沖縄の獅子舞を見たことはあるだろうか?ふさふさの毛むくじゃらの体躯が生き物のように動かされるその様は迫力いっぱいである。本土とも違う沖縄の獅子舞の特徴をご紹介するとともに、この魅力的な芸能の特徴に迫っていきたい。

2023年9月29日〜10月1日の日程で、沖縄県各地で十五夜の夜に獅子舞が開催された。沖縄県内で最も獅子舞が行われるこの時期に、各地を取材したのでその様子を振り返る。

沖縄の獅子舞の特徴

沖縄の獅子舞の特徴はまず、2人立ちであるということ。1人は頭、1人は尻尾という風な役割分担になっている。日本全国では50〜60人の人が胴体に入る多数立ちの獅子舞もある中で、胴体の中に2人のみというのは特徴的だ。

獅子頭は獰猛よりは大らかな印象が強く、胴体にはふさふさとした毛が生えている。また五穀豊穣や悪疫退散などのために行われる場合が多く、悪鬼が横行するといわれる旧暦7月15日〜旧暦8月頃の季節に主に実施される。とりわけ旧暦8月15日の十五夜の時期に数多くの獅子舞が行われる。

首里真和志町の獅子舞

沖縄の獅子舞の由来

沖縄県の獅子舞の起源に関してさまざまな説がある。沖縄といえばシーサーなどの獅子像が有名だが、獅子像の方がおそらく歴史が古い。最古の獅子像でいうと、浦添ようどれ陵(1265年)、瑞泉門(1470年)、首里城歓会門(1477年)、首里玉陵(1501年)などが挙げられる。これは魔除けと火災除けの効果を持っている。

沖縄最古の獅子舞とも言われる首里汀良(てら)町の獅子舞の開始時期は不明だ。少なくとも江戸時代初期には獅子が舞っていたと考えられており、八重山諸島には400から500年前に獅子頭が流れ着いたという民話がある。一方で『琉球国由来記』(1713年)に獅子舞の記録が登場しないことからそれ以降に広く普及したのではないかという話も残されており謎が深い。

沖縄の獅子舞はもともと、中国や朝鮮半島を経由して日本に伝わったもので、琉球王朝に使節が訪れた時にもてなすために実施された。毎回使節を飽きさせないために、違うデザインのものを持つ必要があり、一度作ったものは地域に譲り渡したとされる。これが、獅子舞普及の一種の起爆剤になった。

浦添市勢理客の獅子舞

5つの獅子舞の演舞と特徴

それでは実際に2023年9月29日〜10月1日の間に取材させていただいた、沖縄の獅子舞のうち5つを紹介させていただこう。

伝統の舞いを忠実に伝承する「勢理客獅子舞」(浦添市)

勢理客(じっちゃく)の獅子舞の特徴は豊富な芸種と細やかな芸にあり、古い型をきちんと伝承していることだ。獅子舞の由来は400年くらい前にコーレー具志堅という人物が朝鮮半島から伝えたことに始まると言われている。

1973年に記録作成等の保存措置を講ずべき国の無形民俗文化財として選択、1981年には浦添市の無形民俗文化財にも指定された。勢理客獅子舞保存会によって保存継承が行われている。

獅子舞の芸種は11種類で、儀式的な「ジャンメー」と遊び的な「モーヤー」に区分され異なる三味線の旋律がある。今回拝見できたのが、バンクグーイと獅子御願の2つだった。バンクグーイは太モモを高く上げて行進するようにハッハッハッハと動く所作が可愛らしくもあり、非常にハードにも思えた。

これは実際の動き見ていただくのが早いと思うので、ぜひ下記の動画をご覧いただきたい。

勢理客獅子舞では、公民館の横にある勢理客保育園の子どもたちが獅子舞を披露する機会があることも特筆すべきだ。この披露の機会を「しぃーしぃーカンカン」と言うらしい。保育園の生徒たちの獅子舞発表が十五夜祭で実施されたのだ。18時から30分も演舞があり、ものすごく元気な子どもたちがステージ上をピョンピョンと跳ねたり、ずらりと獅子舞たちが集合する姿が印象的だった。

40年以上、年長組によって受け継がれてきたこの行事。子どもに獅子舞の魅力を伝えるきっかけ作りという意味でも素晴らしい機会だと感じた。

技の勇壮さと多彩な「内間獅子舞」(浦添市)

内間(うちま)の獅子舞は技の勇壮さと多彩さで知られている。獅子舞の由来は明治時代生まれの島袋順吉翁の調べによると、尚真王の時代(1477〜1520年)に「茶貫軒丸(チャヌチヌチマル)」という内間グスクを中心に勢力を築いた人物が獅子舞を伝えたことに始まる。

