ブライアン・ウェイレンはコロナ禍で空いた時間を使い、アラスカ北部に向けて雪のなかのオフロードを2万6000マイル走破した。なんとフェラーリ308で。

【画像】フェラーリ308とともに、アラスカへと向かう(写真10点)


1982年式フェラーリ308 GTSiをオンライン・オークションで落札した理由をブライアン・ウェイレンに尋ねても、2年の月日が経った今もまだわからないという。入札価格は低めだったので、落札できたことに衝撃を覚えたとも。ただ、走行5万マイルの車両ゆえに新車同様というコンディションではなく、多少走ったところで価値が下がることを心配する必要がない、ということだけは明らかだった。

そうこうしているうちに新型コロナというパンデミックが世界的に蔓延し始めた。ブライアンのオフィスは数カ月間閉鎖されることが決まった。そのため、ブライアンはしばらくの間、フェラーリを乗り回すことにした。明確な目的地を決めることなくフィラデルフィアからロッキー山脈に向かい、クラシックフェラーリ・オーナーの“洗礼“としてオルタネーターベルト切れや燃料ポンプ不調に見舞われもした。だが、修理作業は脳外科手術ほど難しいものではない。ブライアンは脳神経生物学の博士ゆえに手先は器用だった。

ブライアンの日常業務は、ヘルスケアマーケティング会社において科学的および医学的正確性を確保すること。リモート勤務が主流となった環境下において、数時間の業務と数時間の運転を組み合わせた、新しいライフスタイルを過ごすことにしたのだ(新型コロナ対策における規制はイギリスのロックダウンよりもはるかに緩い)。ブライアンはロサンゼルス、ニューメキシコ、テキサス西部、サンアントニオなど気の向くままにステアリングを握った。インターネットがある限り、文字通りどこでも仕事ができる、ということを実証した。コロナ禍ではあったが、楽しくもリラックスした秋となったのだ。

一方、コロナ禍は落ち着く気配を見せず、ブライアンのオフィスは冬の間も閉鎖することが決まった。フェラーリで気の向くままに“リモートオフィス“を転々としてきたブライアン、冬は仕事をしながらスキーをすることにした。フェラーリにはノキアン・ハッカペリッタのウィンタータイヤを履かせ、シートにはシープスキンを被せ、凍結防止剤から車を保護するために下回りにスプレーを塗布。そして、出発した。

ニューメキシコのスピリチャル・タウンとして有名なタオス、コロラドの峡谷に囲まれた古い西部の町、テルライドなどを巡った。ロッキー山脈のワーナー山の西麓、標高2052メートルに位置する、スティームボート・スプリングスではブリヂストン・ウィンター・ドライビングスクールにも参加。一日中、氷上を運転することでミドシップ・フェラーリのハンドリング特性を知ることができた。

その後、モンタナ州のビッグスカイとアイダホ州のサンバレーを経て、ワイオミング州にたどり着いた。運転していると、考える時間がたくさんできる。そんなときには主に3項目について考えを巡らせる、とブライアンは語る。

「まず、どうやって次の目的地に向かうか、燃料は十分あるか、といった必須課題です。次に仕事のことです。ステアリングを握りながらブレインストーミングすると、なかなか上手くいきます。そして、最後の人生全般について思いを巡らせます。私はどこに住みたいのか、私は現状を楽しんでいるのか、などです。もっとも、最後の2項目は車が奇妙は音を立てたり、エンジンルームから蒸気が上がったりしていないときに限られる、と身を持って体験しました」



コロナ禍は相変わらず衰えを見せず、ブライアンのオフィスは夏までの継続閉鎖が決まった。同じ場所を訪れることはしたくなかったブライアン、地図の隅っこにあるアラスカのデッドホースという町に目をつけた。そして、大自然が残るアラスカとあって、準備には余念がなかった。まずは8000ポンド相当の整備を施し、車のハードウェアを完璧な状態にまで仕上げた。次に900マイルの砂利道走行を考慮してオフロードタイヤを調達しなければならなかった。ホイールハウスに適合する唯一の15インチ用オフロードタイヤは、ピレリのラリー用スコーピオンK4の205/65だった。

ブライアンはロッキー山脈を越えて米国北西部の太平洋岸北西部の海岸に沿って曲がりくねったルートをたどり、アラスカへ向かった。さらに北西に向かってカナダのブリティッシュコロンビア州の果てしない森を通り抜けた。8月半ばにはアラスカのフェアバンクスに到着した。

全長450マイルのダルトンハイウェイは石油パイプライン整備用の道路だ。約90%はダートで、主に大型トラックが走行しており路面はかなり荒れていた。ハイウェイの中間地点、コールドフットは永住者2名の小さな町で、唯一の燃料や食料を補給できる場所でもある。フェラーリ308は、一般的な走行であれば満タンで250マイルは走ることができる。しかし、ダルトンハイウェイは一定速では走れない。アスファルトと違って路面の抵抗が大きかったり、減速して走らないと車両にダメージを与える穴があったり、コールドフットまではギリギリと試算。そこでブライアンは、フェラーリのルーフに1ガロンの燃料携行缶を4つストラップで固定した。

ダートドライブの準備は万全なはずだったが、60マイルを走破したところで308のエンジンルームから蒸気が上がった。既に自分で修理する技量は持ち合わせていたブライアンだが、どうしてもダート上ではジャッキアップができなかった。木や石で“土台“を作ることも試したが、車両に安全に潜り込むことはできなかった。そこでダルトンハイウェイでは高額になるレッカー車を手配。しかも車両を運ぶためではなく、レッカー車の荷台で作業をするためだった。無事に作業を終え、困惑したレッカー車の運転手に見送られながらフェラーリは再び走り出した。

翌日、ブライアンはブルックスの山を越えた。数週間に渡って駆け抜けた広大な森の最後は、トナカイと巨大なジャコウウシだけが住む荒涼としたツンドラに変わった。残りの30マイルほどは舗装路で、車内のすべてが振動する400マイルを走破した後だったので驚くほど快適だったという。最終目的地であったデッドホースに到着するも、そこに特筆すべきものはない。デッドホースは観光地ではなく、石油掘削現場に集う季節労働者のための仮設住宅や関連企業がポツポツと点在する、世界の果てのような場所。ただ、最高の旅行とは目的地に辿り着くことではなく、その道のりである場合もある、ブライアンのように。

帰り道、コールドフットで知り合った地元の人間に、金属の板を手渡されたブライアン。これで砂利道やダートロードでもレッカー車を呼ぶことなく、フェラーリ308のジャッキアップができる。今、ブライアンは新たなフェラーリ旅を画策中で、恐らく中南米を目指すという。その際はオルタネーターベルトや燃料携行缶のほか、金属板も持っていく。


編集翻訳:古賀貴司 (自動車王国) Transcreation: Takashi KOGA (carkingdom)
Words: Robb Pritchard Photography: Brian Whalen; Drew Carlson Photography