彼女の美しさは、離れたところから見ても思わず立ち止まって見つめてしまうほどだ。そのボディラインや曲線、すべてが人を惹きつける。近づくほどに魅力は増し、洗練されたあらゆるディテールが、ほぼ完璧な全体像を彩る。決して若くはなく、これまでの生涯も平穏ではなかった。第二次世界大戦にも従軍している。それでも、はるかに年若い姉妹から主役の座を奪う美しさは健在だ。今年で85歳。どんな品でも尊敬に値する歳月だが、それが鋼鉄と木材でできたモーターヨットならなおさらである。

【美しき海上の貴婦人、1930年代のモーターヨットが現代を航行する】(写真14点)

彼女の名はセラス

48トン、全長68フィート(21m)の「セラス」は、高名なイギリスの造船技師、ノーマン・ハートが設計し、オランダのアムステルダムの造船所、アムステルダムシェ・シェープスヴェルフで建造された。セーリングのオリンピック選手だったヘラルド・デ・フリース・レンチが設立し、現存する会社だ。このヨットは10隻造られたうちの最初の1隻で、最初のオーナーは子どもの名前であるセルマとダグラスを組み合わせて「セラス」と名付けた。  

最初のオーナーであるパーシー・ニューサム・ハーストは、1887年にアルゼンチンのブエノスアイレスで生まれた。父親のジョセフ・ニューサム・ハーストは、羊毛・紡績業を拡大するため南米に渡った人物で、ロイヤルメールや鉄道会社など、イギリスの複数の公共団体と取引をしていた。息子のパーシー・ニューサム・ハーストは英国に戻り、レディー・アン・ミルズという名のニット製品の会社をヨークシャーのバットリーに設立した。「パーシー氏は目の肥えた人物でした」こう語るのは、イタリアの船舶史に詳しいヨットスペシャリストのフランチェスコ・フォッピアーノだ。フォッピアーノはセラスのレストアの最終仕上げを監督し、最初のオーナーについて調査をおこなった。

「1934年には、リポン・ブラザーズがボディを架装したロールス・ロイス 20/25 サルーンを購入し、その後まもなくセラスを手に入れました。すっきりとしたシルエットのモーターヨットで、ラウンジの窓が大きく、操舵室がエンジンルームの上を横切る低い位置にあります。クラシックでバランスが取れ、洗練されたエレガントなデザインですが、内部は近代的で、発電機のほか、フリッジデール製冷蔵庫や、キャロア製のガスコンロと給湯器を備え、エンジンコントロールがブリッジの奥に配置されている点も当時としては先進的でした。スピードは気にせずに船上の生活を楽しむという英国紳士のスタイルの完璧な象徴です。当時は既に、最もパワフルなヨットには出力1000hpのエンジンが搭載されていました」  

完成したヨットは、1936年7月24日発行の『 Yachting World and Motor Boating Journal』で2ページにわたって取り上げられた。この記事はいくつかの技術的な特徴を伝え、全長67フィート10インチ(約20.7m)の船内のレイアウトを示している。そこから、デッキ、ハッチ、デッキハウス、天窓がすべてチーク製だったこと、後部に12フィートの小型モーターボートを備え、それがメインマストの小型ウィンチとブームで吊り下げられていたことが分かる。また、排ガスを水面のはるか下に排出するため、その影響がほとんどなく、ノイズが皆無で舷側が汚れることもないと伝えられている。処女航海のルートと時間も記されており、10ノットの巡航速度で11時間50分をかけて、オランダのアムステルダ ム近郊にあるエイマイデンの港から、英国ノーフォークのリゾートタウン、グレートヤーマスに到着した。そこから拠点となる内陸のキードビーまでは、運河のシェフィールド&サウスヨークシャー・ナビゲーションを経由した。「調査に関しては恵まれていました」とフォッピアーノは話す。「パーシー・ニューサム・ハーストの甥が二人存命で、連絡を取ることができたのです。二人とも1918年生まれで、カナダのブリティッシュコロンビアに住んでいます。ジャック・マイルズとディック・モレノにとって、この船は戦前から戦後にかけての懐かしい思い出の場所でした。二人は私たちの知らない事実も覚えていました。ヨーロッパで最もエレガントなヨットとして金賞に選ばれ、パリでトロフィーを受け取るため、セラスは1930年代末にセーヌ川に停泊していたのです」  