この獅子舞は雌獅子だ。昭和51年に結成された獅子舞保存会によって継承保存されている。昭和56年には浦添市の無形民俗文化財に指定。内間の獅子舞の主な演目は、ザーミーメー(モーヤー)、マーイムタバー、ケーヤー小、シラングィー、ボークーヤー、カジシヤー、ホーヤー小、ヒジタテヤー(肘を立て、遊ぶ演技)、サールー小(獅子が猿を追いかける)である。

内間の獅子舞を実際に拝見していて、ステージ背景の作りこみがしっかりしていて、良かった。拝見できた演目はザーミーメー(モーヤー)とボークーヤーだった。

ザーミーメーは頭をくるっと回したり、尻尾を振ったりする簡潔な舞いだ。ボークーヤーでは、獅子が棒をくわえた瞬間、拍手が沸き起こった。なかなか棒をくわえず、獅子が棒をくわえた瞬間に拍手喝采が起こる感じが、会津の彼岸獅子の弓舞に似ていると感じた。彼岸獅子も弓をくぐろうとするがなかなか潜らない。くぐった瞬間は拍手喝采であった。これはおそらく手なづけるのに苦労した獣がやっと檻に収まるような感覚に近いように思われる。

信仰と伝統に忠実な「仲西獅子舞」(浦添市)

ノロという霊的な女性がいる地域は獅子があることが多いとされるが、この地域の獅子舞の始まりはノロが首里城から獅子頭を受け取りそれを村々に舞わせたのではとも言われている。

昔から村神として受け継がれてきた仲西の獅子頭は沖縄戦で焼失した。昭和37年に比嘉次郎氏によって復元され、獅子舞保存会によって伝承されている。その後、昭和53年に獅子頭を新調した際、神獅子が2頭あるのは良くないということで1頭は燃やした。

また、十五夜の時以外は出してはいけないと言われている決まりもある。そして、十五夜の旧暦8月15日が平日でも日程をずらさないという。信仰と伝統にとても忠実な印象だ。昭和56年には浦添市の無形民俗文化財にも指定された。

仲西の獅子舞の演目としてはマーイクーヤー、ケーヤー、ホーヤー、ジェークーヤー、ジュークーヤー、シランガチ、マーイムタバー、ボークーヤーが伝わっているが、近年は縮小傾向にある。

担い手は小学生から始めて、大きい獅子を扱えるのは高校生以上になる。60代でもやることがあり、時間は長くできないけれどきちんと技を持っている。総じて、多世代が関わる獅子舞といえるだろう。

糸で操られる「謝名の操り獅子」(今帰仁村)

沖縄では2人立ちの獅子舞が一般的な中、唯一3例あるのが、操り(あやつり)獅子である。それは名護市川上、今帰仁村謝名(なきじんそん じゃな)、本部町伊豆味(もとぶちょう いずみ)に伝来している。2004年に記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財として選択された。

この芸能の始まりは、首里への奉公人、あるいは江戸上りや薩摩上りなどの随行人、中国へと渡った役人がそれぞれ持ち帰って、琉球独自のスタイルにアレンジしたものと考えられる。琉球の獅子はもともと中国寄りであるが、操り人形は江戸や大阪にもあったわけで、これを取り入れた可能性はある。ただわかっているのは、本部町伊豆味の操り獅子は大正期に今帰仁村謝名から伝わったということのみだ。

この獅子舞は獅子の頭部と臀部に一本の糸を結びつけ、舞台天井の竹や棒に渡して、舞台裏から操る仕組みとなっており、非常に珍しい形態だ。謝名では豊年祭の最後の演目として、操り獅子を拝見した。左の雌獅子と右の雄獅子がマリに向かい合ってじゃれあっていて、それが途中からヒートアップするという流れだった。雄と雌で少し動きが違うことも興味深かった。

こちらも実際の動きを見ていただきたい。沖縄の獅子舞の独特な一形態が一目瞭然かと思う。

終わった後、獅子に触りたい人は触って良いよという時間が設けられ、子どもを中心として賑わった。

長い年月を経て復活「首里真和志町獅子舞」(那覇市)

首里真和志町の周辺は首里城のお膝元で王朝から直接獅子頭を送られたようで、文献にはこの事実だけ書かれている。首里城が近い分、王宮から民間へと獅子舞の伝播が早かったので、沖縄県内でも最初期に近い頃に伝播したと思われる。

