これまで前編、中編の2回にわたって2021年のクラシックカー界の受賞者たちを紹介してきた。最後は車部門の受賞者紹介だ。栄えある「カー・オブ・ザ・イヤー」に輝いた車両は、果たして...?

【画像】ハイレベルな接戦となった今回のノミネート車両


ビスポークカー・オブ・ザ・イヤー
フェラーリ330 LMB(byベル・スポーツ&クラシック)

フェラーリ330 LMBは4台しか造られなかった。これに比べれば250 GTOも大量生産に思えるが、GTOのレプリカは数多いのに対し、LMBは今も幻のままだ。そこでエド・カーターは、放置されていた車両をドナーにしてレプリカの製作を依頼したが、完成を待たずに2015年に亡くなった。これをほぼ一から再開したのがベル・スポーツ&クラシックだ。気の遠くなるような細部へのこだわりと複雑な作業の末に完成に漕ぎつけ、スタッフの幅広い才能を証明した。

特別推奨
1961年ロールス・ロイス ファントムVジェームズ・ヤングのEV化(byルナズ)

次点
トゥーリング・スーパーレッジェーラ・アレーゼRH95
イソ・リヴォルタGTZ
チェイヴィック・ロードスター


レストア・オブ・ザ・イヤー
メルセデス・ベンツ300 SL“ガルウィング“

1955年、ソフィア・ローレンは、未来の夫である映画監督のカルロ・ポンティからメルセデス・ベンツ300 SLガルウィングを贈られ、大切に使った。数人のオーナーを経て、2019年にこれを購入したスイス人コレクターのダニエル・イゼッリが、HKエンジニアリングにレストアを依頼。ボディを取り外すフルレストアが始まったが、期間はわずか4カ月で、締切厳守が求められた。サンモリッツでの氷上イベントで、最初のオーナーと再会する予定だったからだ。Covid-19のためソフィア・ローレンとの再会はかなわなかったが、驚くべきレストアが実現した。

次点
アストンマーティンDB4シリーズ5(byウダム・モーティマー)
アストンマーティン・ブルドッグ(byクラシックモーターカーズ)
ジャガーEタイプ・シリーズ1 FHC(by EタイプUK)
マルティニ・ポルシェ936(byマクステッド-ペイジ)



カー・オブ・ザ・イヤー
1934年アストンマーティンMkIIバーンファインド

最初のオーナーはイギリスの名優ラルフ・リチャードソンだが、その後は多くの車と同様の経緯をたどり、1962年にトニー・バブが手付金10ポンドの365ポンドで購入した。この金額は当時、ミニやフォード・アングリアの新車価格よりやや低いほどだった。アストンマーティンMkIIは、「ル・マン」を元に開発されたモデルで、これはその製造3台目と考えられている。1969年以降は、バブの納屋(文字どおりの納屋)で半世紀も放置され、最近になって日の目を見た。現在はエキュリ・ベルテッリのエキスパートが面倒を見ており、世界でも特にオリジナルなアストンマーティンといわれている。

次点
カー・オブ・ザ・イヤーは『Octane』の読者投票で決まる。2021年は、ヒストリック・モータリング・アワード授賞式の直前まで投票が行われ、史上稀に見るハイレベルな激戦となった。

1938年メルセデス・ベンツ540Kカブリオレ
ブレナム宮殿で開催のサロン・プリヴェでベスト・オブ・ショーを獲得した堂々たる戦前のメルセデス。

1979年アストンマーティン・ブルドッグ
ウィリアム・タウンズがデザインした1970年代のスペースシップ。アストンマーティンの技術を証明するため、最高速200mphを目指したが、8mph届かなかった。

1907年ロールス・ロイス40/50シルバーゴーストAX 201
最近、個人に売却され、コンクール・オブ・エレガンスで華々しく表舞台に復帰した。

1934年マーリン製エンジン搭載ロールス・ロイス ファントムII
ジェイ・レノが1934年ロールス・ロイスを元に造り上げた1台で、27リッターの航空機エンジンと6基のウェバー製キャブレターを装備する。

1950年アルファロメオ6C 2500ギア
ヴィラ・デステ、コンクール・オブ・エレガンス、ペブルビーチと、2021年に数々のコンクールを沸かせたユニークなアルファ。

1953年フィアット8Vコンバーチブル・ヴィニャーレ
ヴィニャーレが手がけたV8コンバーチブルはわずか2台。ユタ州で、放置されたボロボロの状態で発見され、4500の作業時間を費やしてレストアされた。

1954年フェラーリ750モンツァ・プロトタイプ
2020年のカヴァリーノ・クラシックとベスト・オブ・ベストのウィナー。トム・ペックの依頼でボブ・スミスがよみがえらせた。

1963年ACコブラMk1レストレーション
新オーナーのジョン・ケントの依頼を受け、ブルックランズ・モーターカンパニーがACのオリジナルの木型を使ってレストアした。

エマーソン・フィティパルディの1972年ロータス72
フィティパルディが最も成功を収めたシャシーナンバー7。正確にレストアされ、かつてのパイロットとの再会も果たした。



生涯功労賞
ビル・ウォーナー

ビル・ウォーナーのように、根性と決意と情熱で何かを作り上げ、自分の直感は正しかったという途方もない満足感を味わえる人物は稀だ。ビルが作り上げ、人が集まったフィールド・オブ・ドリームスは、アメリアアイランド・コンクール・デレガンスである。このフロリダの名高いイベントは、現在は保険会社大手のハガティーが買い取っている。

子どもの頃から自動車の世界にどっぷり浸かっていたビルは、モータージャーナリストとなり、記事は多くの有名雑誌に掲載され、写真でも数々の受賞歴がある。これと平行して、ビルは自動車、特にレーシングカーに心を奪われた。1975年にはポルシェ911でキャノンボールに出走し、14位で完走。さらには、かのイネス・アイルランドらと、なんとハーツのレンタカーでラップ・オブ・アメリカに出走したこともある。1970年代末にはシングルシーターとサルーンレースのベテランになり、1980年代にはジャーナリストによるIMSAメディア・チャレンジを3度制覇した。当然ながら、その後はヒストリックレースやラリーに活動の場を移し、ミッレミリアにも何度も出走している。

レースの傍ら、クラシックロードカーやレーシングカーの収集とレストアにも情熱を傾けた。そのコレクションは幅広く、元ボブ・トゥリアスのグループ44トライアンフTR8では、自ら様々なレースに出走したほか、1952年マンツ・ロード・ジェットや1928年シンプレックス・ピストンリング・スペシャルなども所有。デイトナを愛用しているが、頂点は、エドセル・フォードの1934年フォード・モデル40スペシャル・スピードスターで、これは2008年に手放した。

こうした数々の活動が、やがてひとつにまとまるのは必然だったのかもしれない。1996年、ビルは自宅があるフロリダ州ジャクソンビルの近郊で、アメリアアイランド・コンクール・デレガンスを創設した。以来25年間で、一流のクラシックカーが集う世界トップクラスのイベントに成長させただけでなく、350万ドルを超える額を集めて、地元の慈善団体に寄付している。

前述の趣味や活動に加えて、本を執筆し、世界中のコンクールで審査員を務めながら、ビルは残った時間でルメイ自動車博物館やモントレー・ヒストリックレースの運営委員なども務めている。

長年のボランティア活動を称える全国的な賞や、リー・アイアコッカ・アワード、ニコラ・ブルガリ・アワードなど、受賞も数多い。今回はこの賞で、自動車への熱い思いを共有するために、労を惜しまず努力を重ねてきた功績を称えたい。