【広島市で比嘉桃乃】「私ができることをしていきたい」。1945年8月6日、爆心地から1・5キロ地点にいながら奇跡的に無傷だった新垣和子さん(88)=那覇市久米=は6日、72年ぶりに広島市を訪れ、広島市平和記念式典に参列した。参列後、原爆の悲惨さや平和の大切さを次世代に伝えていく決意を示した。 新垣さんは戦時中、家族で岡山県に疎開。広島市の赤十字病院に入院した兄を見舞おうと45年8月5日、広島に入った。空襲警報が解除された6日朝、宿泊先の旅館で部屋着に着替えて1階のトイレから出た瞬間、市上空で人類史上初の原子爆弾がさく裂した。 肩にかすり傷を負っただけだったが、旅館の外に出ると光景が一変していた。皮膚がめくれ、血とやけどで全身が赤黒く男女の区別もつかない人々がいた。「当時は悪い夢を見ているような気がした。でも、あの光景は本当に起こったことだったと式典に参列して分かった」と振り返る。 十数年前に一度、電車で広島を通りかかったことがある。「足が震えて降りることができなかった」。それでも長男から「体験者が減る中、お母さんができることがあるんじゃないか」と諭され今回、広島を訪れる決心を固めた。 平和宣言で、松井一実広島市長が「鋭い閃光(せんこう)がピカーッと走り」と原爆投下時の状況を語った時、新垣さんはじっと目を閉じ、唇をかみしめた。72年前の“あの日”幼い子どもが母親を捜す姿を思い出したという。 「子や孫に二度とこんな思いはさせたくない」と式典後に語った新垣さん。“あの日”と同じような強い日差しが照り付ける中、「どうか安らかにお眠りください」と一輪のガーベラを慰霊碑に手向け、犠牲者の鎮魂を祈った。