター”桜庭和志であり、RIZINはPRIDEの後継プロモーションということになる。

 44歳の中村は会見でも、対戦の背景にある“U”について語った。「僕はUインターを見て人生が決まった」と中村。しかし若いファンの多くにとって、Uインターの全盛期(1990年代前半)は生まれる前の話だろう。1972年生まれの筆者には“中村vs.桜庭ジュニア”はたまらない顔合わせなのだが。桜庭大世にしても1998年生まれで、“U”のことはよく知らないのだと言った。

『RIZIN男祭り』に隠された“裏テーマ”

 大会名の『男祭り』はPRIDEの年末イベントへのオマージュ。大会オープニングでは縁の(元)選手たちによる太鼓のパフォーマンスが行われた。これもPRIDE男祭りからの“伝統”だ。太鼓のリズムはPRIDEのオープニングテーマと同じ。CEOである榊原信行はリング上で「己のPRIDE、見せつけろ!」と叫ぶ。これが開会宣言となった。

 こうした演出も、今のファンにはピンとこないものだったかもしれない。女子MMAが確立している時代に『男祭り』というネーミングはアナクロな感じもする。ただ榊原にとっては、今だからこそという思いもあった。RIZINは今年旗揚げ10年目、榊原はプロモーターとして、PRIDE時代から数えて10回目の東京ドーム大会。その“歴史”が『RIZIN男祭り』の裏テーマ、隠し味だったのだ。

「往年のファンに刺さるものを見せたいというのもありましたし、温故知新でもある。ここまでの過程を振り返ってほしいという気持ちは凄くありました。

 日本の人たちは海外に比べると過去に対するリスペクトが凄く少ない感じがしていて。たとえば桜庭和志という、PRIDEの時代で言えば今の朝倉未来に勝るとも劣らない、ひょっとしたらそれ以上の存在だったかもしれない人を、今の人たちは知らないんですよ。海外に行ったら桜庭の人気、リスペクトは凄いんですけど」

 東京ドームにはRIZINで名を上げ、現在はUFCで活躍しているイリー・プロハースカもいた。彼は桜庭の息子が格闘家になりRIZINで試合をすること、桜庭がセコンドとして会場にいることに感激していたという。

 今はPRIDEも、旧K-1もない。ここ数年、那須川天心や武尊、朝倉未来と海の兄弟といった新世代の選手たちが新たな時代を作ってきた。オールドファンが過去を懐かしがってばかりという状況ではないわけで、それは歓迎すべきことだ。健全な状態と言ってもいい。健全な状態だから、過去を振り返る余裕もできる。

「今日この日にたどり着くまでの日本格闘技界の歴史に、100人のうち1人でも2人でも興味を持ってくれたら」と榊原は言った。“U”をテーマにしたマッチメイクや男祭りというネーミング、太鼓のリズムや決め台詞の中の“PRIDE”にはそういう意味もあったのだ。

「僕を嫌いな人はいるだろうなと思ってます、常に」

 プロレス・格闘技界の過去と現在をつなぐ存在である桜庭大世は、中村に一本負けを喫した。序盤からハイテンポな打撃を見せたが、中村はテイクダウンに成功。マウントポジションからのパンチで桜庭の体力を削っていく。フィニッシュは中村の得意技、腕ひしぎ十字固め。これで桜庭の戦績は1勝1敗となった。

「“そんなうまくいかねえだろ”って気持ちよくなってる人がいそうで悔しいですね」

 インタビュースペースでの桜庭の第一声だ。やはり“アンチ”的な存在は多いのか。

「そういう人もいるだろうなって。当たり前というか、いないわけないじゃないですか(笑)。僕を嫌いな人はいるだろうなと思ってます、常に。

 でも、僕はけなされても褒められても強くなるタイプだと思ってるんで。気にしないわけじゃないですけど、そういう声があればコイツ見てろよって思えるし、褒めてもらえれば調子に乗るので。“負けて色気が出たね”とみんなに言ってほしいですね」

勝った中村は「彼はまだ始まってもいない」

 RIZINに出場できるのは親の七光りがあるから。彼は当然のようにそう考えている。初黒星についても「いつか絶対にくるもの」と捉えていた。綺麗な戦績、ファイトレコードの黒星欄が「0」であることが大事なわけではないと桜庭。むしろ、負けから這い上がることで感情移入してもらえればいいと言う。

 残念だったのは、グラウンドの攻防が期待していたほど見られなかったことだ。田村も中村も桜庭和志も、グラウンドで動きまくり、攻めまくるスタイルが特徴だ。攻防が目まぐるしく入れ替わる展開から、田村の寝技は“回転体”とも言われる。中村はその動きを受け継ぐ選手だ。

 中村と桜庭大世の“回転体”も見たかったところだが、中村は連敗脱出のため、ポジションを固めてじっくり攻めていった。それもあって、中村は桜庭の寝技を「未知数」だと評している。

「彼はまだまだこれから、まだ始まってもいないと思うので。こんなおじさんにやられて悔しいと思うので、ここから強くなってほしいです」

技術の中に宿る“歴史”と“遺伝子”

 試合中、桜庭がスタンドでバックにつくと、中村がアームロックを狙う場面もあった。これは桜庭和志が得意とする動きだ。

 中村も桜庭も、桜庭和志がプロデュースするグラップリングイベント『QUINTET』に参戦している。だがこれまでスパーリングで手を合わせたこともなかったそうだ。それでも、どこか通じ合うものを感じたと桜庭。

「大介さんはちゃんと僕が嫌なことをやってくる気がして。“先輩だな”って。寝技はやったことがある動き、慣れている動きという感じがしました」

 やはりルーツは同じなのだ。もちろん、桜庭大世は現在を生きて未来を作る。意識して歴史を背負う必要はないだろう。自然にそうなってしまう、という話だ。父との練習で培った技術の中にも“歴史”あるいは“遺伝子”がある。桜庭大世という選手がRIZINで闘う、そのこと自体に大きな意味があるのだ。

 今回の試合は2025年5月4日。父・桜庭和志がホイス・グレイシーを計90分の死闘の末に下したのは、2000年の5月1日である。25年前の同じ月のことであり、場所も同じ東京ドームだった。筆者はそのどちらにも取材者として立ち会えた。幸運だったと言うしかない。

文=橋本宗洋

photograph by RIZIN FF Susumu Nagao