松濤(しょうとう)館空手の祖として知られる富名腰(船越)義珍に比べると、糸東(しとう)流の祖摩文仁賢和は何となく地味な存在である。日本空手の四大流派の一つと言われながらも沖縄にはその流れの道場は1カ所もない。 大正から昭和初期にかけて沖縄の空手家が本土へと進出していった際に、暗黙の了解(?)の内に関東の船越義珍に対応して関西に拠点を築いたのが摩文仁賢和であった。 摩文仁賢和はその師糸洲安恒と東恩納寛量の頭文字をとって糸東流を名乗り、船越義珍の空手本に対抗するように1934年から35年にかけて3冊の本を出す。『攻防自在 護身術空手拳法』、『攻防自在空手拳法 十八(セーパイ)の研究』そして前2著を取り込みつつ糸東流の体系的テキストとなる『攻防拳法 空手道入門』である。 『空手道入門』は空手研究社の仲宗根源和との共著となっているが、その大部分は仲宗根の筆になるものと思われる。仲宗根は元々文筆家志望の人で戦前の空手普及活動の第一人者であったのだが、摩文仁賢和とはウマがあったようで、様々(さまざま)な交流の痕跡がある。船越との共著はない。 『空手道入門』は、35年に初版が刊行され、96年に当社より復刻版、2006年に普及版を刊行した。本書は糸東流の空手道の体系を築き、流派形成の原動力となった本として知られており、解説としてそのご子息摩文仁賢榮先生に筆を執っていただいた。 知名度が高く流派人口も多い船越義珍の本より、摩文仁賢和の本書の売れ行きの方がいいのは何故だろうかと不思議でならない。 本書は本土での沖縄の空手家の苦闘を刻印した書でもある。異なった歴史意識や社会意識の本土社会にいかに空手の重要性を根付かせていくのか、という課題への対応に苦慮するさまが描かれている歴史的文献だということも忘れてはなるまい。(武石和実・榕樹書林代表)