群馬県の奥地にある149年の歴史ある名湯へ。そのままを大切に、恵まれた環境を生かし続ける湯守の守る温泉で奇跡のような湯を維持してきた人たちに迫る。

(※その他の写真は【関連画像】を参照)

※この記事は2024年12月号に掲載されたものです。

■山奥にひっそりと息づく 伝承と歴史に包まれた温泉へ

山あいの道を通り抜けると、その建物は周囲の木々に寄り添うようにして立っていた。見るからに年季の入った趣、しかし決して古臭くはない、時代を超えたものだけが持つ質感を湛えた建物。それが「法師温泉長寿館」である。

日本各地の温泉には、高名な武将や僧侶、果ては神話上の神や動物まで、さまざまな開湯伝説が残っており、旅に彩りを添える。この法師温泉も、弘法大師空海が巡錫のおりに発見したと伝えられる。

紅葉は例年11月の第1週頃が黄色と赤が最も綺麗な時期だという。

そのため弘法大師の「法」と「師」を取って「法師温泉」と名付けられた。じつは弘法大師空海にまつわる逸話は、群馬県内のほかの温泉地や神社仏閣、井戸や杉の木にも残されている。それは法師温泉を発見したとされる伝承にどこか真実味を与えてくれる。

長らく、湯が湧き出ているだけだった法師温泉だが、長寿館が明治8年(1875)に創業。現在7代目の岡村建さんが引き継いでいる。

初代当主・岡村貢氏は新潟県南魚沼郡の出身。明治中期に鉄道会社を設立し、新潟県長岡市から群馬県高崎市を結ぶ上越鉄道の敷設を行った「上越線の父」として知られている。

しかしただでさえ資金を要する鉄道施設に加え、県境の高く深い山をくりぬいてトンネルを通す鉄道工事にはより莫大な金がかかる。戦争や不況の影響を受けた鉄道会社は資金不足のため倒産。

貢氏に残されたのが法師温泉と莫大な借金だったという。それでも貢氏の母が残した「どんなに没落しようとも法師温泉だけは手放すな」の言葉を守り、岡村家は何代にもわたって借金に苦しみながらも、細々と宿の仕事を続けたという。

そんな中、昭和56年(1951)の国鉄「フルムーン」のキャンペーンで、高峰三枝子と上原謙を起用したポスターが一躍有名となり大ヒット。山奥の宿に人が押し寄せたという。長寿館のエントランスには今も当時のキャンペーンのポスターが大切に飾られている。

現在、長寿館には「法師乃湯」「長寿乃湯」「玉城乃湯」の3つの浴場があるが、中でも法師乃湯は先述のキャンペーンのほか、コマーシャルや撮影などにも使われることが多い代表的な風呂。

客室のある本館・別館と並び、国の登録有形文化財にも指定されている。

法師乃湯の湯殿に入ってまず目を引くのは、明治時代としては大変珍しくモダンだったであろう鹿鳴館風の設計である。高い天井を見上げると一番上は通気口になっており、立ち上る湯気が外に抜けていく造りになっている。

その下には太く立派な梁が何本も渡してある。クレーンが一般的に普及していない明治時代に、どうやってこれほどの重たそうな丸太をあの高さまで持ち上げたのかと考えてしまう。

4マスに分かれた浴槽の周囲の壁は棚のようになっており、昔の脱衣場の名残がそのまま残されている。また少し高い位置にはアーチ形の大きな窓が配置され、外光が差し込み開放感がある。

今回は法師乃湯の湯を抜き、清掃する様子を見せていただきながら、現社長の弟であり、湯守を務めている岡村直さん (以下直さん)にお話をうかがった。

清掃後の一枚。少し疲労が見えながらも達成感を感じさせる。

湯守とは一般的には温泉の管理人のことを指し、温泉の温度管理や清掃を行い温泉客が快適に入浴できるように温泉を整えるのが役目であるとされている。直さんによると

「長寿館の場合も、温泉を守っていくことが旅館にとって何よりも重要なことなんです。とくに湧き出る温泉と、それを取り巻く環境を保全していくこと、湯舟を清潔に保つことの2点が大切だと考えています」

法師乃湯の大きな特徴は、足元から湧き上がってくる「足元湧出」と呼ばれる源泉である。一般的に循環式の風呂などでは、有害な菌の繁殖を防ぐために塩素などで消毒を行う。

しかし、そもそも法師乃湯や長寿乃湯は循環ではない「源泉掛け流し」なので、消毒の必要がなく、温泉成分を損なわない。絶え間なく豊富に湧出する湯のおかげで、浴槽は常に新鮮な湯で満たされているのだ。

しかも足元、つまり湯の中から源泉が直接湧いており空気に触れないため、湯の劣化を引き起こす酸化も起こらない。このため、生まれたての温泉に身体が包まれる体験ができる。

そしてもう一つ重要なことがある。それは入浴に都合の良い40℃前後の湯が湧いていることだ。このような温泉はめったにない奇跡に近いことであるという。

湯舟の縁にある溝にあふれた湯が流れていく。ここは汚れやすいため念入りに掃除を行う。

「法師乃湯と長寿乃湯の源泉をトリチウム分析という手法で調べたところ、50〜60年前の雨水が地中に浸み込んだのちに、地中で温められて再び地表に湧き出たものであるということがわかった。現在私たちが温泉宿を営んでいられるのは50年前の自然のおかげなんです」と直さんは話す。