この地域の十五夜の獅子舞は長い間途絶えていた。少なくとも25年前には実施していなかったという。長い間復活の議論があったが、近年ようやく熱い想いを持った担い手により復活した。舞い方についても試行錯誤しながら、作っている段階だという。途絶える前、過去にこの町で獅子舞をしていた人はもう少なくなってきている。それでも獅子に対する想いが人々を動かしているのだ。

10月1日の夕方16時半から夜の20時過ぎまで、獅子舞について歩かせていただいた。16時半に首里城の園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)前での演舞から開始、道ジュネー(町回り)ののち、19時からの真和志クラブでの演舞で締めくくりとなった。

道中獅子に頭を噛んでもらう時間があり、時にはギャーと泣き叫ぶ子どももいて、子どもには怖いよなということを改めて感じた。沖縄特有の細い路地を大きな獅子舞がぐんぐん進んでいき、向こうから来る車やら人を通せんぼしている姿が印象的だった。家周りの時に玄関先で封筒に包まれたご祝儀が獅子の口に入れられて、それによって舞ってくれるという場合と、通りすがりの人、例えば車から降りて封筒を渡す人なども見られて気軽にご祝儀を渡している感じがとても良かった。

沖縄戦で失われた獅子頭の返還

沖縄の獅子舞はアメリカ軍が持ち帰った(3事例あり)という話や、沖縄戦で消失したという話が残されている。戦争と獅子舞との関係性は大きなテーマだ。地域の神様として崇められている獅子頭が喪失することは、地域アイデンティティの喪失とも関係してくる。獅子舞とは地域においてどのような存在なのか、という問いにぶつかる話でもある。

2023年6月には78年ぶりに首里真和志町獅子舞保存会に獅子頭が返還され、大いに話題になっていた。

首里真和志町では、高校生の弓道部の担い手が図書館で昔の獅子頭の写真を見つけたことから始まったという。今の獅子頭とデザインが違っており、あれっと感じたそうだ。それでアメリカ兵が戦利品として持ち帰ったという写真も見つかり、これは今でもアメリカにその実物が残っているかもしれないと思ったそうだ。

そこで現在獅子舞の保存会の副会長の山城さんがFacebookでその持ち主らしき人を調べて、昨年9月にメッセージを送った。それが当時のアメリカ兵の娘さんだった。メールで連絡をとりましょうということになり、最初は相手も半信半疑だったのだろう、質問をたくさん送って来たそうだ。それに丁寧にお返事をしているうちに信頼感が生まれ、獅子頭が沖縄に返還されることに決まった。

獅子頭公開は地域住民にとって、本当に奇跡的で大きな出来事になった。ダンボールがアメリカから送られて来てその開封の時には、地域住民が駆けつけ感動的な場面になったそうだ。このエピソードから、獅子舞の役割を改めて実感することとなった。獅子舞は地域をひとつに結びつける存在なのである。

沖縄には多様な獅子舞文化が息づく

このように沖縄では地域のまとまりの中心に獅子舞があり、神獅子と交流獅子があって、神様として崇拝されもすれば、賑わいの中心にも獅子がいる。アメリカとの戦争の中で獅子頭や獅子舞の焼失や返還などの話題が絶えず、地域アイデンティティの断絶や復活を通した獅子舞の役割を再確認させられた。

あるいは、沖縄(琉球)が屈指の貿易港であり、朝鮮、中国、大和(日本の本州)、アメリカなどとの交流の中で、獅子舞文化が形成されてきたという事実は、非常に多様な獅子舞文化を育むとともに、独自の獅子舞文化の形成へと繋がった。そして屋根獅子(シーサー)や石獅子の普及もあり、やはり全般的に獅子に対する親しみを持った土地であることを再確認させられた。

沖縄では旧暦8月15日の十五夜の時期はもちろん、毎年秋には「沖縄全島獅子舞フェスティバル」なども開催される。それらを通して、日本の中でも独自の発展を遂げた沖縄の獅子舞文化を堪能するのも良いだろう。

<参考文献>
沖縄県教育庁文化課『沖縄県文化財調査報告書148集 操り獅子調査報告書』(沖縄県教育委員会, 2009年3月)
浦添市史編集委員会『浦添市史第三巻資料編2 民話・芸能・美術、工芸』(浦添市教育委員会, 1982年3月)
浦添市史編集委員会『浦添市史第三巻資料編2』(1982年3月)
川平村の歴史編纂委員会『川平村の歴史』(1976年12月)
南原町立中央会館 『沖縄の民俗芸能(1)』(1991年3月)