当時のイギリスの船がすべてそうだったように、セラスも第二次世界大戦に招集された。ダンケルク撤退作戦は、北方に停泊していたため免れたが、ノルマンディー上陸作戦には参加した。1944年6月6日、セラスは司令官用の艀として、ソードビーチ上陸作戦を敢行した6939隻から構成されたS軍の一角を担ったのである。「セラスを徹底的にチェックしたところ、船首の底にへこみが残っているのを見つけました。おそらくDデイの最後に司令官を海岸へ運んだ際に、ソードビーチの砂に乗り上げて負ったダメージでしょう。それがあの作戦でのセラスの役割でした」とフォッピアーノは話す。  

戦後、セラスは(ほぼ)無傷の状態でオーナーの元に帰り、ファミリークルーザーとしての日常を取り戻した。パーシー・ニューサム・ハーストの姉妹の息子であるジャック・マイルズは、1918年3 月6日にアルゼンチンで生まれ、1941年に輸送機C-47ダコタのパイロットとしてRAFに入隊。このとき初めてイギリスに渡った。当時を回想してこう語っている。

「ドンカスターから3マイルのステインフォースにセラスが停留しており、二晩ほど船に泊まったよ。その後、私はインドシナ海域に派遣され、トータル1万1500時間も飛行した。1945年9月15日の緊急着陸では、ひとりの犠牲者も出さなかったとして勲章を授与された。その頃セラスには何度も乗り、船上パーティーにも何度か出席したよ。2基のガードナー製エンジンの1基に電気系のトラブルが起きたときは、セルマの夫でエンジニアのジョージを手伝った」  

別の姉妹の息子であるディック・モレノも1918年にアルゼンチンで生まれ、同じような思い出を持つが、セラスへの愛着はひとしおだ。なにしろ未来の妻と初めての夜を船上で過ごしたのである。

「私はRAFに入隊し、ランカスター爆撃機でヨーロッパの作戦に参加した。自由時間の多くをあの船ですごし、船上で生活したものだ。ひとりではないことも多かったよ...。ジャックと私は兄弟のように暮らしていた」  

二人は、ブエノスアイレスから貨物船アップウェイ・グレインジ号でイギリスへ渡る計画だった。ところが運命のいたずらで、ジャックはディックの家へ向かって運転中に交通事故で負傷し、入院してしまった。こうして二人は船を逃したが、その船がロンドンに着くことはなかった。1940年にドイツのUボートに撃沈されたのである。乗員86人のうち生還したのは50人にすぎなかった。  

戦後、オーナーの元に戻ったセラスは、パーシー・ニューサム・ハーストが死去する1950年代中頃まで、スコットランド北部のカレドニア運河やネス湖で大いに活用された。その後はベルギーの香水製造会社に売却され、地中海へ運ばれた。  

フォッピアーノは次のように語る。「クラシックカーと同じように、スクラップや改造の危機にさらされる時期があります。セラスの場合は1960年代初頭がそうでした。製造から25年がたち、イタリアへ売却され、レストアではなく、もっと新しいヨットに見えるよう近代化されたのです。歴史的観点からいえば最悪の事態ですが、おかげで彼女は生きながらえました。そうした作業の中で、ブルワークが付け加えられ、2本マストは美観では劣る1本マストに変更されました。その頃はイタリアのローマの近くに停泊し、公共テレビ局のトップが所有して"パロマ"と改名しました。次のオーナーはホテル経営者で、長年所有し、"セラス"の名前に戻しました。そして売却する少し前に、モダンなカミンズ製エンジンに換装しました」



クラシックコレクターが救い出す

これを買い取ったのが建築家でカーコレクターのコラード・ロプレストだ。彼は、ショーカーやプロトタイプなど希少なモデルを中心にコレクションすることで知られ、ヴィラ・デステの常連である(訳注:京都・二条城でのコンクール・デレガンスにも出品している)。  