だからこそ余計な手を加えず、今出ている温泉をそのままの形で未来へと受け継いでいくことが、なにより大切であると考えているのだ。

じつは浴槽の周辺や横を流れる法師川の川辺にも温泉が湧いていたり浸み出している箇所があるという。しかし、ここをうっかり掘ろうものなら、温泉の湧出に影響が出かねない。

湯が下から出続けるので、ホースとポンプを使って外に常時排水を行い掃除をする。

同様に、旅館周辺で大きな工事や開発などが行われた場合、土壌や地下に浸みこんだ温泉水が汚染される危険性がないとはいいきれない。温度や湧出量だって変わってしまうかもしれない。そして、その結果が明確にわかるのは50年後なのである。

だからこそ、湯守として温泉のみならず、周囲の環境を含めた自然を、そのままに守っていくことが何より重要なのだと、直さんは、父であり6代目当主である現会長の岡村興太郎さんから繰り返し聞かされてきたという。

■人の手による清掃と保存 数々の困難を乗り越える湯守

このようないかに素晴らしい温泉であっても、浴槽が汚れていては台無しになってしまう。そのため湯守らによって浴槽をきれいに保つ清掃は欠かせない。

今回は長寿館の番頭である冨澤さん・林さん・永井さんの3人による法師乃湯の清掃作業を間近で見せてもらうことができた。

長寿館スタッフの冨澤さんは25年間長寿館一筋で働くベテラン番頭。

使う道具はタワシ、スコップ、ポンプ、雑巾などいたってシンプルなものばかり。これで浴槽を隅々までこすって湯垢を落としていくという途方もない作業だ。

汚れはポンプで湯ごと外に排水する。しかも足元から温泉が湧き続けるため、ポンプは常に稼働させっぱなしだ。法師乃湯の浴槽の底には丸い石が敷き詰められているが、所々に足場に使えるようなちょうどよい大きさの石が配置されている。

自然を生かした中にも客への気配りも感じられる部分であるが、これらの石も一つひとつひっくり返して丁寧に磨いていく。3人は、ずっと腰をかがめた姿勢で黙々と清掃を進めていく。

敷き詰めた石をどかしていくと、川底だった岩盤や地層が出てくる。ゴツゴツして砂も混じっているため、入浴しやすいよう丸い石を敷き詰めて歩きやすくしている。
足場や座るのに適した大きな石はつるつると触り心地よい。

すっかり浴槽をきれいにし終わったら、浴槽の底に木で作られた年季の入った栓をはめて人の手による作業は終了となる。この後2時間以上かけて湯を浴槽へ溜め込んでいく。

浴槽が目一杯になり、さらに湯があふれ続けると、自然と中に残った汚れをすべて洗い流していく。

チェックインが始まる頃にはお湯はすっかりきれいな状態に入れ換わっているというわけだ。自然の力と人の力をうまく合わせて、名湯を守りつづけているのだと、感じさせられた。

湯の華の付着しづらい泉質であるため、パイプの詰まりなどのトラブルは少ないというが、それでも念入りな清掃は欠かせない。

昔の姿を守り続けるには苦労もある。149年前の創業当時から変わらない杉皮葺きの屋根は、現代のスレート葺き(現代住宅に多い、セメントや石を加工した板材による屋根)などと比べて耐久性が低く、約10年に一度葺き替えが必要となる。

現在では杉皮を屋根材としてストックしている業者も非常に少なく、さまざまな場所からかき集めなくてはならず、材料を確保するのにも苦労している。材料のコストは前回の葺き替えから4倍に跳ね上がったという。

清掃用具も綺麗にする。とくに湯を排水するポンプは、清掃の要だ。

また、文化財として指定されているため、工事や修繕なども制限があり、自由には直すことができないという難点もある。このように苦労することも多いが、直さんは

「多少不便や苦労があっても、そのままでいること、自然なままの温泉を大事にしたいです。お客様に変わらぬことを評価してもらえたときはやっぱり嬉しい」と語る。

多くの困難を乗り越える湯守たちの技術、そして強い情熱によって、法師温泉は昔日の姿を保ち続け、今日も旅人を癒し続けているのだ。これからの温泉旅は、湯守たちの努力を感じながら旅をしたい。

昨今見ない木桶が並ぶ。湿気に弱い木桶がこれだけ綺麗なのは手入れが行き届いている証し。

⚫︎法師温泉長寿館

明治8年創業の歴史を持つ

149年の歴史を持つ老舗旅館。本館・別館・法師乃湯の3つが国の登録有形文化財に指定されている。宿泊プランのほか、日帰り入浴も可能だが、水曜日は日帰り入浴の定休日となっている。

宿泊では、時間帯により風呂の男性専用・女性専用・混浴が入れ替わるため、忘れずに確認をしてから訪れよう。

群馬県みなかみ町永井650
TEL/0278-66-0005 
宿泊料金/1泊2食付1万9800円〜
カード/可
部屋数/33
チェックイン・アウト/15:00・10:30
泉質/カルシウム・ナトリウム―硫酸塩泉ほか 
アクセス/(電車)上越新幹線「上毛高原駅」より車で約50分。(車)関越自動車道「月夜野IC」より約30分

※この記事は2024年12月号に掲載されたものです。

撮影/遠藤 純(一部宿提供)

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