「弘法も筆の誤り」という諺は、その道に長じた達人でも時には失敗することがある、という意味である。それと同様に、盤上で緻密な読みで高度な技を見せる将棋のプロ棋士でも、信じられないような反則や、勝敗に直結する“ポカ”を犯すことが稀にある。田丸昇九段がプロ公式戦で生じた色々な実例を挙げながら、反則手を指した背景を探ってみる。【棋士の肩書は当時】
「これ、もらっておくね」と相手玉を
第1図は、1963年のA級順位戦・塚田正夫九段と大野源一八段の対局での終盤の部分局面。両者の玉に王手がかかっている。
これは、いったいどうしたのか……。
△2八飛と打って先に王手したのは塚田。大野は▲3九玉と逃げ、△2七飛成▲3一角の王手で勝ちと読んでいた。しかし、秒読みに追われて混乱してしまい、玉を逃げずに▲3一角と打ってしまった。塚田は「これ、もらっておくね」と言って、△4八飛成で大野の玉を取り上げたという。もちろん大野の反則負けとなった。
大野は、読み筋の3手目と実際の指し手を混同してしまった。
第2図は、2018年のB級1組順位戦・菅井竜也七段とH八段の対局での中盤の部分局面。菅井は「7九角」を矢印の動きで、相手の「6八と」を飛び越えて▲4六角と進めたのだ。これは、いったいどうしたのか……。
菅井は自信ありげに▲4六角と銀取りに指した。Hはうまく指されたと思って2分ほど考えていると、あぜんとした表情の記録係が指摘して、反則がやっと発覚した。菅井は第2図の前に、▲6八角でと金を取り、△6七歩成▲4六角という読み筋だったが、3手目を先に指してしまった。前述の大野と同じ例だ。
それにしても菅井だけでなく、相手のHも反則に気づかなかったのは不思議だ。6筋のと金がその瞬間だけ消えて、見えなかったのだろうか。菅井の反則負けはネット上で話題になり、「ワープ角」や「レントゲン角」と呼ばれた。
大山十五世名人も経験した「二歩」で有名なのは…
直近の10年間において、プロ公式戦での反則を調べてみると、年平均で約3局あった。
そのうち最も多い反則は「二歩」(同じ縦の筋に2枚目の歩を打つこと)だった。中には計3局も二歩を打った棋士がいた。
あの偉大な大山康晴十五世名人も、二歩を打って反則負けになったことがある。
第3図は、2004年のNHK杯戦・豊川孝弘六段とT五段の対局の中盤の部分局面である。
形勢不利な豊川が苦しまぎれに▲2九歩と竜取りに打った手は、二歩の反則だった(2三に歩がいる)。
豊川は局後の検討で形勢や二歩について「アカン(阿寒)湖」と無意識に口走ったという。その後、将棋番組の解説で「先手が優勢(郵政)民営化」「両取り(オードリー)ヘプバーン」「大駒を切り(キリ)マンジャロ」などと、ダジャレを飛ばすキャラで人気棋士になった。
第4図は、2016年の将棋日本シリーズ・郷田真隆王将と佐藤天彦名人の対局での終盤の部分局面である。
郷田が▲6三歩と桂取りに打った手は、二歩の反則だった(6八に歩がいる)。
以上の2例の共通点は、同じ縦の筋にいる歩と二歩の手の位置が離れていた、秒読みに追われていた、ということが考えられる。また、二歩の手には、えてして指したい好手が多く、それに惹かれて落とし穴にはまりがちだ。
第5図は、2006年のC級1組順位戦・小林健二九段と小倉久史七段の対局での終盤の部分局面である。
小林が打った▲9二歩の王手は、わずか二段差という珍しい形の二歩の反則だった(9四に歩がいる)。しかも6分も考えての着手だ。先の手を読んでいるうちに、盤面の一部が見えなかったのだろう。
藤井五冠も「研修会」の頃に…羽生九段の「頓死」って?
第6図は、二歩以外の反則の参考例である。
Aは「7七角」が成れない四段目に▲4四馬(角成)と指した反則。
Bは「8五桂」がチェスの「八方桂」のように、▲6四桂と指した反則。
Cは持ち駒の銀を▲2五成銀と裏側に打った反則。
実は藤井聡太五冠も小学2年の頃、「研修会」(奨励会の予備校的機関)の対局で、必勝の局面でAのような手を指して反則負けしたことがあった。当時は負けるたびに大泣きしたが、ある人が「あの羽生さんも1手頓死で逆転負けしたことがあるよ」と慰めると、藤井は「ほんとに?」と言って泣き止んだという。
そんな羽生善治九段の対局についても触れよう。
第7図は、2001年の竜王戦挑戦者決定戦第1局・羽生善治四冠と木村一基五段の対局での終盤の部分局面である。
すでに敗勢の木村が形作りに指した△5六銀の王手に、羽生は▲6四玉と逃げたので、△6五飛と打たれて何と1手詰めの頓死となった。▲7六玉と逃げればまったく詰まず、木村は投了しただろう。
輝かしい羽生の将棋人生で、唯一の大ポカによる敗戦とハプニングだった。後日の感想によると、△6五飛は指されるまでまったく気づかなかったという。
難解な将棋がやっと勝ち筋になった安堵感や、玉は上部に行けば安全という経験値が、重大な空白をもたらしたのだろう。こんな大ポカで逆転負けすれば、普通は立ち直れないものだ。しかし、さすがは羽生で、第2局と第3局で木村に連勝し、藤井猛竜王への挑戦権を得た。
「先手・後手勘違い」「二手指し」も稀にあった
2022年12月のB級1組順位戦・千田翔太七段と近藤誠也七段の対局で、1手も指さずに反則負けになる珍事が起きた。後手番に決まっていた千田が、初手に▲2六歩と指してしまったのだ。
対局前から先手番と思い込み、研究を重ねてきたという。順位戦の対局での先手・後手は4月の抽選時に決まり、各棋士に対戦表が送付される。それを見誤ったか、勘違いをしたようだ。
また、近年は奨励会員が務める記録係の人手が不足がちなことから、順位戦では対局開始から夕食休憩まで、1人の記録係が2局分を担当する(夕食休憩以降は2人)。そのためか、記録係が開始時に先手番の2人の対局者に続けて伝えたとき、千田は聞き流してしまったようだ。
このような先手・後手の勘違いによる反則負けは稀にあった。
藤井五冠は対局開始にあたって、「初手・お茶」を決め事にしている。お茶を飲んで精神を落ち着かせるとともに、万一の誤りを防ぐ意味もあるようだ。
対局中に手番を勘違いし、続けて指す「二手指し」の反則負けも稀にあった。指し手があまり進んでいない序盤の局面だと、うっかりしやすい。米長邦雄永世棋聖は序盤で、▲4八銀の次に思わず▲5七銀と指してしまった。
関東と関西の棋士の対局では、一方の棋士が東京の将棋会館か大阪の関西将棋会館に移動して行う。その対局場所は、2週間前までに届く対局通知に記される。しかし、一方の棋士が移動せずに不戦敗となった例が稀にあった。前述の千田と同様に、思い込みによる勘違いだった。
私こと田丸昇九段は、45年間にわたる現役棋士生活で、反則負け(反則勝ちも)は一度もなかった。ただし、反則に限りなく近い悪手やポカで負けたことは数多くあった。
文=田丸昇
photograph by JIJI PRESS