イソ・グリフォの特徴的なボディラインの美しさは永遠だ。官能的な魅力を感じさせてくれる。そのなかでも魅力的なコルサ仕様であるA3/Cが、残されていたオリジナルのパーツを用い、ピエロ・リヴォルタ自身の支援のもとで元イソの技術者の手によって、9台だけが再製作された。

【画像】1963年のトリノ・ショーカーを再現したイソ A3/C(写真15点)


冷蔵庫製造からの転身
イソ社は、“Ingegnere“(イタリア語で優秀な技術者を示す)のレンツォ・リヴォルタの手によって1939年に創業された冷蔵庫製造会社であった。1950年代には、イタリアにおける旺盛な自動車需要に応えるため、三輪トラックとスクーターの開発に着手。その後、有名な超小型モビリティー、イソ・イセッタを世に送り出した。だが、イセッタより実用的で安価名フィアット500(ヌォーヴァ・チンクエチェント)が登場すると、イソ各車のイタリア国内での販売は急降下してしまった。しかしながら、安価なモビリティを求めていた欧州の他国のメーカー、すなわちドイツのBMWやフランスのヴェラムはイセッタの自社生産を望み、ライセンス契約を結ぶことでイソは大きな収益を得ることができた。

イタリアの経済が上向くと、富裕層はより速くより、よりラグジュアリーな車を求めるようになっていった。これを見て取ったレンツォ・リヴォルタは、1960年代に入って間もなく、高性能なラグジュアリーカーの生産へと舵を切った。この時期、レンツォ・リヴォルタと同様に異業種からラグジュアリーカー生産に参入した例には、フェルッチョ・ランボルギーニの存在がある。リヴォルタもランボルギーニも、フェラーリのさまざまなモデルに乗り、自らが理想とするモデルを自ら造ろうと考えたのであった。

パワーソースをアメリカンV8に求める
1962年、リヴォルタにとって初となる高性能ラグジュアリーカー、イソ・リヴォルタを発表した。その心臓部にはイタリア製ではなく、パワフルで信頼性の高さに定評があるシボレー製の“327“、5.4リッターV8エンジンを採用し、最も大人しいモデルのIR300でも300bhpを発揮した。パワフルでありながら高い信頼性を備えることは、レンツォ・リヴォルタ自身が、彼の車とモデナやマラネロ製の車との差別化を図るために強く望んだものであった。シャシーは、フェラーリ出身の敏腕エンジニアであるジオット・ビッザリーニが設計し、見る者に高貴な印象を感じさせる2+2クーペは、カロッツェリア・ベルトーネのジョルジェット・ジウジアーロが描いたものだった。

潜在的な顧客への販売に向けて、リヴォルタは自分の工場近くのアウトストラーダ上でテストを繰り返して熟成に務めた。

レーシングバージョン、A3/C
レースを知り尽くしたビッザリーニが関与したイソであることから、レーシングバージョンが誕生したことは当然の成りゆきであり、登場すればその需要は明らかであった。市販車とは異なるチューブラー・シャシーを備えたコンペティション・モデルのイソA3/C(Cはコルサを示す)は、1963年のトリノ・モーターショーでデビューを果たした。ショー会場で人々を驚かせたのは、A3/Cのスリークなアルミニウム製ボディが無塗装のままであることだった。このほかに、ジウジアーロが手掛けた2座のロードカー、A3/L(ルッソ)もデビューを果たした。

イソA3は、より優れた重量バランスと重心高を低めるため、400bhpを発揮するV8エンジンをリヴォルタより40cm後方に下げて搭載していた。また、軽量化に注力した結果、A3/Cの車重はおよそ1000kgに留められた。フランスのオーギュスト・ヴイエが1964年の第14回ル・マンにエンターしたピエール・ノブレ/エドガー・バルニー組のA3/Cは、ブレーキのトラブルを抱えながら、14位で入賞を果たした。

1964年にビッザリーニがリヴォルタと袂を分かって、1965年に独立するまでに、22台のA3/Cがイソのバッジをつけて生産された。レンツォ・リヴォルタは1966年に亡くなり、会社は1974年の業務停止までのあいだ、グリフォ、レーレ、フィディアなどラグジュアリーモデルの生産に注力した。

石油危機の勃発によってイソが売れゆき不振から経済危機に陥ったとき、創業者の子息であるピエロ・リヴォルタとビッザリーニが支援を試みたが、その甲斐はなく、会社は倒産した。



復活の救世主
イソが生産工場を閉じることになったとき、若いエンジニアでありテストドライバーを務めていたロベルト・ネリが、残されていたすべてのパーツや治具・工具を買い取ることに成功した。ネリは引き取ったイソの資産を活用することで、イソ各車をレストアし、世界にイソの魂を送り届けるキーマンとなった。

ロベルト・ネリの子息であり、ベルガモの近くでクルゾーネ・ワークショップに参加するフェデリコは、ピエロ・リヴォルタからの承認を得て、ロベルト・ネリA3/Cの限定版の製作を開始した。生産が中止されていたシャシーナンバーを継続したうえで、エンジンやその他のパーツにもイソによる認定の証を付けた。アルミボディ以外のすべての部品はオフィシャルなIR 300のものを用いて手作りされており、1963年にA3/Cが新登場した時の姿を忠実に再現するように造られている。フェデリコ・ネリはこのように説明する。

