涸沢カールで楽しむ本格的な山キャンプ

山の端に陽が落ちると、穂高連峰の稜線がシルエットとなって浮かび上ってくる。朱色から紫へと刻々と変化する幻想的な空色の移ろい。闇に包まれる前のマジックアワーを迎えたテント場には、ぽつりぽつりと明かりがともり始めた。

早めに夕食を終え、携えてきた赤ワインを飲みながらそんな山のエンディングを、ひとり楽しむひと時。この瞬間を“幸せ”と呼ばずして何と例えようか。

この贅沢なテントサイトは北アルプスの南部に位置する「涸沢」(長野県松本市)。スタートした上高地から約16㎞、6時間30分余の行程にある日本随一の圏谷(カール)で、3000m級の穂高連峰に囲まれた通称“涸沢カール”と呼ばれる絶景スポットである。

カールとは氷河の浸食によって生まれた椀状の谷のこと。山の斜面をスプーンでえぐったような形状が特徴だが、氷河が成長する過程で山肌が削られてできたものだ。

カールの底となる標高約2300mの涸沢には「涸沢ヒュッテ」と「涸沢小屋」の2軒の山小屋が建ち、その間に開放感たっぷりのテント場が広がっている。また、見上げた先にそびえる奥穂高岳(標高3190m)や北穂高岳(標高3106m)など岩稜の山々への登山基地としても知られ、ビギナーからベテランまで様々な登山者たちで常に賑わっている。テント泊だけを目的にここまで登ってくる人も多く、山小屋や水場が間近にあるため、山キャンプ初心者にも最適な場所なのである。

上高地からゆっくりと標高を上げ涸沢を目指す

上高地バスターミナルにはインフォメーションセンターや早朝から開いている売店もある。弁当調達や腹ごしらえをして、登山届けを出そう。
上高地名物の河童焼(200円)。
五千尺ホテル売店の山賊弁当(900円)も人気。

朝7時、基点の上高地を出発し、まずは約3時間歩いて11㎞地点の横尾へと向かう。上高地から横尾までは、梓川に沿って山の谷間をたどる気持ちのいい平坦な道。例えるなら北アルプスへのプロローグで、左手には明神岳など峻険な山々が望める。

スタートは北アルプスの玄関口・上高地。河童橋からは穂高連峰の雄大な景色が望める。エメラルドグリーンの梓川が目も覚めるような美しさだ。
上高地から約3時間で横尾に到着。ここから本格的な登山道になる。

約1時間ごとに明神、徳沢、横尾と休憩ポイントがあるのもこのルートの歩きやすさの特徴。上高地から2時間地点の徳沢では、ハルニレの森に抱かれた山小屋「徳沢ロッヂ」に立ち寄り、モーニングコーヒーを味わいつつひと休み。松本民芸家具を配したインテリア空間が素敵だ。

上高地から約2時間。ハルニレの森の中に建つ「徳沢ロッヂ」で朝のコーヒーブレイク。
喫茶営業は8時〜20時(ランチ11:00〜14:00)。ケーキセット(700円〜)。

次の横尾は槍ヶ岳、蝶ヶ岳、涸沢への分岐点。ここからが本格的な登山道となり、登山者たちは各々の目的地へ向けて道を分ける。左手の屏風岩の迫力ある岩峰を眺めながら本谷橋へ。ここからはグングン高度を上げていく。道は歩きにくくはないのだが、テントなどキャンプギア一式を担いでいる身にはなかなか応え、重みが肩にグッとかかってくる。

この前後から景色は大きく開け、北穂高岳や涸沢方面への稜線が見えてきた。やがて前方にカール地形が確認できると、赤い屋根の涸沢ヒュッテも小さく見えてくる。ここまで来たらもうひと頑張り。穂高連峰のダイナミックな山々に励まされながら最後の力を振り絞り、ようやく涸沢ヒュッテに到着した。

上高地から休憩を入れて6時間30分余の距離にある涸沢。徳沢あたりで前泊すると行程が楽になる。
ナナカマドの花が咲く涸沢。
まず受付で幕営料を払う。

穂高の山岳風景を背景にソロキャンプを堪能

涸沢ヒュッテから移動し、テント場の入口にある受付で手続きを済ませた後、改めて周囲の景色を仰ぎ見ると、それはまさに圧巻の大パノラマ! 右から北穂高岳、涸沢岳、北アルプス最高峰の奥穂高岳、そして前穂高岳の名峰4座がまるで円形劇場の客席のように取り囲んでいる。この自然に囲まれた贅沢すぎるサイトが今宵の“ひとりキャンプ”の寝床だ。