コラードは次のように振り返る。「あれは2009年だった。ファミリーボートを探し始めたときだ。夏の休暇中に地中海で使いたいと考えていた。現代のボートは、効率性では申し分ないし、5人家族と数匹の犬や友人たちと使う分には最適だ。しかし、私が求めるもの、所有するクラシックカーに感じるようなスタイルと魂には欠けていた。そこで、もっとクラシックな船にターゲットを移したところ、セラスを見つけたんだ。愛情と手間をかけてやる必要はあったけれど、私は初めて見たときに、そのヒストリーを知るずっと以前にもかかわらず、彼女には何か訴えたいものがあると分かった」 

こうしてコラードは、完全なレストアが必要であることを承知の上でセラスを購入した。大々的な作業となり、金属部分はすべてサンドブラストをかけてチェックし、必要な箇所はレストアをおこなった。機構部分とデッキハウスもすべて整備された。 

「私たちはヨットをオリジナルの外観に戻した。再び2本マストにし、1930年代に存在したディテールをひとつ残らず追い求めた」とロプレストは語る。  

セラスのレストアは容易ではなかった。フォッピアーノはこう話す。「船上で数週間すごすこともあるでしょうから、クラシックカーより妥協する必要があります。空調は不可欠ですし、現代的な設備へのアップグレードも必要です。また、コラードの息子たちは全員20代前半なので、その希望を満たすため、最新式のオーディオシステムを導入する必要もありました。スピーカーは見た目があまりにも現代的なので、たいへんでしたよ。私たちは2基目の発電機と現代的設備を取り付けましたが、ウッドワークは内外とも、ほぼすべて残すことができました。幸い、ほとんどの家具は状態がよかったので、私たちは部分的な交換をせずにレストアするよう懸命に努力しました。チーク材はすべてオリジナルのままだったのです。エンジンについては、オリジナルのガードナー製を2基入手でき、倉庫に保管してあります。私たちは引き続き現代的なカミンズ製を使うことにしました。燃費がよく、巡航速度は同等ですが、メンテナンスは少なくて済むからです」  

古いガードナー製エンジンは、潤滑油の注入に時間がかかり、スペシャリストによる整備を必要とする。それでも見た目ではこちらを選びたいというのがロプレストの本心だ。フォッピアーノは胸を張る。「セラスは、現在イタリアにある4隻の"姉妹"の中で最もオリジナルの状態です」

1960年代には多くのクラシックボートがイタリアに停泊していた。地中海は使用に最適な天候やコンディションだったからだ。ロプレストはこう話す。「既に何度も南イタリアや島々をクルーズして夏をすごしたから、セラスがこの新しい暮らしにすっかりなじんでいるのは確かだよ。もっと寒い気候に合わせて造られたのだろうが、イタリアの暑い夏も快適にすごせて、家族全員に日陰とスペースを提供してくれる。現代の基準では細身だけれど、当時としては幅の広いヨット だった。たいていハーバーで最も美しいヨットだよ。今は、イタリア最古で最も名高いヨットクラブ・イタリアーノの三角旗を掲げている」  

クラシックカーと同じように、時の流れこそ最良の審判だ。最高のものは生き残り、それ以外は忘れ去られる。ただし、古い車に慣れている者がクラシックボートに接するときには、考え方を変える必要がある。私たちは乗船中に激しい風雨を経験した。水がエンジンルームに入るのを見た私は慌てふためいたが、ロプレストは落ち着いた様子で、水がどこから入ってきたか尋ねた。「ルーフから落ちてきた」と私がいうと、彼はこう答えた。「それなら問題ないよ。心配しなきゃならないのは、水が下から上がってきたときさ」


編集翻訳:伊東和彦 (Mobi-curators Labo.) Transcreation:Kazuhiko ITO (Mobi-curators Labo.)
原文翻訳:木下 恵 Translation:Megumi KINOSHITA
Words:Massimo Delbò Photography:Max Serra
THANKS TO Francesco Foppiano.