「シャシーのデザインはA3/Lの製作の際に用いられたもので、グリフォの試作品でした。しかしながら、グリフォとの主な相違点はそれより短いホイールベースです。A3/Lのエンジンはグリフォのものよりも時代的に以前のものです。のちに、ジオット・ビッザリーニは取り置いていたA3/Cの試作車をベースに、彼自身のためにビッザリーニ・ストラーダを開発しました。リヴォルタの側では試作車をグリフォに変身させている間のことでした。ミスター・リヴォルタはパワフルなGTカーを製作することを望み、快適かつ使いやすく、日常の足となる車とするという初心を忘れませんでした。彼はパワーを追い求めることはせず、むしろ信頼性や実用性を重視しました。たとえば、リヴォルタのルーフは試作車よりも高められ、帽子を被った4人が楽に座れるようになっています。その意味では、レンツォ・リヴォルタはフェラーリよりもマセラティの考えかたに近い人物だったといえるでしょう」

「ビッザリーニとA3/Cの間でのデザインの違いも同様でした。たとえば、エンジンフードでは、イソではエアフィルターに対応するためにわずかに高いものになっており、ドアラインも違ったものになっています。イソとビッザリーニではリア・フェンダーラインは違った考え方によって形状が異なっています。それはリアエンドも同様です。コンペティションカーのビッザリーニは片側につき1個のテールランプを備えていますが、A3/Cでは、片側につき2個ずつになっています。同様にインテリアにも相違があります。この2台の車は似通っているように見えて、違った面を持っているのです」

1963年ショーカーを再現した
今回、ご覧に入れるのが、1963年のトリノ・ショーカーのような総アルミボディのコーチワークを持った継続生産車の“第二世代だ“だ。ネリはオリジナルモデルとの機構面でのいくつかの違いについてこう語っている。

「再生産に当たって私たちは、アルミニウム製ボディを無塗装の地肌のままとしたので、顧客たちはこの車のフォルムを形作る要素をすべて見てとることができます。これは、私たちにとっては名刺のようなものです。この車はオリジナル版に備えられていたシャシー・ナンバーを引き継いでいて、“セクション2“と呼ばれるピエロ・リヴォルタの承認を受けたオリジナル・イソの後継車なのです。イソが残したエンジンや部品、そして元イソの人々の手によって組立てられています。私たちは現代の道路環境に即した安全性を考慮し、様々な改善をおこなっています。たとえば、最初のモデルではカンパニョーロが手掛けたブレーキ・キャリパーが使われていましたが、“セクション2“では後のビッザリーニのようにデュアル・サーキット・ブレーキシステムとして、ガーリング製のディスクを備えています」

「オリジナル版では排気システムに近すぎる燃料タンクをリア側に移動し、同時に容量を拡張しました。ラジエターの冷却ファンを2個に増やしています。潤滑系は、オリジナルでも、当時すでにイソへの搭載のために特注された12kgの油量を持つ“特大の“オイルパンであったため、手を加える必要はありませんでした」

「70年代最後のイソのモデルから、燃料ゲージのダッシュボードへの装着と、衝撃収納式ステアリングコラムを備えました。シボレー製エンジンはイソのシャシーナンバーとともに、オリジナルのイソの解体車から引き継がれ、リビルドして搭載されました。そして幸運なことに、エンジン番号とマッチするシャシーも手に入れることができたのでした」

コクピットにて
アルミニウム製の軽いドアを開けて、A3/Cのバケットシートについた貴方は、シートとの一体感に驚かされるはずだ。そして、路面に近く、脚を水平に延ばしたポジションから、ビッザリーニが設計したレーシングマシンがルーツであることを理解するはずだ。さらにシンプルな1960年代のインテリアはすぐにでも貴方を笑顔にしてくれることだろう。

私たちが取材したネリのA3/C “セクション2“は、デモカーとして組み立てられた車であるため、標準的な300bhpのシボレー・コルベットV8エンジンを搭載しているが、顧客用には365bhp型が製作された。300bhpであっても、クルゾーネ・ワークショップの周囲に広がるマウンテンロードを駆るためには不足があるはずはない。

現代では300bhpなど驚くほどのパワーではないが、ストレートでの加速時には、この車の生まれの証を垣間見るかのような鋭い加速フィールを味わうことができる。ブレーキは十分にパワフルで、タイトコーナーにも自信を持って飛び込むことができる。なによりも魅力的なことは、この車の高貴な生まれを証明するかのような、いかなる場合においてもよくバランスの取れたシャシーゆえの身のこなしだ。

1960年代のようにA3/Cは稀少な存在だ。私たちが取材した時点では、9台が組み立てられていた(編集部註:2015年当時)。

ネリは「私たちは2009年に最初の1台をデモカーとして完成しました。残りの8台の内訳は、2台がアメリカへ、1台がスイスの顧客へ、2台がハンガリーの友人の元へ、リヴォルタ家には1台を納め、南アフリカの顧客へ1台、スウェーデンのエンスージアストの元に1台があります。これ以上、もう造ることはありません」と語った。


2015年 イソ A3/C セクション2
エンジン:シボレー製、5359cc、V型8気筒、OHV、ホーリー製4バレル・キャブレター
最高出力:300bhp/6200rpm
トランスミッション:ボルグ・ワーナー製4MT、後輪駆動
ステアリング:バーマン製リサーキュレーテリングボール式
サスペンション(前):ダブルウィッシュボーン、コイルスプリング、テレスコピックダンパー、スタビライザー
サスペンション(後):ド・ディオン式、コイル、テレスコピックダンパー、
ブレーキ:四輪ディスク、リアはインボード
車重:1200kg
最高速度:191mph


編集翻訳:伊東和彦(Mobi-curators Labo.) 原文翻訳:オクタン日本版編集部
Words: Gerald Guetat Photography: Henri Thibault