標高3106mの北穂高岳の峻険な姿を背景に、広大なテント場が広がる涸沢。カール地形のダイナミックな景色に目を奪われる。正面の建物は涸沢小屋。涸沢小屋やヒュッテではテント泊の人にも夕食を提供している(テント申し込み時に予約)。紅葉の頃には2000張のテントが張られたこともある。
テント場は石がゴロゴロしているので平らな場所を探そう。500円でコンパネ板も借りられる。

人が少なめの静かな場所に、登山テントの定番・アライのエアライズ1を設営する。涸沢はゴロゴロと石が多い。そのためペグは効かないので、石を利用したり、平らな場所を探す必要があるが、コンパネ板のレンタルもあるのでその上にテントを張ると寝心地がぐっと良くなる。

小さなソロサイトが完成してやっとひと息。後はただ贅沢なひとり時間をのんびり満喫するだけ。本を読んだり、涸沢ヒュッテのテラスで生ビールと名物のおでんを味わったり、昼寝をしたり。幸せな時間は穏やかに過ぎていく。ふと見渡せば峻険な山容と時間と共に変わりゆく涸沢の景色が目に入ってきた。ずっと眺めていても見飽きることはない。

涸沢ヒュッテの玄関。
人気のメニューはおでん(6種700円)と生ビール(800円)。
涸沢ヒュッテの眺望が自慢の展望テラス。
しっかり味が染み込んだおでんと生ビールが最高!

しかし、山の夕暮れは早い。明るいうちに夕食の準備を始めよう。今夜は山メシの定番・フリーズドライのカレーとスーパーで購入したサラダ。プリムスのバーナーで沸かしたお湯をそのままカレーとご飯に注ぎ、袋の封をして待つこと15分ほど。簡素だが、これが意外と美味しい。そう感じるのはやはりこのシチュエーションゆえだろう。それに最近のフリーズドライ食品は昔より美味しくなったことも事実だ。

夕方、少し雲行きが怪しくなってきたので早めに夕食を準備した。
山メシはフリーズドライのご飯とカレー。湯を沸かすだけの手軽さだが、味はなかなか。サラダは水洗い不要のものをスーパーで購入。

今回、食事と一緒に楽しむ酒はワインを選んだ。山メシは軽くてかさばらないほうがいいが、ワインだけは荷物になることも覚悟して専用のパック(プラティパス)に入れ替えて携えてきた。山に囲まれた贅沢な環境と時間の経過をワイン片手にひとりで味わった。酔いも手伝って、コォーっと静かに音を立てているプリムスのランタンの明かりが、心と体に温かく染み入ってくる。

夕食を終えるとあたりもすっかり暗くなってきた。山の夜の訪れは早い。
光のラインはテント場を行き交うヘッドライトの明かり。
夜中、目覚めると満点の星空だった。

明日のモルゲンロート(朝焼け)に向けて早めに就寝。ワインの酔いもあってぐっすりと眠った翌朝4時、テントを揺らす風の音と、起き出した人々の話し声で目が覚めた。テントを這い出ると肌寒さに思わずブルッ。しかし、山はうっすらと赤色に染まり始めていた。徐々に眩しい色を纏って輝きを増す峰々。それは闇に息を潜めていた山々が、誇らしげに目覚めるような神々しさだ。

さあ、湯を沸かして朝のコーヒータイムを満喫するとしよう。

モーニングコーヒーはキャンプでは必須。
涸沢名物のモルゲンロート。朝日が登る直前に山が赤く染まる朝焼けのこと。

穂高の山々に囲まれる
国設涸沢野営場

テント泊はテント場の受付で手続きをする。水が豊富なのがテント泊には嬉しい。予約をすれば涸沢ヒュッテや涸沢小屋で夕食・朝食を食べることができる。貸しテント(9000円/1泊)有り。

※営業期間/4月下旬〜11月上旬

Text/Yukimi Iwaya

Photo/Takeo Aki

Thanks/アライテント、イワタニ・プリムス、エイアンドエフ、ガーミンジャパン、新富士バーナー

※2019年取材